言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

光と影が焼き付いた

ムシラセ「瞬きと閃光」感想。去年山崎丸光さんが出ていたので観に行った本公演がめちゃくちゃおもしろくて、今年もすごく楽しみにしていた。そしてその期待をさらにぶち超えて良かった、ということをずっと書いています。台本を買ったけどまだ読めていないので、記憶違いがあるかもしれないのと、一部の役名表記がわからないんですが、とにかく今の感情で書いておきたいので一旦書いて後で直します。ネタバレがすごいです。


名門女子校(たぶん雙葉がモデル?)の写真部が舞台。頑固な才女で放送部掛け持ちの彩加、演劇部掛け持ちで恋に恋する亜蓮、神社の娘で大人びたかの子、老舗和菓子屋のお嬢様でふわふわした仁胡、写真家になりたい元気な未莉。たぶん未莉と仁胡、彩加と亜蓮が特に親しい。あとやる気のない男性教師の槙本、槙本に恋する真那、ロボっぽい綾目、長年学校に勤める教務主任の八雲という教師陣、役者をやってるバイト用務員の疾風、写真部の部室に現れるおばけがメイン登場人物。真那、綾目、八雲は皆卒業生。中盤仁胡の姉が出てきて、ここはWキャストらしい。わたしが観た日はギャルの長女・麻胡だった。

ある日、未莉は部室でもじゃもじゃ頭のおばけ(通称もじゃ)と出会う。もじゃは生前写真家で、写真家になりたくてコンテスト入賞を目指す未莉は彼女と交流し写真について教えてもらう。もじゃは未莉にしか見えないので、そこですったもんだありつつも、学生最後の写真コンテストと文化祭に向けて日々が進んでいくが、仁胡の撮った未莉の写真がコンテストの一次を通過し、未莉は落選したことから衝突が起きる。同時にもじゃが何者かも明かされていく。もじゃは真那の同級生・ひかりで、ひかりと真那はちょうど未莉と仁胡のような事情の仲違いによって交友がなくなったまま、ひかりは事故で亡くなった。

 

群像劇だけど、途中までは他の登場人物についても描きつつ、わりと未莉が主人公っぽい印象だったが、後半事態が動いてからは大きく3つの物語になると感じた。①未莉と仁胡、②ひかりと真那、そして③彩加と亜蓮とかの子。①と②はとても似た関係で、だからこそ未莉と仁胡はひかりと真那にあったことを聞き自分たちの関係を修復することができるし、同時にある意味では時を超えた自分たちであるひかりと真那を、写真を撮ることによって救うことができる。未莉が「おばあちゃんになっても友達でいたい」と言うシーンが本当に尊かった。未莉役の輝蕗さん、初めて見たんだけど、元気でちょっと子供っぽい高校生をやりすぎないギリギリのラインで成立させていてすごい。めっちゃかわいい。というか高校生たちが全員本当にかわいくて、健やかに生きてくれ…という気持ちに満ち満ちるし、それを見守る先生たちも素敵。特に八雲先生の佇まいが素晴らしい。こんな先生に出会いたかったよなと思わされる。

ひかりと真那、未莉と仁胡の間に生じたすれ違いは十代の頃を思い返すと本当に身に覚えのあるものだ。歳を重ねると(自分は)良くも悪くも他者と自分を比べて何かを感じるということがあまりなくなり、それは全てに鈍感になってきたとも、裏を返せば自己が確立されてきたとも言える気がするが、大学生くらいまでは本当にこういうことで悩んでいた気がする。


彩加と亜蓮とかの子のパートは彩加の言葉によって真那が自分の過去を思い出すきっかけとして作用しつつ、単体でも非常に強いインパクトがある。事前にルッキズムの話であるとTwitterで見ていて、その部分を大きく担っている。彩加は報道アナウンサーになりたいが、女性のアナウンサーに求められる美しい容姿が自分にはないと感じている。そのため在学中に部活で目覚ましい入賞をして親を説得しようと考え、戦略的に動くも、自身のヌードをコンテストに出したことが問題視される。彩加というキャラってこの物語の中で女性が直面している社会的な状況をかなり背負っていて、彼女の発するセリフのひとつひとつが切実さをもって突き刺さってきた。このパート、真那と彩加、仁胡と未莉の衝突が並行して描かれるので、仁胡未莉パートの間も舞台上にいるんだけど、スポットが当たっていないときも彩加役の中野さんが唇を噛み締めて怒りと泣く直前の顔をずっとしていて、感情をまったく切らしていなくてすごいな〜と思った。でもかの子のアドバイスを受けた亜蓮が彩加の道を開く。亜蓮は中盤自分には夢がないと言うけど、だからこそ彩加に「(海外に)あたしが一緒に行ってあげる」と軽く言えるわけだし、またかの子は実家の神社を継ぐことを決めているけど、それは自分の意思で望んでいることなので、そんな彼女が家を継がなくたっていい、と彩加に言うのはとても救いだ。通り一遍の感想になってしまうけど、彩加に友達がいてよかった…と思う。


彩加の「わたしは賭けに負けたんです」あたりからもう泣いていたが、ラストシーンで出てきたひかりがタイマーセットされたカメラのファインダーを覗いてシャッターが切られた瞬間、ひかりが写真を撮れたことに大号泣した。そのままカーテンコールになり、最前列だったのでとても恥ずかしかった。わたし想像力に乏しい人間なので普段そんなに舞台観て泣くほうじゃないんですけど、去年も「ファンファンファンファーレ!」のきぬちゃんとあさみんの漫才で引くほど泣いたんだよな。保坂さんの書く人間と人間のぶつかり合いには人の感情を揺らす力がある。

 

前回公演でも思ったが、今回で言うと女子高校生の解像度がすごく高い。わたしは共学出身なので厳密にはわからないけど、周りに女子校の友達はいたし、文化祭とか遊びに行くと女性だけであることによる息のしやすさはあるんだろうなと感じていて、それが舞台上に表現されていた。演劇部のこと、劇部って言うよね…とか、細かな台詞回しにもリアリティを感じる。この間の妖精大図鑑でも思ったのが、細かく作り込んだものを、いかにも作り込みましたって顔せずにスッと出す演劇が好きなんだと思う。


