言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

ケアし合う現代の少年たち

ハリーポッターと呪いの子」。エリア51で観た門田さんがオーディションでスコーピウスに決まったというのを見かけて、早々にチケットをとって楽しみにしていた。めちゃめちゃネタバレを含みます。


前提として自分は、原作のハリーポッターは世代だから読んでいるけど、特に終盤についてはあんまり細かく覚えてないという感じ。でも物語の中で出てくるワードから記憶が芋蔓式に蘇ってきたし、原作も読み返したくなった。


まず演出で映像を一切使わないことに驚いた。仕掛けがわかりそうなものも、全然わからないものもあるけど、魔法で火が出たり物が浮いたり光ったりが全部実際に行われている。変身は舞台上に小さい出入り口がいくつかあってローブの中で入れ替わってるのかな。暖炉を使って移動する魔法、本当に今まで火が燃えてたところから出てくるのでびっくりした。


さらに劇場空間の使い方も大胆。デルフィーの正体がわかるくだり、劇場の壁いっぱいにブラックライトで読める文字が書かれているのは鳥肌が立つ演出だったし、そりゃ専用劇場でやらなきゃ無理だと納得した。またディメンターがフライングで1階席上空2階席ギリギリまで飛び回ったり、ラストにハリーの両親を襲いに行くヴォルデモートの客席降りなど、客席を演出に組み込んで臨場感を与える工夫が随所に見られる。それにしてもディメンターの造形がすごすぎたな。布とか相当こだわってそう。


視覚的に心に残る場面も多くて、たとえば、ハリーの言いつけでスコーピウスを避けるアルバスとスコーピウスの心情のすれ違いを、アンサンブルが動かす2台の階段を昇降することで表現したシーン。セリフなしでこんなに感情を伝えられるのすごい。

2幕冒頭、最悪な世界線でのスリザリン生徒たちのダンスシーンは、V字フォーメーションで舞台後方から進んでくるとき、床から発する照明を客席側に傾けることで光の幕のようにしていて、そこから現れるのが震えるかっこよさだった。

ゴドリックホローへの転換、組分け帽子の男が舞台中央でさらさらと指先から砂?を落とし、パッとその場に撒くと雪が降り始め、舞台奥でハロウィンのかぼちゃたちの顔が光る絵作りの美しさ。ここに限らずだけど、本作は場面転換を転換と感じさせない見せ方の工夫がすさまじい。長いローブを閃かせて道具を隠すのも美しい。1幕も2幕も1時間40分ってそれぞれで1本の舞台尺なのに、全く集中を切らさずに観れたのはこの転換あってのことだし、それを実現しているのはアンサンブルの方々のスムーズかつ迅速な連携だと思うので、全力の拍手を送りたい。


そしてわたしがこの物語から何より感じたのが、アルバスとスコーピウスの関係性のアップデート感だった。少年同士の友情を描くとき、かつてはそこにうっすらホモソーシャル異性愛規範がつきまといがちだったと感じる。原作でも、ジェームズはかなりジョックな人物造形だし、ハリーにも多かれ少なかれそういうところがある。もちろんそのすべてが悪ではないが、20年前なら何も気にならなかった点が今見るとやや気になる、というケースは得てしてある。

だが、アルバスとスコーピウスはふたりともスクールカーストで言えばナードにあたるような少年たちで、実際いじめにも遭っている。彼らはごく自然に、そこに何物も介在させずに互いを心配し、慮り合う。母の死を聞き何か自分にできることはないかと尋ねるアルバスにスコーピウスが答える「お葬式に来て。あと、ずっと友達でいて」には序盤から泣きそうになってしまったし、ハリーの言いつけで接することを禁じられた後、図書館で再会した2人のやりとりで、ハリーがスコーピウスに対して言う「おなかの底から爪先まで優しい」という評からは、スコーピウスの優しさ=相手をケアする力を重要視していることが明らかだ。

 

