言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

まだテーブルについていたい

果てとチーク「くらいところからくるばけものはあかるくてみえない」函波窓さんが好きなので観に行った。いろいろ思ったことはあるけど、全体としては好きだった。かなり情報量が多く、各所にモチーフが散りばめられているため、台本も読んだが自分がちゃんと拾えているのか全然わからない。


かつて存在した母恵会というカルト宗教団体コミューンで子供時代共に過ごしたルイ、ソラ、ミウ、ナツ。コミューンは地母神崇拝の名のもとに一妻多夫制をとって少女を信者の男にレイプさせており、太陽の巫女に選ばれたソラが教祖を殺害、自身もリンチされ亡くなったことで崩壊。そこから時が流れ、ルイが夫のキミタカと共に、大学の先輩・キリエに誘われオーガニック自給自足NPOであるヒラヤマ大地の恵み会に参加するようになったところから物語が始まる。大地の恵み会は母恵会の生き残りが新たに立ち上げたスピリチュアル団体だった。かねてから希死念慮に苦しみ、かつて母恵会の事件が起きた神社=ソラが亡くなった場所を死ぬために訪れたルイは、そこで突撃系YouTuberになっていたナツと偶然再会し、なぜか鍵が開いていた本殿の中に奇妙なものを見る。その日から、インターネットの盗撮エロ動画サイトを発信源に呪いの動画が広がる。観た者は赤い服の少女=ソラと巨大なミミズの影に怯え、やがて目を潰されて死ぬ。動画は拡散され死者は増加の一途を辿り、社会は機能不全に陥っていく。


ジャンルとしてはホラーらしいが怖いとは感じなかった。人はめっちゃ死ぬ。最終的にキリエの夫のマサヤ(東大卒証券マン、不妊に悩むキリエにモラハラをしていた、アングラ盗撮動画サイトを見ていて呪いにかかったことでキリエと立場が逆転し、ヒラヤマへの移住を強硬に勧める彼女をたぶん撲殺)と、ルイの夫のキミタカ(ルイに対し彼女が求めていない第二子の妊娠を要求し、実際妊娠させる、悪気なくシスヘテロ中心主義や母性信仰的な発言をする)は死ぬ。ソラとミウの母であるケイコもおそらく死んだと思われるシーンがある。

“お母様”がミミズなのは大地と結びつくこと、劇中のセリフにある雌雄同体という特徴、あと目を潰すという死に方はミミズに目がないことから来ているのかなと思っていたが、アフタートークで視線がひとつのキーになっているという話を聞き、そう考えると男性と女性がまなざす・まなざされるの関係になりがちな現代社会(その最悪な例のひとつが盗撮サイト)への反旗として目を潰すという表象になっているのか。


ルイはヒラヤマにいた頃に性暴力を受け、その動画が盗撮サイトで拡散されたという過去がある。ミウも同じ村にいたことを考えると同様に性的虐待を受けていたことが予想され、序盤の車の中での(この時点ではピンと来ていなかった)ミウからルイへのセリフが腹落ちした。ミウがルイに大丈夫でいてほしいと思うのは、それが正しいかは別として、自分も大丈夫だと思いたいからってことなんだと思う。また、ソラは当時ルイからそれを聞き、ルイにあんなことした奴らを全員殺す、と言って事件を起こし、ナツに一部始終を撮影させていた。ケイコは残った信者たちと共にソラと“お母様”=巨大ミミズの体をひとつにしたミイラを作った。それをルイが目にしたことで“お母様”の力と「ルイを一生守ってあげたい」というソラの思いが魔合体した形で呪いが発動したと理解したんだけど、ケイコの行動の動機がよくわからなかったな。母恵会は女尊男卑に見せかけて実際は女体を搾取するカルトという理解だが、ケイコは名誉男性的に搾取する側にいたのか、そうだとしたらソラの呪いを育てた理由は何?

あともうひとつ、現代社会の話という認識で観ていると、キャラクターたちがかなり抵抗感なく呪いの存在を受け入れていくことにちょっとギャップを感じた。マサヤだけは信じてない、精神病だという描写があるけど、そもそも動画を見たら死ぬって非現実的な話なのに、それを皆そういうものとしているのが結構戸惑う。実際に死ぬ人が増えたから信じざるを得なくなる、ということだとしたら変化の部分があまり見えないというか、転換で後ろに文字を投影して話を補足する演出があり、これ自体は別にわかるんだけど、クリティカルな部分(動画の説明や、たくさん死んだ、事態がどんどん悪化していくなど)がこれで完了していくので感覚としてついていけないのかも。


