言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

まぶしくてよく見えない

ムシラセ「眩く眩む」感想。保坂さんが事前に書かれていたnoteや公開されていたあらすじ、トリガー警告を見て、きっとヒリヒリした作品だろうなと思っていたが、実際観るとすごく色々なことを同時に考えた。だからスパッと一言で感想は言えないが、とてもおもしろい舞台だと思う。ネタバレしています。

 

舞台はアニメ制作会社の会議室。白いテーブルと椅子、後ろにかけられた3分割のキャンバスには試し書きのような黒い線が引かれている。上手にドアと窓になる枠、下手にベンチとゴミ箱。客席側にモニターがある体になる。

WEBで自主制作アニメを公開し人気クリエイターとなった24歳の大河葵は、アニメ制作会社パインテールのプロデューサー・渡辺の誘いで、とあるテレビアニメの現場に原画で入ることになる。監督が不在のため代わりを務めている絵コンテ・演出の神崎は、その腕の良さでアニメ界では有名な存在だった。総作画監督であるベテランおじいちゃん・草薙、作画監督で神崎の右腕と言われる赤城、大河と同い年の叩き上げアニメーター・春原と不協和音を生みながらも大河は張り切るが、絵を出しても採用されず跡形もなく修正されることが続く。同時にブラック企業から転職してきた新人制作進行・姫宮は、彼女の上司にあたるデスク・竹内と共に初めての現場に入ることになる。

 

観終わって最初に感じたのが、作劇のめちゃくちゃなうまさだった。すごくメタなことから書き始めてしまうけど、観客の精神的位置のコントロールがうますぎませんか?冒頭の大河は(言い方が悪いが)かなりヤバめのモンスター新人に見える。「アマチュアではないです、訂正してください」と赤城に迫るシーンや、ベテランである草薙の指導を受けたくないとゴネるシーンは、観ているこっちが共感性羞恥でワッ…となってしまった。逆に、神崎と赤城がふたりではしゃぎ合うシーンや、その後の赤城の独白はすごく美しく見えた。あの時点では。三徹するほどめちゃくちゃなスケジュールでもここが唯一の居場所で楽しいと語る春原と、バズったクリエイターとしての戦略で強気な大言壮語キャラを演じていた大河が衝突しながら互いを知っていく過程も微笑ましいし、何よりも、たとえどんなに容赦のない言葉を吐き、他人に対して厳しくても、同時に自分にも厳しく、誰にも追いつけない孤高の輝きでペンを走らせる神崎は魅力的だ。神崎の態度って全然社会人として褒められたものじゃないし、発する言葉には心がざわつきつつも、圧倒的才能があるという前提がそれすらも魅力の一部のように見せてしまう。これは演じる藤尾さんの佇まいも大きいのだろうが、ストロボの中でコマ送りのように季節が移り変わる中、机に積み上げられた原画に向き合い続ける姿は、とても寂しくてエモい。

だから、姫宮がハラスメントであると告発したとき、最初にわたしの心によぎったのは反発だった。そもそも姫宮がメモを剥がしてなければ話はもっとスムーズにいったし、大河は悩まずにすんでたんじゃないの?と一瞬怒りを感じた後で、でも姫宮の言っていること自体はひどくまっとうだ、と思い直した。神崎が大河に直接言ったのは「使えないコマはいらない」や「ここで死ぬならそれまで」だが、ああいった言葉がメモに書いてあったのだとしたら、それは確かにハラスメントになりうる。メモを捨てたやり方には問題があると思うが、姫宮自身が前職での傷を抱えている中で神崎の言葉を扱いきれなかったのかもしれないし、アニメをあまりわかっていないからオブラートにも包めなかったのかもしれない。

何にせよあの場において、アニメーターサイドの全員が(大河自身すらも)一度はハラスメントの告発に対して否定的な態度を見せる。そして観客も知らぬ間に加害者側に感情移入(というと単純すぎる気もするけど)しているから、それを切り捨てきれない気持ちになる。現実に起きたハラスメントの告発を見るとき、何でそんなことになるのかさっぱりわからない、許せないという感情がわきがちだけど、現場にはその現場の事情や思いがある(当然だが、事情があるから罪がないということではない)そして自分の心の重心が加害者サイドに偏っている状態だからこそ、姫宮から放たれる言葉が鋭く突き刺さってはっとする。周りの気持ちがわかんないやつは頭はる資格ない、(クリエイターを)尊敬してるからがっかりさせるな、謝らないと先には進めない…全部自分自身がいつも思っていることなのだ。