セットが大天才。天井から吊られた枠で窓を表現するような抽象的な美術。ざっくり4つ空間があり、上手(屋上)中央(写真部部室)下手(校内のどこか)前方(玄関)という感じだけど、その限りではない。終盤、真那とひかりの写真を撮ろう、というところでずっとあった机と箱を片付けると、なんとそこが白ホリのスタジオになっている。よく見たら最初からそうなるようにデザインされてるんだけど、この瞬間まで全然気づかなくてはっとした。あと生徒は制服だから同じだが、教師陣は日が変わると衣装をちゃんと着替えているのがすごい。


部室で未莉と仁胡がぶつかるシーンを上手の棚の上から見ているひかりと、玄関で彩加に怒りをぶつけられる真那が対角線上でそこにピンスポが残り、ふたりの過去が明らかになるのが見せ方美し…って思った。冒頭、完全暗転から一瞬のフラッシュでひかりの姿が垣間見えるオープニング、仁胡が眠っている未莉の写真を撮る夕暮れの部室のオレンジの光など、照明も印象的。オープニングのひとりぼっちで座っているひかりと、ラストの集合写真のファインダーを覗き込むひかり、このふたつの絵が目に焼き付いた。ひかり役の工藤さやさんたぶん初めて観たんですが、ずっと自然体で決められたセリフじゃないみたいに見えるし、感情表現もすごく大きいわけではないのにとても心に残る。素敵だ。というか繰り返しになるけど演者が本当に全員いい!きっと演者同士の相乗効果的なものもあるんだろうと感じた。


セリフがすごくよくて、早く台本を読み返してひとつひとつ噛みしめたい。いいセリフがたくさんある舞台を観てるときって、嬉しさと焦りが同時にくるというか、どんどん流れていくきらきらしたものを全身で浴びているみたいだなと思う。物語は進んでいくからひとつひとつの言葉を手に取ってまじまじ見て脳に刻む余裕がない!でも今すごく素敵なことを言ってる!という気持ちになる。「神様も亡くなった人も同じで、そこにいると思えばいるし、いないと思えばいない」というのが特に心に残った。今回、出演予定だった松尾太稀さんが亡くなってしまい、でも松尾さんは劇中に確かに存在している。わたしは彼を舞台で見たことはないんですが、この物語に出演していたらどんなふうだったんだろう、観てみたかったな。ひかりが女性写真家として生きることについて語る言葉や、疾風と亜蓮や槙島の会話にある演劇についての言葉は、切れば血の出る手触りがあって、これは写真家であり演劇をやっている保坂さんだからこそ書けるものなのではないかと思った。あと後半の展開に関する情報が随所に散りばめられているので(写真部で最後に賞をとったのは10年くらい前とか、槙本が早く帰りたがる理由とか)観ていて物語から突き放される瞬間がない。


劇中にもあるんだけど、写真は光なので(フィルムを感光させることで像を焼き付ける)同時に影もないと成立しない。未莉が仁胡、ひかりが真那に対して抱く羨望は明るい感情ではないけど、そういう影を微かにはらみながらも、彼女たちの間には確かに友情という光がきらめいているし、そのコントラストこそが学生時代にしかない鮮やかな残像を生むと感じた。総合して本当に感情を揺さぶられた。絶対観てほしい。

支配被支配の三すくみ

壱劇屋「戰御史」感想。8月に観た「憫笑姫」でアクションモブやってた小林さんの殺陣がよくて、岡村さんとW主演と聞いて楽しみにしてた。全部ネタバレです。


セリフがない殺陣芝居なので、細かいストーリーは観客の解釈次第な部分があると思うけど、とりあえず台本と突き合わせて自分が理解したあらすじ。戦をしているらしい世界(主人公・表助たちの軍である帽子をかぶった勢力と、かぶっていない敵勢力がある)表助と仲間の後助は行軍の途中で雨に降られる。表助は屋敷に迷い込み、ろうそくを持った謎の男に出会う。最初は友好的に見えた男だが突然攻撃してきて、その場にあった武器を手に取り応戦した表助は意識を失い、過去の記憶の幻覚を見る。違う武器を触るたびに(サーベル→死んだ仲間、長巻→かつて倒した敵の野武士、銃剣→かつて倒した敵の女首領など)新たな記憶の断片が見え、だんだん話がわかってくる。表助はおそらく二重人格で、意識を失うことで見るものすべてを殺すバカ強いバーサーカーの別人格(これがろうそく男)と入れ替わり、鎮静剤を打たれると元に戻る。表助自身はそれを知らず、後助が彼を操っていた。だから後助にろうそく男は見えず、表助とろうそく男の戦いは身体の主導権争いである。後助は表助を始末しようと手勢を集めていて、追い込まれた表助はろうそく男と代わって乗り切ろうとするが拒否され、精神世界の中で自殺し、身体をろうそく男が奪い、後助を殺そうと追う。ここ、そこまでの殺陣を総ざらいしながら追っかけるのがとてもすごい。最終的に後助が薬を打って入れ替えても、表助もろうそく男も一致して後助を追ってきて、観念した彼を斬り殺す。ラストは冒頭と同様雨の中をひとりで歩く表助が屋敷に迷い込み、ふたたびろうそく男が現れて刃を交わす瞬間で暗転して幕。終わり方かっこいい。


この作品は壱劇屋の5ヶ月連続公演の4作目なわけですが、事前に劇団Twitterで、ここまでの作品とは毛色が違う的な投稿を見かけていて、確かに全然違う。ウェットないわゆる「人情」要素が全然ない。ずっと渇ききっている。そして繰り返される暴力、戦闘、殺戮。めちゃくちゃ好き!!!


