言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

世界の見え方の違い

範宙遊泳「バナナの花は食べられる」感想。おもしろくないわけではないし役者も演出も照明も素敵。ただ感情は動かなかったので、自分の物語ではないなと思った。


過去の上演は未見、台本も未読。前科一犯でアル中の元詐欺師・穴蔵の腐ったバナナは、出会い系アプリでサクラの男と知り合い、百三一桜と名付けた彼を相棒として探偵を始める。バナナは「人を救いたい」と考えていて、その一環として出会い系アプリを通じた売春サービスの黒幕と思われる男・ミツオを探す中で、ミツオの元彼女・レナと知り合う。レナは百三一と付き合い始めたことで仲間に加わる。ある日バナナはミツオを尾行していて攫われるが、実はミツオは首を切られて死にかけたことで発声とすべての記憶を失い、同時に人の亡くなる日が頭の上に見えるようになっていた(喋れないので、スマホの音声読み上げ機能で話す)バナナの余命が見えるから彼を救いたいというミツオを、バナナはクビちゃんと名付けて仲間に加える。

ところでバナナは断酒会で知り合ったアリサという女性に恋をしていた。姿を消した彼女を探し出し、余命がわずかでないかの確認と告白をしたいと考えたバナナは、レナをアリサのもとに派遣して友人関係を築かせた上で引き合わせてもらうという策をとる。再会は成功するが、告白は成功せず、そしてアリサはクビちゃんと過去に因縁があったらしく彼を見るなり半狂乱になり、施設に収容されてしまう。

アリサを失ったバナナは酒量が増え、クビちゃんが見た日付通りに亡くなる。バナナの死後、クビちゃんが記憶を取り戻していたこと、アリサの頭の上に余命を見ていたことが発覚し、3人はバラバラになる。しかし2人が出会ったアプリ内で予約送信されたバナナからのメッセージを見て、百三一はアリサを助けに向かい、別れたレナと再会する。アリサを守る2人の後ろに鎌を持った死神が迫るが、飛び出したクビちゃんと通りすがりの見知らぬ男(バナナ役の楚本さんが演じている)が死神ともみ合う。見知らぬ男が「確保!」と叫び幕。

ディグディグ〜もそうだった気がするが、ラストで力技だろうと絶対にハッピーエンドにするという強い意志を感じる。これは好みが分かれるところだと思う(個人的に今作の終わり方は好きではない)そういえば昨日かまどキッチンを観ていたんだけど、固有名詞を多量に含む膨大なセリフや、シームレスに挟まれるモノローグが似ている気がして、範宙からの影響があるのかなと思ったりした(知らんけど)

 

死後のバナナが落ちてきた青空(柄の布)にくるまってマリア像みたいになって百三一と話すシーンや、どこだか忘れたけど光に照らされた横断歩道をバナナと百三一が渡るシーンなど、本能的に画作りがかっこいい!と思う瞬間がたくさんあった。一方でストーリーについては優しいし全方位に配慮しようとしているのもわかるけど、この物語において恋愛と性愛が大きな位置を占めている(とわたしは思った)からか、作者と自分の世界の見え方の違いは感じた。それはたとえば、レナがなぜ百三一を好ましく思ったのかが全く分からなかったこと、バナナのアリサへのアプローチはクビちゃんのことがあったから最悪だったという描き方にされているけど、それがなくても最悪だと思うこと(自分に告白するために女を送り込んで友達にさせてくる男、かなり無理じゃないですか?好意だからといって許されることではない)、そもそもバナナはアリサにちゃんと向き合いたいなら自分が彼女の後輩でないと言うべきであること(アリサが最初からバナナに警戒心を持っていないのは後輩だと思っているからなので)、付き合いだした後のまゆみとマサくんという呼称の非対称性、アリサとレナが仲良くなる過程や関係を再構築する過程が全く描かれないこと、アリサが男性を嫌悪しているのに(ここのDVのくだり、アリサが被害者なのか加害者なのかわからなかったが)性欲から身体を売るという台詞、などなど…というか、恋愛を描く上でそこに性愛をどの程度含ませるかが合わなかったのかも(別に性愛イコール悪だと思っているわけではないけど、恋愛と性愛をひとくくりの切り離し得ないものとされると、ちょっと違和感がある)

あと、今のは性差に紐つくであろう違いだけど、他の点だと前半の大学中退の話をするくだりなどに文化系界隈のモラトリアム感というか、経済的に余裕のある家に生まれて高い教育を受けるも、そこに違和感を覚えてドロップアウトし、そんな自分を自嘲的に語るというよくあるやつを感じてちょっと合わなかった。別に現実にそういう生きづらさを感じている個々の人々に対して「あなたのつらさはつらさじゃないです」と言う気はさらさらないんだけど、創作で何かにフォーカスを当てるというのは、それ以外の何かを捨象することだと思うので…こういうことを書いている時点で、この作品は自分の物語ではないんだと思う。ディグディグ〜であまり気にならなかったのは恋愛という要素が薄かったからなのかな。あと、細かく説明できないが作中ですごくコロナ禍を踏まえたエモだと感じた瞬間があり、これは10年後にもまだ共有できる手触りだろうか?と思った(その時代に紐付く表現っていくらもあるのでそれが良くないとは思わないんだけど)

 

バナナと百三一の関係は甘美だし、演じる役者ふたりがとても魅力的なのも相まってエモいが、わたしがいちばんもっと知りたいと思ったのはミツオのこと。この物語でフォーカスされるのはバナナと百三一、百三一とレナ、バナナとアリサが中心で、台詞の通り人間関係に優先順位は確かにあって、その中で特にクビちゃんになった後はだれの一番でもないミツオが、結局何を思って最後ああしたのかは細かく語られないし(戯曲にはあるのかもしれないけど舞台上では)彼の生い立ちも、アイデンティティを失った葛藤も、思いがけず取り戻した後の苦しみも何にもわかんなかったけど、必要かと問いかけて必然と言われ、その後に意図せず最悪の必然を生み出してしまって、そうして必然でもなくなって、そこから最後あの光景を生み出すために目の前を走り抜けていったミツオの切実さが、この作品でいちばん印象深かった。細谷さん、回想シーンの何考えてるかわからなさと鼻にかかったような声もよかった。レナの井神さん、登場すぐのホテルのシーンがめちゃくちゃ素敵だったな。入手さん演じるアリサは、ずっと本当にわたしにはよくわからない女性だった。植田さんの役は男としかクレジットされていないんだけど、アリサに迫るシーンの動きが本当に気持ち悪くて怖い。