でも観劇後に友達と話したら、彼女は姫宮の告発に対して初手から共感していたと言ってて、これってもしかして自分の内面を映す鏡でもあるのかもと怖くなった。突然自分の話をしてしまうが、わたしはハラスメントにおいて(万人がどちらの可能性もあるという前提の上で)どちらかといえば加害側になるリスクを持っていると思う。短気だし、言葉が直接的だとか高圧的だと言われる。過去に上司から、今お前は平社員だから問題にならないけど、管理職になってその物言いだったら絶対にパワハラになるぞと言われたことがあり、自分より権威勾配において弱い立場の人に対しては特に気をつけて喋るようにしているが、根本的にはそのリスクを内包しているんだと思う。だって神崎の「上手い下手しかないのに、人格否定って言われるの、わかんなくて」というセリフ、ちょっとだけ共感するもんな。多分創作現場でも「ハラスメントしてやる!」と思って罪を犯す人よりも、これがハラスメントになるのだという自覚なしで引き起こしてしまう人の方が多い気がして(繰り返すが、故意でないから罪がないということではない)、それを改めて省みるきっかけにもなった。だからこの作品をどう感じたのか、いろんな人の感想が見てみたい。あと、告発者側である姫宮のことも完全無欠には描いていないのが良いなあと思った。彼女はアニメが好きではないから、紙切れという発言があるようにアニメに人生をかける人間の気持ちはわからない。勧善懲悪なんてそんな単純な話ではないんだ。


またもうひとつ個人的に刺さったのが神崎、赤城、大河の構図。この物語は創作現場でのクオリティの追求とハラスメントの防止におけるジレンマについて描いてるけど、同時に天才と凡人、才能というテーマも描いていると思う。神崎は周りから天才と言われているが、彼自身にはそもそもそういう自意識がなく自分を普通だと言うし、呪いかのように絵を描くことに囚われている。周囲からの強い期待が彼をそうしてしまったのかもしれない。赤城は神崎が認める存在ではあるが、神崎の才能に対してコンプレックスを抱きながらも、コミュニケーション力や社会性に欠けた彼をフォローしてきている。

大河はそんな神崎と赤城の関係を共依存だと指摘する。大河自身が過干渉な母親に支配されていた過去があり、赤城のことをママっぽいと言い、神崎に対してもうちの母親と似てると言う。赤城は神崎の眩さをすぐ近くで浴びすぎることで、彼自身の眩さを失ってしまっているし、神崎は神崎で赤城が過剰に守ることで変われずにいる。そして大河は神崎を眩しがらない。これ、赤城の独白のシーンでは上手から強くて白い照明が赤城に当たって、眩しげな中で語るんだけど、そのあと大河が神崎のメモを見ているシーンでも同じように上手から今度は暖色の照明が照らし、ただ大河は奥側に座っているので眩しくはない構図で、それを上手から赤城が見ているのが象徴的だなあと感じた。大河と神崎って少し似てるのかもと思う。大河も春原に対して平気で絵が下手って言うし、神崎のメモにも結局決定的なダメージは受けていない。神崎は劇中で(上着は着せられるけど)たしかずっと白いTシャツかシャツ姿だったと思うが、最後一度はけてラストシーン黒い衣装に着替える。そしてかつての神崎と同じ白いロンT姿の大河が、神崎が冒頭座っていた椅子で神崎のように絵を描いているその向かいに座り、描くふたりの目が合った瞬間に暗転して幕。この終わり方が画的にすごくかっこいいと同時に、「一人でなんて、つまんないですよ」と集団創作の希望を語り、神崎から「向いてる」と評された大河が、いつか監督として健全な現場を作っていく未来にも繋がり得るのかもと感じて泣いた。眩しく光るものって直視できないから、それ自体がどんな姿をしているのかはよく見えない。神崎を眩しくないという大河だけが彼の孤独に触れ「逃げてもいいですよ」という言葉をかけることができて、それは「何も見えなくなったとしても、最後までついていける奴になりたい」赤城にはできないことなんだなと思うと…神崎が赤城を「努力の天才」と表すシーン、赤城の表情を見損ねてしまったので、そこをどうしても見たくてもう一回入りたい。めっちゃ書いてるのでお察しかもだけど天才になれない秀才がヘキなので(しかも人当たりの良いヒゲ…)赤城が好きです。でも神崎が辞めたあと赤城はちゃんと監督やれてるわけで、やっぱり自分の眩さを取り戻すには離れることが必要だったんだなと思った。