これは支配と被支配の話だと思うわけです。序盤から表助は戦いの場で意識を失い気づくと敵が倒れているという描写があるんだけど、後助は笑顔で肩を叩いて労い、彼を軍に迎え入れる。主従ではなく対等なんだろうけど、表助は精神的に後助に支配されていると思うし、だから後助の前で膝をついて縋る。でもそんな表助を始末しようと冷酷に刀を振る後助は、一方で表助の別人格であるろうそく男をコントロールできておらず、女首領との戦いの際には一瞬殺されそうになっている。そしてろうそく男は表助の従人格なので、あくまで彼が意識を失わない限り表には出られず、身体の中で隷属している。三すくみのかりそめの安定がある。


これは想像だけど、後助が表助を便利な道具として使いすぎたことによってろうそく男の自我が強まってしまい、表助に対して主導権争いを仕掛けたのではないか?そして争いの結果(争いは物理的な殺陣でもあるし、表助からすると何も知らずに仲間だと思っていた後助の真実を知らされることによる精神的揺さぶりでもある)表助がろうそく男に一度身体を明け渡した(精神世界での死のシーン)ことにより、両者間の主従構造がなくなりフラットになった。後助を殺すという目的の一致によって一時共闘したふたつの人格が、永劫終わらない主導権争いを続けるというエンドなのかなと思う。


もう本当に野口オリジナルさん演じる後助が良すぎる。岡村さん演じる表助よりも小柄で知略型の優しげな後衛っぽい登場から、過去が紐解かれる中でだんだん見えてくる冷徹さと怖さ、そして終盤で表助がろうそく男になってからの一転して追われまくって怯える表情…こんなに見たいもの全部見せてもらっていいんですか??って感じだ。階段の上でろうそく男に詰め寄られるシーンの怯えてこわばった顔!あれだけアクションしながらも細部の演技と表情で細かい心情まで客席に届けてくるのがまずすごいし、あとめちゃくちゃ正直に言うと色気が超すごい。色気って何なのか説明するの難しいけど、個人的には「足掻いてる顔が見たい」な気がするんですよね…だから終盤ありがたすぎた。あと後助の最期が客席に背を向けて膝をついて武器を捨てる姿なのがすごい好き。野口さん、今年前半にグリマダで見たときも良い意味でうさんくさい役で好みだったけど、セリフゼロでも素敵。


岡村さんの表助は良い意味で何も知らない主人公が似合っているし(クライマックスで後ろに下りる垂れ幕のイラストは髪を結んでいるので外見的には表助なんだと思った)、小林さんのろうそく男は戦うとき顔を撫でて満面の笑顔に変わるのがすごくザワザワする。ろうそく男が後助を追うシーンの殺陣、大型肉食獣が獲物を追っかける姿そのものって感じの野生みだった、運動神経がぶちぬけてませんか?腰くらいの高さの台に手使わず垂直跳びで飛び乗ってた気がする。あと主演ふたりともやってた、左右から台に挟まれて飛び上がって回避するやつすごすぎん?ヒヤヒヤするわ。


殺陣がめちゃくちゃ多いんだけど(どの作品も多いが、その中でも飛び抜けてる印象)そこに派手な見せ方はあるけどポップさはあまりなくマジの殺し合いって感じで、顔の皮剥いだりエグい瞬間もあるのが、作品全体の影のあるトーンとも繋がっている印象でとても好きだった。なんか憫笑姫がマンガ、賊義賊がアニメだとしたら邦画っぽい印象(心踏音は見れてない)それも白黒のやつ。なんかこう書くと陰鬱な感じに思えるかもしれないが全然そんなことはなくて、カラッと爽快感のある乾いた暴力なのでみんな観たらいいと思います。わたしももう一回観たい。あと終演後に頭爆発しそうになってるタイミングでおかこば対決(劇団員チャンバラ合戦)を見ることになり、温度差で情緒がおかしくなった。劇団って家族みたいでいいね。

時を経たアップデートの手触り

7年前の初演「クロスジンジャーハリケーン」で梅棒に狂ったオタクが書く、「シン・クロスジンジャーハリケーン」感想。考えすぎかもしれない。全部ネタバレです。


初演と大まかなストーリーは同じ。離島を舞台に、すいーつさん演じる都会からやってきた女性・ゆうきをめぐって、としょさん演じる野球少年・将大とそのライバルが争う。将大は織田信長、ライバルは明智光秀の生まれ変わりであり、かつて信長に仕えていた落武者の霊(梅さん)が将大をサポートする。


大きく違うのはライバルの設定。初演のライバルである砦くんは遠藤さんが演じていて、地主の息子でチャラいチンピラ。ゆうきにもガンガン迫り、わかりやすい悪役として描かれていた。また、ちゃんと記録していなかったので細かい部分が曖昧ではあるが、確か後半砦くんの行動がエスカレートしていくのは信長と光秀という前世の業に操られたような形で、最後鳥居が倒れるくだりで正気に戻る描写があった記憶がある。


今回のライバルである舟戸は多和田くんが演じているんだけど、そもそも島の人間ではなく、ゆうきを追ってきた元彼。一見イケメン好青年だが、実のところモラハラの気質があり、それに耐えかねて別れを告げたゆうきを探していた。外面の良い彼は島の人々とも打ち解け、中盤ゆうきを取り戻すために将大が邪魔だと考えると嫌がらせを始めるが、それが舟戸の仕業だと訴える将大を島の人間が全然信じてくれない。多和田くんの演技がとても良く、舟戸が島に上陸したときから、ふとした表情とかで何となく観客の心をザワザワさせ、回想シーンを経て本格的に悪役になっていく。ゆうきを薬で眠らせてウェディングドレスを着せ無理やり結婚式をあげようとするが、色々あって皆に本性がバレ、島の伝統的行事である島一周競走で対決することになるんだけど、今回は別に何かに操られているわけではないので、舟戸は素でああいう人なんですよね。だからずっと怖い。


初演観たときは何も考えていなかったけど、自分も歳をとって色々考えるようになったので、結構今回観客としての姿勢を定めづらかった。めちゃくちゃ現実の話をすると、ゆうきの立場からしたら都会でモラハラに遭って知らん島に来て突然男たちに恋されて色々アプローチされるの怖すぎるじゃないですか。だけどそういうことをどうこう言う作品でないのもわかるし、だからリアリティレベルをかなり下げ、逆ハーものの漫画とかの気持ちで見ていたんですけど、舟戸で突然解像度バカ高のモラハラサイコパス男をお出しされてしまったので、マジでどういう感情で観ればいいのかわかんなくなっちゃった。多和田くんがうますぎるんだよな!あの万人を虜にしそうなチャーミングすぎる笑顔と、自分の邪魔になる存在に対する羽虫でも見るような温度のない視線の使い分けがお見事です。