そして、事態が解決した後、階段でハリーとスコーピウスが話すシーン以降が、Kindleで読める元々の脚本と今回の上演では全然違う。調べたら前後編だった本作が一部制になったときに入った変更らしいんだけど、脚本では明確にローズに恋してアプローチしているスコーピウスに対しアルバスが「僕の方が先にガールフレンドができる」のような軽口をたたき、その後アルバスとハリーが話すシーンでもスコーピウスの話は特に出てこないのに対し、今回の上演では、スコーピウスはローズに話しかけて友達になろうとはしているけど、恋しているというくだりはない。そしてアルバスの側からの「ローズと宮殿で暮らすの?」に「どうして?」みたいに返して微妙な空気が流れる。そこにローズがやってきて、動揺するふたりに向かって「いいんじゃない?堂々としてれば」と言う。そしてハリーと話すシーンで、アルバスは明確に「スコーピウスが人生で一番大事な人、これからもずっと」と言う。

台詞で恋愛感情だと明言されているわけではないけれど、おそらくパンフレットの門田さんのコメントでも示唆されていた通り、アルバスとスコーピウスの関係性は友情を超えているという表現だと感じた。明確な言葉にしていなくても、この世界に当然そういった関係性も存在しているという自然な描き方が、それを聞いたハリーの受け入れる姿勢含めてとても良くて、観ていて息がしやすかった。


また、ハリーとアルバスの関係も物語の中でアップデートされる。英雄である父に萎縮し疎ましく思うアルバスと、そんな息子に苛立ち、明るく朗らかな長男のようになってほしいとないものねだりをして、やがて思い通りにならないアルバスに対し支配的に振る舞うハリー。だがやがてハリーはアルバスの思いを理解し、デルフィーとの戦いでアルバスはハリーを助けようとするし、最後の2人のシーンでハリーは、「暗闇が怖い」という自らの弱い部分を明かす。この変化のきっかけのひとつが、後半でのダンブルドア肖像画とハリーの対話である。ハリーはダンブルドアに対して、「説明もなくプリベット通りに何年も置き去りにされた」「ヴォルデモートと3回ひとりで戦わせられた」という怒りを吐露し、それを受けダンブルドアは、ハリーを愛していたがそれを彼に伝えることができなかったのだと告白する。これは旧時代的な、多くを語らず父が子を支配する関係性から、愛を伝え、弱みを見せ、ケアし合う関係性への変化であると感じた。ロールモデルとなる父親の不在によって仮想の有害な父親像を内面化してしまっていたハリーは、改めて子供だった自身と向き合えたことでアップデートされ、父親としての新たな在り方を模索していく。前半本当にハリーが毒親すぎてヘイトが溜まるんですけど、このダンブルドアとのシーンでかなり納得できた。そもそもハリー自体色々な欠落や傷を抱えているし、原作でもそうだけど結構傲慢な人格ではあるからな…。今回改めて思ったけど、ハリーポッターの面白さって元々児童書なのに完璧な人間が全然いなくて、みんなそこそこ性格に難点があるところな気がする。呪いの子の冒頭でもホグワーツ特急のシーンで、ローズの友達を選ぶ的な発言にギョッとした後、こういう感じあったな…と思い出した。


それにしてもスコーピウスというキャラクターが本当にかわいすぎる。圧倒的に善。そりゃアルバスも闇を照らす光って言うよな…門田さんのスコーピウスは福山さんのアルバスとサイズ感もあんまり変わらなくて(ふたりとも小さめ)普段はおとなしいけど魔法オタク特有の早口がたまに出る、おっとりして育ちが良くて優しい子って印象だったんだけど、Wキャストでかなり印象が違いそうなので渡邉さんのスコーピウスも観てみたい。でも門田スコーピウス双眼鏡定点もしたい…絶対もう1回以上観に行く。しかしアルバスとスコーピウスのキャスケ出てなかったらチケット取りようがないので運営は早く出してください!