言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

悲劇のフォーマットに回収されない人間性

「ブレイキング・ザ・コード」感想。稲葉賀恵さんの演出に興味があるので観た。

観ながら感情をはちゃめちゃに揺さぶられるというよりは、観終わってずーんと胸の奥が重くなる作品に感じ、でもとても面白かった。ネタバレしています。


第二次世界大戦中にナチスの暗号エニグマ解読で大きな成果をあげ、戦後はコンピューターの開発にも貢献したが、同性愛者であることで当時の法律により罪に問われ、科学的去勢としてのホルモン投与を強制されて自死したイギリスの科学者アラン・チューリングの人生を描く物語。同性愛が露見し自死するに至る晩年、学生時代、戦時中の3つの時間軸を行き来しながらストーリーが進む。タイトルは暗号解読でもあり、掟(法や暗黙のルール)を破るということでもあるのだと思う。


全員良いんだけど、まず亀田佳明さんがとにかくすごい。チューリングというキャラクターってこの話では全然聖人ではなくて、彼の社会性の欠如、思いやりのなさ、奇矯さ、エゴなども表現しきっているから、観ている自分は絶妙にチューリングとの心的距離を保ったままでいられて、それがこの物語においてはとても効果的だったと思う。何というか、主人公が一点の曇りもなく可哀想!になったら違うような気がするんですよね。もちろん同性愛が違法という当時のイギリスの法は非常に差別的であり、現在の価値観で許されることではないというのは前提として、変人だけどピュアな心を持った天才科学者の悲劇という物語に回収されないことがわたしは意義深く感じた。マイノリティは常に人格者なわけではなく、またそうである必要もない。それとは無関係に万人の人権や自由は尊重されなくてはならない。それにしても吃音や爪噛み癖のある偏屈な男の演技がうますぎたな。一人喋りの難解な長台詞が数回あり、そこでさらにもう1段階物語に惹き込まれるのがものすごい。


水田さんのロンも良かった。多分過去に何回か見たことあるんだけど、全部育ちの良さそうな役をやっていたのでそういう印象が強かったんですが、教養がなくやや怠惰で善人でもないが美しく若い男、というのがハマっていた。言い方良くないけど、チューリングとロンって互いに相手のことを無意識に下に見ている部分があると思う。

パットは同性愛者であるチューリングを愛する同僚女性という役で(史実でも一旦婚約して解消しているらしい)、気持ちを告げるシーンが加害にならない絶妙なラインと感じ、こちらがスッと共感できた。異性愛規範を押し付けることは加害的だと思うので、そうはなっていなくて良かった。しかし逆に、既婚者になったパットと再会した後のチューリングの「僕も君と結婚するべきだった」には結構引いたんだけど、みんなあれどう捉えてるんだろう…あれを本人に言うところにチューリングのエゴイズムを感じたんだよな…(あとよく男性は名前をつけて保存…っていわれる恋愛観も感じた)

個人的にいちばん突き刺さったのは、パットがチューリングに元上司のノックスも同性愛者だったと言うシーン。思わず息を呑んでしまった。その前の、戦時中にブレッチリーパークでノックスがチューリングに行動を慎むようにたしなめるシーン、あの時点では結局日和るノックスへの落胆が勝っていたけど(これは主観の話だが、先日自分の上司とまさにこういう内容の言い合いになったので無意識にチューリングに肩入れしていたかも)、ノックス自身も同じ苦しみを抱えていたとわかると全然受ける印象が違ってくる。もちろんマイノリティ同士なら何を言ってもいいということではないが、実感として。ノックス役の加藤敬二さんとってもよかったなと思ったら元劇団四季で歌って踊れる方なのか…観てみたい…。


上手下手の袖をいちばん奥以外は取り払っていて、演者が奈落から階段をのぼって登場してくる。代わりに袖にあたる部分にたくさんライトが置かれ、それに照らされるのが舞台を撮影現場みたいに見せていておもしろかった。あと蛍光灯を舞台上に何本も吊り、その色味の変化や明滅によってシーンの印象を視覚的にコントロールしている。普通の照明って照らされるものの方に意識が行くが、この形だと灯体そのものに意識が行くので光が質量を持っている感があり、興味深かった。吉本有輝子さん、た組とか木ノ下歌舞伎とかやられてる方なんですね。


物語について。チューリングは学生時代にクリストファーという同級生に恋していたが、彼は肺結核で夭折し、頭脳明晰で大人びた彼を崇拝していたチューリングは「僕が死ぬべきだった」と口にするほど今なおその過去に囚われている。チューリングが肉体がなくても精神は存在し得るのか?や、電子計算機は心を持ち得るか?という疑問を述べる背景にはクリスの喪失がある。終盤、ギリシャ人の青年ニコスとチューリングがじゃれ合うシーンは、ニコスとクリスを同じ俳優(田中亨さん)が演じているので、一瞬学生時代かと錯覚してしまうが、おそらくクリスはチューリングの気持ちを知らなかったし、「家に一緒に住める」と言われたときのリアクションを見る限り受け入れないだろうから、彼らにあんな過去はないんだと思う。そしてひとときの平和な時間の後、チューリングがニコスにエニグマ解読について語り始めると、やがて舞台奥に立つニコスはふたたび彼の記憶と幻想の中のクリスに見えてくる。

チューリングが死を選ぶ結末についてだけど、ラストの独白パートでチューリングは帽子掛けを舞台前方に持ってくる。そしてそこで見えない誰かにキスをしたように見えた。注意力散漫なのでいつからあそこにあったか思い出せず見逃してたかもだが、あの帽子ってクリスのものだったりする?そしてリンゴに青酸カリを振りかけて口にし暗転。前半でチューリングが白雪姫の映画を見てすごく感動した、姫は毒林檎を食べて王子の腕の中で目覚めるんだ、と言ってたのを思い返すと、この一連の行動は肉体がなくても精神が存在するという結論(それが心から信じているのか、どうしようもない現実からの逃避なのかわからないが)に至り、クリスに会うために行った行動に感じられて、当然ハッピーエンドではないんですけどバッドエンドとも言い切れず、薄暗いまま心の中に重たいものが残った。そもそも同性愛に対する迫害とか国家機密事項による行動制限がなければチューリングの苦しみもなかったわけで…と思うが、チューリングが理論と実用を結びつけコンピューターを生んだのにはブレッチリーでの日々が大きく影響していることは本人も口にしているので(そして戦争がなければブレッチリーはなかった)、運命とは何ともだなあと思う。この独白シーン、脚本にト書きがないので細部は演出だと思うが、すごくよかった。それでいうとチューリングが亡くなった後、ロス刑事(堀部圭亮さん)が無言のままかなり長尺で私物を片付けていくシーンも、その不可逆的な不在を感じさせてよかった(ここもト書きなし)あとシーンが変わっても前のシーンの小道具がわりと残っているんだけど、パットとのシーンの後にそのまま残されているピクニックセットをスミスが普通に踏んでいくのを見せることで、スミスの有害性を一発で伝えていると思った。稲葉さんの演出、クールで好きだ。

 

全体通して演劇的表現ではあるんだけど、感情面で物語に過剰な味付けをせず、悲劇の枠にはめこみすぎないことでかえって個々の人間がリアルな手触りを持って立ち上がってくるという印象をうけた。おもしろかったです。あとこれは特に主観だが、全員の演技について全く疑問符やトーンの違和感を感じることがなく、めちゃくちゃノーストレスで入り込めて良かった…俳優ってすごいな。