ここからは完全な個人的解釈なんですが、今回も初演同様、途中から前世の業に操られてた形にすることもできたと思うんだけど、なぜそうしなかったのか?という話。舟戸とゆうきには島に来るより以前から関わりがあり、当時から舟戸はゆうきに対して加害的だった。操られてた設定にしてしまうと、その部分がどこまで舟戸自身の責任なのかが曖昧になる。悪役としての舟戸の設定ってかなり今の時代に即したものだなあと思っていて、砦くんが無理やり抱きしめたりと直接的な加害だったのに対し、舟戸は不機嫌になったり束縛することでゆうきをコントロールしているけど、わかりやすく暴力を振るったり暴言を吐いたりするわけではない。だからゆうきは物語の序盤、ラジオ番組へのハガキで舟戸のことを悪く書いていないし、自分自身でも別れを告げたことが正しい選択だったという自信を持ちきれずにいる。でもこの物語を経て、最後にゆうきは自分の手で舟戸に指輪を返す。モラハラによって支配され自分を失っていた女性が、自分を取り戻していく物語でもあると感じた。初演のゆうきはマドンナだったけどどちらかというと受身の存在で、彼女自身の物語を強くは読み取れていなかった記憶なので、そこが強まった印象がある。まあ舟戸の行動は普通に捕まるやつだから、ふわっと終わらせていいのか?というのはちょっとは思ってるんですけど…。


繰り返しになるけど、東京千秋楽で砦くんを観て即大阪遠征を決め、そこから今に至るまで7年梅棒を観ていくきっかけになったくらい自分にとっての砦くんの存在がデカくて、だから「シン」になっているとはいえ砦くんのいないクロスジンジャーを観て自分がどう思うのか本当に怖かったが、違う作品として楽しむ(?)ことができたので良かった。というか多和田くんという好青年の概念そのものみたいな人を敵役におく上で最適解なキャラ造形だと思うので、やっぱり今人さんはすごい。これをきっかけに多和田くんにドラマとかのモラハラ彼氏役オファー来ないかな。あとイケビッシュと、ピーポくんを攻撃されるとブチギレる竜彦さんが面白すぎました。あと6回観るのでどうなっていくのか楽しみだ。

行間を読みきれない

「トリガーライン」初見の団体。寺内淳志さんを観に行った。ネタバレしています。


あるテーマパークの設備耐久性にまつわる内部告発をめぐって、BSの報道番組制作チームとテーマパーク運営企業の攻防が繰り広げられる物語。内部告発者である元社員のインタビューを放送しようとする番組に、会社は様々な方法で圧力をかける。なんというか、あんまり細かいところを重視しないタイプのテレビドラマっぽさがあった。どちらかというと登場人物の心情吐露に尺が割かれているので感情面での共感はしやすいが、物語の細かい部分はいろいろ気になる。最終的に設備耐久性の件を隠蔽しようとしていたのは、その影にある粉飾決算の事実を隠すためで、なおかつその事実を社長は知らず、右腕である総務課室長の水島が指示していた、ということを番組のキャスターが突撃取材の場で突如指摘して、それでふたりとも崩れ落ちる…みたいな流れなんだけど、粉飾を知らなかった社長が動揺するのはまだしも、室長はそこまでやるなら(ここまでのクールなキャラもあり)さすがに言い逃れ用意しとけよという気が…刑事ドラマで崖に追い詰められて独白し出すのを連想しちゃった。この前の吉川から水島への「もうどうしたらいいかわからないんでしょう」みたいなセリフが伏線なのかもしれないが。水島の行動原理がいまいちよくわからん。


あとこれはわたしの理解力の問題と脚本の説明不足の両方だと思うんだけど、他にもいろいろわかんないことが多かった。

福山は社長と同じ施設で育った人間で、非行など(高校中退って言ってるし)何か後ろ暗い過去があって他人の名前を借りて裏の仕事をしている、社長は会長から頼まれたか、単に施設のよしみで福山を使っているということなんだろうけど、最後百瀬は福山を何の罪で通報したの?指名手配かなんかされてるの?あと安藤の息子はねたのって福山?(車買い替えてるから)

最後吉川が電話をかけて相手が出なくて爆笑して終わるのは、福山が度々電話してた相手(オウム)は吉川ってこと?会話の内容細かくは覚えてないけど金がもうすぐ入る、みたいなこと言ってて、福山は吉川に金の借りがある?なぜ?

吉川は倉庫で財務諸表見てたから百瀬が番組チームに渡した粉飾の証拠は吉川からだと思うんだけど(倉庫番でこんな大事なデータ触れるのも謎だが)福山が百瀬に売った個人情報のネタはなに?(人の個人情報を見るのは〜みたいなセリフあったよね?)社長の過去を売ったんだとばっかり思ってたら違った。これが財務諸表なのか?あと福山を刺したカラスってマジで何?最後に知らない概念を出さないでほしい。助けてくれ。

これを書きながら思ったが、平山が部品の耐久性不足に気付いたのって課長から資料整理を頼まれたからだけど、この課長って吉川?(普通に考えたら設備課の課長だが…)もしそうだとしたら吉川が全部を仕組んでいる?倉庫番から広報に戻れたのは粉飾決算に気づいて水島を脅したから?考えてたら何もわからなくなってきた。

水島が弁護士資格持ってるってたびたび言うのが何かの伏線なのかと思ったが、別にそういうわけでもなかった?


いろいろ言ってしまったがキャストはみんな良い、特に桧山征翔さんの福山が軽薄に振る舞う中にも薄ら寒い怖さと、最後に一抹の哀愁や孤独を感じさせてすごくよかった。平山が吉川に信じてくれる人を探しなよって言うけど、それで言うと福山のことを信じてくれる人はいないんだよな(もちろんそういう生き方をしているからもあるが)終盤、百瀬と福山の夕暮れの部屋でのシーン、照明も含めて心に残った。林田さん演じる百瀬も、ずっとあえてやや薄暗がりを歩くことを選んでいるような屈折とニヒルな食えなさを感じさせて趣きがある。終盤の杏実えいかさんの中谷もめちゃくちゃキャスターだったし、色々なことを経てきたからこその、ここ一番で見せる揺るぎない強さがとてもハマっていた。鍛治本さん演じる社長は人間すぎるほど良い意味でも悪い意味でも人間味に溢れていたし、寺内さんの吉川は最後空いた椅子にひとり座り高笑いするシーンでそれまでのやや情けない印象から一転して怖かった。吉川がいちばん内心がわかんなくて怖い。