セリフで聞いているだけだと人間関係の把握がちょっと難しい気がする。ルイとミウが同い年なので同級生でソラはミウの妹、ナツも含めた4人は地恵会の村で育った(ルイは「野ブタ」を知っているので数年前まではテレビを観られる環境にいたようで、おそらく途中で親がハマって引越してきて、性暴力を受け動画が拡散されて巫女を降ろされ東京に戻った)、キリエとルイは大学の先輩後輩(ミウもキリエのことを知っているので同じ大学と思われる)、ケイコはミウとソラの母だがキリエはそのことを知らないしルイの過去も知らない、ミウもナツのスマホの動画でケイコを偶然見るまで母親が今何をしてるのかは知らなかった(縁を切ってる)、ミウの名字がサトナカなのは父親の姓ってことでいいのかな。ミウとソラって二卵性双生児?「学校来てくれないとぼっち」というセリフがあったのでソラとルイが同級生だと思っていたため、ミウとソラの関係性が最初わからなくて戸惑った。過去と現在のシーンが入り混じりながら話が進むこともあり、当パンに相関図とか、せめてテキストだけでも説明があるとより入りやすいかも…と思う。あと、めっちゃ細かいけどルイが31歳なので17歳当時が2009年ごろと考えると、iPhoneは発売されてたけどインスタはまだなかったんじゃないかな…。


アフタートークでもリプロダクティブライツの話が出ていたが、最後にソラを解放しようとルイが話すシーンで繰り返される「自分で決めていい」というセリフに強いメッセージを感じた。あと、ここの一人称がソラだけでなくルイも「うち」になっているのがいい。ここでルイがソラに対して「好き」と明確に発言するのは、ルイが同性愛者もしくは両性愛者であることを示したいのか?と思ったけどわからない。あと作中唯一生き残る男性であるナツは有害な男性性を持ち合わせない男性ということなのだろうか。

福井夏さんのソラが、最悪な状況下でもキラキラした高校生の煌めきと、人間離れした怪異の強烈な存在感を併せ持って印象的だった。川隅奈保子さん演じるケイコも、言い方が悪いがスピってる中年女性そのもので、人の心に入り込んでくる一見優しくて気さくそうな感じから、ミウやルイと対峙したシーンのざわつく感じが本当にすごい。函波さんのキミタカ、最初のなんかちょっと腹立つな…という余裕な感じのキャラから、呪われてどんどんおかしくなっていき、最後にルイと向かい合って話すシーンの追い詰められ方がとてもよかった。キミタカって暴力振るったり暴言を吐くわけでもないから、パッと見かなり無害に見えるのに、内面に理解し合えない断絶がある(自分が幸せな家庭で育って培った家族観を周囲に押し付けがち、ナチュラルに母性信仰、女性に自衛を求めるなど)造形が今をとらえてるなあと思う。ルイはキミくんって呼ぶけど、キミタカはママって呼ぶの、お前のママではないが?って気持ちになるな。しかし、キミタカとルイは本当になんで結婚したんだ…?ミウがルイに流されてるって言ってるから、キミタカからアプローチしたんだろうけど…。

 

白い布で包まれた机や椅子、中央に長椅子のブランコがあり、それが子供の頃のソラとルイが溜まり場にしていた廃車(どこにも行けない)と、現在ルイが運転する車に見立てられる。車を運転して目的地に向かうという行為も「自分が選択する」に通じるのかな。照明で蝋燭の火を使っているのが、そのシーンに間を生んでいて趣があるなと感じた。

 

「かんがえる果てとチーク ”だいじょうぶじゃない” 短編集」のときも少し思ったが、今回とみに家父長制や男性性への強めな怒り(というか正直に言ってしまえば憎しみ)を感じた。わたしは社会構造における怒りについては強く共感できるが、男性性への怒りというのはあまりわからず、そこが完全には入り込みきれなかった理由かもしれない。最悪な男もいるけど最悪な女もいるし、男と女だけでもないし…マサヤは確かにどうかと思うけど、キミタカに関しては(妊娠が故意だとしたら全く違うが)そこまで断罪されるべき人格か?という疑問がわく。ナツが結婚の話されたくないくだりとかも、もちろんデリカシーはないし、ナツのセクシャリティもわからないわけだし嫌な気持ちになるのもわかる、わたしも自分が言われたら嫌、でもだからといって全部シャットアウトしてぶっ殺したくはない、それよりそういうのをやめろ!と言っていきたい。ミソジニーVSミサンドリーの話らしいが、その双方を爆破したい気持ちがある…ここまで書いて思ったけど、これがまだ対話の可能性を信じたいということなのかも。アフトでも出ていたがキャラクターたちが全員互いに遠い。

でもわかんないな、これは自分語りになってしまうし万人に当てはまるケースだとは全然思わないんだけど、わたしは有害な男性性が皆無な男性である配偶者と出会ったことで男性への怒りや嫌悪がかなり薄まったという自覚があるので、5年前くらいの自分だったらそっちにも共感してたかもしれない。SNSを見ているとミソジニーへのカウンターとしてのミサンドリーの声は大きくなっていると感じるし…というかこれ男性の観客はどう思ってるんだろう。しんどくないのかな。でもフェミニズムと宗教どっちに軸を置いた感想かが観た人によって違うらしいので(わたしは明確に前者)見えない人には見えないのかも。