アニメ現場の話だが、語られる色々は演劇にも通ずると思う。大河が神崎に何がダメなのかわからないままにリテイクされるくだりは、稽古でわけもわからずダメ出しされる役者の声にも感じた。しかしこれは現実でも思ったことがあるが、自分自身で何かをする能力と人にそれを教える能力って別に連動していないはずなのに、できるなら教えられるという前提になることが多いのも危ないよなと思う。多分これまでは神崎の上に監督がいたから問題が顕在化してなかったんだろうな。あとそういう事情で人が足りていないことや、現場にお金がないこと、その中でも神崎が作品のクオリティを突き詰め続けることでどんどんスケジュールが逼迫していくのも演劇創作と通ずる。渡辺の台詞にもあったけど、お金があればちょっとはどうにかなることもあるはずなのだ。

そして何より大河が、自分ひとりでも自主制作アニメを作れるのにテレビアニメ現場に来た理由を語るときの言葉が、すごく演劇をつくる理由にもつながると感じた。みんなでつくるからこそ、ひとりでは行けないところに行ける。だから集団創作をする。


細かいけど、新人の姫宮に上司の竹内が紹介するという導入によって一般人には馴染みのないアニメ制作現場の分担をわかりやすく説明していたり、冒頭からあった雨漏りが、途中の大河が飛んだと思われるくだりにもラストのあの画にもつながっていたり(あと、現場にお金が落ちていないということも示している)本当にお話を作るのがうまい〜!と思わされた。完全に小さな会議室のワンシチュエーションで進むのもすごい。そしてパインテールという会社の名前…。ちなみに推しチケットを買うと、グッズを劇中で原稿やり取りに使ってるパインテールの封筒に入れてもらえて、回収帰りの姫宮の気持ちになれる。あとそれに劇中では神崎のハンコが押されてないんだけど、グッズのは押されてるということを保坂さんに教えてもらって感動した。本当に神は細部に宿るんだ…。

 

わたしはアニメ業界に詳しくはないのでディテールについてはわからないが、今回もきっと丁寧に取材して作られてるんだろうなと思った。過去にエンタメ系の小さめな会社で働いていたことがあり、キャラクター同士の距離感にどこかそれと近いリアリティ?を感じたため。あとこのテーマだけどしっかり笑えるシーンも散りばめられている。昭和なコケ方とか「働きの波動」とか、いつもお菓子持ってるのとか、でもいざというとき(ティザーの件や最後など)しっかりフォローするところ、渡辺のこと好きだったな。板挟みになりすぎた竹内が爆発するところも、全然笑ってる場合じゃないんだけど、さすがに笑った。

またややメタな話になるけど、この作品において登場人物それぞれを愛せることはすごく大事な気がしている。上にも書いた通り、ハラスメントはダメ!という勧善懲悪断罪になってしまったら逆にそれはフィクションすぎる。わたしはひとりひとりを好きになったからこそ、そこにある罪やジレンマと切実さをもって向き合うことができたと感じるから。本当にみんなよかった。ムシラセを観るたび、出演者全員最高!と思って出演者のことを好きになる。そんな演劇ってすごい。春原がずっと憧れていた神崎に名前を覚えられていないとわかるシーン、一瞬の表情の動きがすごくて泣いちゃった。

 

保坂さんの作る舞台がとっても好きなので、もっともっといろんな形で観れたら嬉しいなあと思う。今後の展開もめちゃくちゃ楽しみ。