ただ感情が強まるシーンで大半の人間の声のボリュームが大きすぎると感じてちょっと辛かった、特に叫ぶシーン。人が入っている回だと音が吸われるからあのくらいでいいのかもしれないが…。


正義と悪を明確に切り分けないというか、ひとりの人間の中にもそれらが同居する部分があり、それでも正しさを求めようとしてギリギリのラインで足掻く姿を描きたいのかなと思った(最後藤堂が上と取引して番組を残し出世するのなんてその最たるものだし…)あと倉庫で話すシーンの反響がほんとに倉庫だったな。

「即興」の意味

エン*ゲキ#06「砂の城」アンサンブルダンサーに見たい方がいたので観に行った。あんまり褒めてません。


ストーリーはかなりシンプル。両親を亡くした地主の息子・テオは地元領主の娘・エウリデュケと結婚する。同時期に国王が崩御、王子ゲルギオスが王位を継ごうとするが、遺言で継承権は庶子レオニダスに渡される。平民の生まれながら王族入りを目指す野心家の宰相・バルツァはゲルギオスから王位と引き換えに後見の地位を約束され、レオニダスを探し出し殺そうとする。エウリデュケの家の奴隷として暮らしていたレオニダスは、王位継承者として王宮へ連れて行かれるが、ゲルギオスの差し金で謀反の疑いをかけられ放逐、テオと偶然再会する。レオニダスとテオは希死念慮という同じ闇を抱えており、初めて互いを理解し合う。同性愛者のレオニダスはテオを愛するようになり、ふたりは身体を交わすが、テオの行動を怪しんでいたエウリデュケと、エウリデュケを密かに愛している幼馴染のアデルがそれを目撃する。エウリデュケとアデルは関係を持ち、それをテオが知り、夫婦関係は崩壊。一方レオニダスはバルツァが放った追手に再度囚われる。テオは止めようとするが、レオニダスはテオのことを知らないとかばい、王宮へ連れ去られる。裁判が行われ、死刑を宣告されたレオニダスは落ち着きはらった様子で、ゲルギオスに人を愛することの覚悟を説く。アデルは街を去り、エウリデュケと再会したテオは復縁を求めて拒絶され、首を吊って死ぬ直前に王になったレオニダスの幻影を見る。「君に殺されたい」というレオニダスの首を絞め、最後木にぶら下がったテオの死体が揺れる前で他キャストが歌い踊って幕。


「即興音楽舞踊劇」という作品で、ところどころ歌と踊りが入る。ただ正直大半の演者の歌唱が微妙だなと感じていて、終演後に歌のメロやダンスの動きが即興である旨を知り、なるほどと思った。皆どこか探り探りというか、歌に抜けがなくて声量が乏しかったり、音程が危うかったりというのは、その場でメロを考えているからなんだと思う。そう考えると即興にしては相当成り立っていたと思うけど、そもそもそれって意味あるのだろうか。ダンスがインプロなのはその場に閃く感情の表出としてまだ理解できるが、歌はセリフも兼ねていて感情だけじゃなく情報も伝えないといけないことを鑑みると、即興であることによるネガが大きいと感じた。あとミュージカルにおける楽曲のメロの重要性を無視しすぎでは…とも思う。メロ自体に強度がないと全く記憶に残らない。


この作品については観ながらいくつか危うさを感じる点があった。まず台本読んだらセリフは全部書かれている。ただそのとおりでなかった部分も多いのと、口論するシーンで急にセリフの言い方が口語的になった印象があるので、演出で縛らないという意味の即興でもあるのかもしれないと感じ、後半に加害的なシーンや性行為シーンがあるため、そういったシーンも即興要素を含んで作っているとしたら危険なのではないかという不安をやや覚えた。特にメインキャストに女性がひとりしかいないので。


また架空の国の世界観(古代ギリシャみたいな感じ?)なので線引きが難しいが、劇中で迫害されるセクシャルマイノリティという存在を描く上での作り手の覚悟や知識がどこまであるのかは正直気になった。便利な舞台装置にしていないか?レオニダスはセリフにもある通りおそらく男性しか愛せないのだろうが、テオの描き方はそうではないと思う。テオがレオニダスと出会ったことで己のセクシュアリティを自覚、もしくは過去から密かにそう自覚していたのであればエウリデュケと再会した際の復縁を求める台詞は出ないだろうから。というかテオは他者を愛するという感覚がないのではないか。エウリデュケにせよレオニダスにせよ、自分に対して感情を向けた・求めたからそれに返報しようとしているにすぎない様子に見える。


総合して、即興によるメリットをわたし個人としてはあまり感じられなかったんだけど、じゃあ即興にしないで作り込むとして、この脚本がそれに耐えうるのか?と言われると、それもよくわからないので(即興表現のボリュームが多いことを前提としたシンプルなストーリーという気もするため)なんともいえない。


好きだった点は絵作り。アイボリーと白で統一された衣装と、舞台上に敷かれた砂。踊りながら砂を撒くのは美しかったし、首を吊ったテオの死体をアンサンブルが揺らす下で、他キャストたちが手を叩いては首を絞め合う振付で歌い踊るラストは悪趣味すぎて逆に突き抜けていた。あとこれをどこまで演技として消費していいのかわからないが、エウリデュケとアデルに裏切られて以降のテオの強烈な危うさは良くも悪くも記憶に残る。中山優馬さんの目が車のヘッドライトみたいにギラギラしていた。池田さんのゲルギオスも本当に他人を虫けら程度にしか思ってない王子という感じだったし、だからこそバルツァとの一筋縄ではいかない関係性が光っていた。バルツァもよかったな…最後の「地獄でお会いしましょうぞ」で持って行かれた。アデルも声量含めて歌がいちばん安定していたのと、役柄もあるだろうが全員が停滞してて正直眠気を感じていた中盤で、パーンと抜けのある強い感情表出を見せてくれたのがよかったな。あとアンサンブルをはじめとしたダンスが皆美しかった。

失敗を忘れずに語り継ぐ

アルキメデスの大戦」脚本演出が劇チョコタッグで、岡本さんが出演して、照明が松本大介さんは見るしかない!と思って行った。おけぴで譲ってもらったのがまさかの2列目で、こんな距離で鈴木拡樹さんを見ることは今後一生ないのでは…と思ったり。元々はマンガで、菅田将暉主演で映画化もされてるけど全く未見。


あらすじ。太平洋戦争前夜、海軍では空母を新たに建艦し航空戦に力を入れるべきと考える山本五十六らと、旧来通りの考えで超大型戦艦を建艦するべきという勢力が対立していた。超大型戦艦の建造費見積に偽装があると見た山本はそれを暴いて空母案を通そうと考える。主人公の櫂は天才的な数学センスを持つが、書生として身を置いていた大手造船会社と軍部の癒着を批判し職を追われ、帝大数学科も退学となったばかり。山本と出会った櫂は、今超大型戦艦を建造したらアメリカと戦争になる、それを止めるためだと口説かれ、建造費見積の偽装を暴く計画に取り組むことになる。部下としてつけられた田中少尉と共に紆余曲折ありながら決戦会議に挑み、一度は大型戦艦案を退けるが、実は戦艦案の裏にはある狙いがあった。また、山本も決して反戦派というわけではなく、日本は戦争へと進んでいき…。


とてもよかった。というかこの原作を舞台化しよう!クリエでやろう!古川さん脚本日澤さん演出でいこう!と決めたプロデューサーがすごい。これは勝ち確じゃん。絶対面白いじゃん。戦争ものって、ドラマチックにしようと思えばいくらでもできるけど、きちんと作らないととても薄っぺらく見えるリスクがあると思っていて、その点しっかりした台詞と抑制された演出で安心して見れた。なおかつ、劇団公演よりはエンタメに振っているというか、かわいいシーンやラブストーリー要素もあり、あと舞台装置をいろいろ使うのでその印象の違いもあっておもしろい。例えば山本と櫂が初めて会う宴席のシーン、これ劇チョコだったらお膳だけ出して表現するやつ(戦争六篇で見た)で壁と座敷が出てきてる!と思って楽しかった。別にセットに関しては充実してる方がいいというわけでもないと思うけど、多分いろんな人が観に来る作品なので丁寧な見せ方になっているんだと思う。


作品のテーマとしてはラストでも語られる通り「太平洋戦争という失敗の歴史を忘れずに語り継ぐ」という趣旨が明確に示されている。ラストの田中の「末端だろうと止められなかった」「わたしたちの、わたしの責任です」という言葉が胸に残る。生きて次の世界を作る櫂と田中が自分自身の責任を語ることで、その延長線上にいるわたしたち観客も自らを省みることになる。あと夏に劇チョコの戦争六篇を観たので、櫂の「沖縄は地獄だろうな」という台詞でちょうどこのころ「ガマ」の人々が体験していたであろうことを思い出したりして、そう考えると櫂や田中は上層部でこそなくとも、十分に責任があるよな…という見方にもなる。

これは原作のおもしろさでもあるんだろうけど、手に汗握るストーリー展開によって観客を作品に没入させながらも、田中のセリフに「始めてしまった戦争をコントロールすることは誰にもできない、だから戦争を始めてはいけない」とある通り明確に反戦のメッセージを発している。その伝え方がうまいと思う。あと海軍上層部が意図的にめちゃくちゃ幼稚な人間として描かれていて、大角と嶋田が大和の模型ではしゃぐシーンとか笑っちゃいそうになったが(笑い事ではない)だからこそ決戦会議の後に山本が空母の模型で遊んでるシーン、お前もか…という気持ちでずーんとなった。

もうひとつ、国民の血税を軍備に使うことを批判するくだりで、軍は税金を懐に入れたら自分の金だと思ってる、というような台詞があったが、これは軍を政府に変えたらまるっきり今の日本と同じなので、痛烈だなと思った。


俳優で知ってたのは岡本さん除くと鈴木さん宮崎さん小須田さんで、他の人は舞台では初見。平山役の岡田浩暉さんがめちゃくちゃよかった。平山は前半櫂たちと対立するが、一方で財閥と癒着し堕落した大角や嶋田とは一線を画している。決戦会議で櫂から設計案の不備を指摘された平山はそれを認めて自案を撤回、櫂と平山の間には技術者として通じ合うものが生まれる。そして平山は櫂に大和の模型を見せ本当の計画を伝える。平山は対米戦は絶対に負けるが、もう避けられないと考えているからこそ、戦艦大和というシンボルを作りそれを戦争の中で沈めることによって、日本がうまく負けられる形を作ろうとしていた。大日本帝国依代としての大和。このくだりは完全に想像を超えていて圧倒されると共に、沈めるための船、生贄を生み出そうとする平山に胸を打たれて泣いてしまった。しかし、最後まで観劇し終わった今改めて考えると、あの平山の言葉ってどこまでが言葉通りの真実なんだろう…とも思う。もちろん嘘ではないだろうが、それと同じくらい平山は単に大和を完成させたい、この美しい戦艦をこの世に生み出したいというシンプルな欲求に言外で突き動かされていたのではないかという気もしてくるんだよな。

結果大和が沈んでも日本は戦争をやめず、国家に絶望した平山は、多くの人の命を奪った責任を取る、疲れたと言って拳銃自殺する。ここの憔悴した姿から最後の力を振り絞り絶望の叫びをあげる演技がとてもよかった。あと、死ぬシーンをもっと劇的に演出することもできると思うんだけど、「死ぬなよ」と言い残して袖にはけ銃声、という淡々とした見せ方もよかった。


宮崎秋人さん演じる田中少尉も素晴らしかった。初めて知ったのが確かザ・ドクターで、そのあとマーキュリーファーとひみつせんでも観たけど、いつもめちゃくちゃ演技が良い。単体で見てもその場全体として見てもしっくりくるし、感情の上下がビリビリ伝わってくる。田中が空母での奇襲作戦を目論む山本に詰め寄り「見損ないました」と言うシーン、田中が本当に泣くのを必死でこらえるようなつらそうな顔をしていて、内臓を絞られる気持ちになった。この物語って櫂が主人公ではあるけど、田中視点で見ると山本に心酔し自分の頭で物事を考えていなかった田中が櫂と出会い、自ら動く中で山本と決別し、自分なりの考えを持って生きられるようになる、そして最後にはかつて自分に喝を入れた櫂に道を示す、という成長物語でもあるんだよな。ラスト、田中から手を差し出して櫂がそれを握る(たぶん…)のが、田中が櫂の部下につけられた日とちょうど逆になっているのも成長を感じさせた。しかも今回はちょっとかわいい笑いのシーンで場を和らげる瞬間もある。すごく計算しているのか天然でできているのかわからないけど、自分が客席からどう見えるかをとてもよくわかっている俳優という印象。次に出るのマヌエラ?ノーマークだったけど行こうかな…あと何らかの舞台で主演してほしいし、劇チョコに客演してほしい!!!

言い方が難しいが、田中ってパッと見で演じるのにとっつきにくいタイプの役ではない気がするんだけど(若者だし部下だし、基本的に自分の感情に素直)だからこそどれだけその奥に深みを出せるかで観客の受ける印象も違うだろうなと思って、田中からテンプレ的な印象をまったく受けなかったのは宮崎さんの作り込みのすごさだと思う。


鈴木拡樹さんは三日月宗近でしか見たことがない。今回よくないわけではなかったけど、めちゃくちゃよかった!という感想でもなくて、何でだろうと考えたら理由が大きく分けて2つあると思う。

ひとつは櫂の設定上年齢との差。櫂って帝大を中退したという設定からするとおそらく20代前半と思われ、それを前提とした生意気で歯に衣を着せない若者のキャラ造形だろうが、鈴木さん自身が37歳の落ち着きで、なおかつさほど若い役作りというわけでもなかったので、そこにどうしてもズレが生まれてくる。ただこれはご本人がどうこうというよりも、この作品にこの役であえて鈴木さんをキャスティングする興行側の意図がわたし個人にハマらなかった、ということだと思う。

もうひとつはたぶん演技の方法論なのではと思う。見ていて、鈴木さんはかなり演技や表情の作り方が大きく、それが他の人と少し違う印象だった。たとえば眉の上げ下げとか図面を引くシーンの動作とか、単に身振り手振りが大きいということだけではなくて、表現したい感情を動作や表情に変換するときの変換器のパワーが大きい、と言えばいいのだろうか。演技って多かれ少なかれフィクションだけど、そこのフィクション性が強いと感じた。刀ステでは思ったことなくて、これは多分周りもそうだからだと思う。2.5次元との違いなのかもしれない(わたしは2.5次元も見るしどちらが上という考えはないが、アウトプットの形に当然違いはあると思う)でも良いと感じたシーンもたくさんあった。特に冒頭大和が沈んだ知らせを受けるシーンで左頬がピクピクしていて、堪え難い感情を抑え込んでいるのが伝わってきたし、黒板で鉄の重量から船の建造費を計算するシーンは本当に天才数学者に見える(緊迫したシーンなのに、計算しているのが楽しそうにすら見えるのが良い)

 

松本大介さんのライトはそのとき観客が見るべきものを照らすことで、物語の推進力のひとつになっていると感じた、見せるものと見せないものが取捨選択されているんだなあと思う(たとえば序盤で櫂と山本が幻想で会話するシーン、山本の顔は見えるが、付き従う部下は姿ははっきり見えるけど各々の顔は見えないようになっているのとか)

あと鏡子さんの服が全部かわいい!と思っていたら、湊横濱〜と同じ衣装さんだった。あれもかわいかったもんな、特にヒトガタちゃんが…レトロな感じが得意なのかな。

人喰い鮫の孤独

WBB vol.20.5「ギャングアワー」何回か上演されてるようだけど観るのは初めて。推し(磯野大さん)が出るので観に行った。


あらすじと作品全体の感想。舞台はギャングのアジト。主人公の渋谷は弱い自分を変えたいとギャングになったが、所属するチームはリーダー・三鷹のルールや仲間への信頼を重んじるやり方によって伸び悩んでおり、もどかしさを感じている。また新たにチームに加わった鮫洲が、実力はあるがルールを守らず勝手な行動をすることにも手を焼いている。チームは上からの命令で大富豪の息子を誘拐するが、実行部隊である下っ端の大崎と赤羽が人違いで庶民の青年・田中を誘拐してきてしまった。ルールに厳しい三鷹にミスがバレたら粛清されると恐れ、人違いを隠してなんとか誘拐を成功させようとする大崎と赤羽に、行きがかり上知恵を貸すことになる田中。さらに誘拐現場に出くわし映画の撮影と勘違いした元役者のホームレスも現れ、やがて渋谷も巻き込まれていく。


ワンシチュエーションのドタバタコメディ(シットコムというらしい)としてよくできてる。キャラの大半が突き抜けてどこかおかしい。明るくバカで行き当たりばったりすぎる赤羽、何でギャングになったの?というくらい優しく天然な大崎、金の亡者で腹の底が知れない高田、ギャングのリーダーだがやけに人格者な三鷹(「やる気が出てきたってのはいいことだ」が先生みたいで好きだった)、一般人なのに途中からどんどん誘拐のブレーンになっていく肝が座りすぎてる田中、何が起ころうと映画の撮影だという思い込みから離れないホームレス…渋谷がほぼ唯一の常識人である。設定が強引めでツッコミどころのある(それが悪いわけではない)コメディって、演者が空回ると見ていてつらいだけになるので、感情面でいかに観客の心をつかんで置いていかないかだと思うんだけど、その点で演者がみんな心の動きに納得できる演技をしてたと思った。8人全員を好きになれる。赤羽役の川﨑さんが特によかった。赤羽っていちばんギャグ的な演技が多いし台詞も多いしアドリブの標的にもなるしで大変そうだなと思うが、アドリブの返しも毎回うまく、ギャグの間もよく、また柄の悪いチンピラ感、かわいげ、バカさ、短慮さ、でも最後には大崎を守ろうとする仁義などのバランスがとてもよかった。あと大崎が電話で人質の家族を演じるシーンの渾身の侍は何回見ても爆笑していた。「この腐れ外道が!!」佐野さんの振り切り方がすごい。三鷹役の加藤さんも、厳格なリーダーの顔と、その裏にある仲間思いな柔らかい部分が魅力的だったな。大崎に銃渡すところの「訳ありか」以降の表情がとてもいい。

展開もそれはないだろ!と冷めないギリギリのバランスで走っていて楽しめた。特にホームレスが警察と名乗って乗り込んでくるところ、さすがにうーんと思っていたら田中が飛び込んできての「カット!」でもう一段階引き込まれた。田中はあの前にホームレスが2回目の脅迫電話に対応してくれたという話を聞いてるもんな。ホームレスからもらった飲食物でお腹を壊す、というくだりが繰り返されるのだけは描き方に一抹の問題を感じないでもないが…。

また、ドタバタコメディながら同時に渋谷の成長物語という軸もある。優しさを弱さと捉え、自分を変えたい、強くなりたいとギャングになった渋谷だが、三鷹の元での自分に葛藤し、リスペクトしていた彼に一度は銃を向ける。渋谷の三鷹への苛立ちや不満って、半分くらいは不甲斐ない自分への怒りだと思うんだよな。でも最後には三鷹を助けて鮫洲を撃つという選択の末、チームを受け継がせてくれと言う。他者への優しさは忘れないまま、行動すべきときには動けるようになった渋谷がそこにいる。


ここから延々鮫洲の話。


鮫洲は劇中で「狂人」と呼ばれるキャラ。ナイフ使いで神出鬼没、戦いを好みボスである三鷹の命令にも従わない彼は、ギャングの仲間たちからも「何を話せばいいかわからない」「怖い」と評されている。狂人という設定だけを見たときにはもっとヒャッハー系かと思ってたけど、物腰の柔らかい中に底知れぬ闇があるというタイプの狂い方だった。鮫洲は主人公である渋谷のことを「唯一の友達」と呼び、共に三鷹を殺そうと言う。序盤から冗談めかして誘っているんだけど、後半大崎と赤羽の人違い誘拐に渋谷が巻き込まれて以降は、それが本気の誘い、というか脅迫になる。鮫洲は最初から田中が目的の人質でないことに気づいており、渋谷が巻き込まれて引き返せなくなってから、全員の利害が一致する形で三鷹を殺そうとしていた。渋谷は苦渋の決断として鮫洲の提案に乗るが、結局三鷹を撃つことはできず、最後三鷹にとどめを刺そうとする鮫洲に発砲する。


鮫洲って怖いキャラ、底知れないキャラとして造形されているのかもしれないけど、わたしはずっと鮫洲にシンパシーを感じる部分があった。この作品内で、彼と高田だけは(ベクトルはそれぞれ別だが)振り切れている。自分たちが悪であることを自覚した上で、弱肉強食の修羅道に身を投じている。三鷹をはじめ、チームの他の面々は人間であることを捨てられていない。いわば鮫洲は羊の群れに所属することを運命付けられた狼であり、狼が上に立つ羊=三鷹を噛み殺そうと考えるのは当然では、と思う。(三鷹を羊と呼ぶことに違和感があるかもしれないが、渋谷をはじめとした部下たちへの労わりや導きの意識がある時点で、三鷹も他者のためを考えて生きている)狼っていうか、冷血動物っぽいから鮫かも。人喰い鮫だ。


鮫洲がなぜ渋谷を気に入っているのかの理由は劇中で明確には語られず、脚本家も明言していなかったけど、わたしは鮫洲が渋谷を狼になろうとする羊と見たからだと思った。羊に生まれたのに、わざわざ苦しみながら一線を踏み越えて血の滴る肉を食べようとする=人でなしのギャングになろうとする渋谷に、漠然と興味を抱いたのではと思う。脚本家がサイコパスと呼んでいるように、鮫洲にはおそらく元来他人を慮るという感性が欠落しているから羊にはなれない。同時に鮫洲は渋谷が本質的には決して肉食動物になれないことにも気づいている。だからこそ、ラスト自分を拒絶する形ながら人を撃つという一線を踏み越えた渋谷に対して、鮫洲は笑う。ふたりが手を組む未来はなくなったけど、鮫洲には新しく渋谷を殺すという未来ができたのではないか。鮫洲にとってあの終わりはハッピーエンドなのかもしれない。


まず初日は世界でいちばん美しいと思っている男が100億点の服装(黒ロングコートに黒ロングブーツ?!)で出てきた時点で脳が焼け野原になり、美しい…しか言えない妖怪になってしまったのですが、計3回見た結果として鮫洲くんの人格のことも大好きになった。全長2m近い巨大細長外道サイコパスなのに一人称が僕で、喋り方が「〜だよね」「〜でしょ」みたいにかわいいところが特に好き。でも威圧するときにはドスの効いた声でヤカラの喋り方、一人称も俺になるのを見ると、意識的な使い分けが感じられ、その二面性がまた良い。


最後に鮫洲くんの好きだったところメモ。

・キャスパレで肩にかけられた渋谷の手を口パクで「だーめ」と言いながら払う

三鷹に外出を咎められ、薄笑いから「うっかりしてた」で急に切り替わる真顔

・あんなにでかいのに登場が毎回気配なく突然現れる

・大崎に三鷹へ銃を向けさせるときの楽しそうな表情

・銃を構える渋谷への「引き金を引け!生まれ変わるんだ」のメフィストフェレスっぷり(ここでは妖しい悪魔なのに、三鷹さん「鮫洲ゥ!勝負しようぜ!」以降のタイマン殴り合いは足掻きまくってる血の通った人間になるギャップも)

・大崎が抵抗してからの暴力性(赤羽を「てめえみてえなバカに実弾持たせるわけねえだろ」って煽ってから大崎の腹に蹴り入れるとこ最高)

・あんなにタッパが違うのに力では三鷹さんに負ける(三鷹さんがゴリラすぎるから…)

・からの命乞いムーブ(策略)

三鷹の血に濡れたナイフを渋谷に見せる最悪さ

・傷口に指突っ込む、手をナイフで縫い止めるなど、全体的に戦い方がエグい

・回し蹴り!!!(足が5mあった)

というか鮫洲VS三鷹のアクション(結構長い)が本当に最高だった。体躯が全然違うので動きの違いも面白い。小柄な加藤さんの三鷹が「力バカ」って言われる通りハードパンチャーな戦いぶりなのすごくいい。鮫洲に腹殴られてちょっと笑って殴り返すのよかったな〜三鷹さんの腹筋は板チョコみたいになってるんだろうなと思った。加藤さんと結城さんのことは鬼ボン(ヒプステ)で知ったんだけど、今回リーダーと部下という関係性は一緒でも中身が全然違って面白かったな。

 

総合して推しの演技の新しい引き出しを見れたし、演者が全員よかったし、作品としても面白くてありがたい現場だった。鮫洲が渋谷を付け狙うけど、なんだかんだあって最後は共闘することになる続編見たいです!(勝手に)