言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

「『進撃の巨人』-the Musical-」 にみる2.5次元ミュージカルの新潮流 ~二重のスターシステムを乗り越える~

世田谷パブリックシアター公開講座舞台芸術のクリティック」の課題で提出した「『進撃の巨人』-the Musical-」 の劇評です。原作のネタバレを含みます。

 

アニメや漫画、ゲームを原作とする2.5次元作品が、そうでないミュージカルやストレートプレイとは異質な存在として扱われてきたということは、観劇を趣味とする人の多くが同意するところだろう。

 

2.5次元作品における原作の再現度は、黎明期と比べ格段に向上した。ウィッグやヘアメイク、衣装や小道具のクオリティは磨かれ続け、原作に描かれている細かな仕草まで漏らさず取り入れようとする俳優の演技努力も涙ぐましい。さらにプロジェクションマッピングの進化により、バトル漫画における戦闘シーンの特殊効果なども再現可能となり、日々驚くような観劇体験を提供している。

それでも今なお、2.5次元作品は演劇として評価されづらい。昨年頃から東宝が「千と千尋の神隠し」「キングダム」など2.5次元作品に積極的に乗り出したことで、今後扱いに変化が生じる可能性はあるが、今までの2.5次元作品はどれほど新たな取り組みを行い、ロングランで多くの観客を動員しても、演劇賞にノミネートすらされない。そんな黙殺が存在してきたことはおそらく事実だ。2.5次元トップランナーである人気俳優複数人が「正当に評価されていない」という趣旨のコメントを発したことがあるのもそれを象徴している。※1

 

だがそれには、やむを得ない面もあるといえよう。2.5次元作品の一部は、原作のストーリーをいかに決められた尺の中にまとめあげるかを最重要視している。そこに演劇という表現形態をとる意味がさほど感じられず、舞台化というよりも三次元化という表現が近いのではないかと思われるケースがある。あるいは作品の中に、物語の流れが不自然になろうとも、ファンサービスとしてキャラクターの見せ場が必ず設けられているケースもある。これらは舞台の作り手が原作を尊重するからこその配慮であり、全くもって責められるようなことではなく、むしろ真摯な在り方なのだが、原作を一切知らない観客がその舞台だけを見て十分に理解し楽しめるかという点にはどうしても疑問が残る。だからこそ2.5次元でない作品と同じ軸での評価は難しいだろうし、また無理にそれを目指す必要もない、商業的には成功しているのだから…というのが私の考えだった。しかし「『進撃の巨人』-the Musical-」を観劇し、それは覆された。

 

「『進撃の巨人』-the Musical-」 は2023年1月7日(土)~9日(月)に大阪・オリックス劇場、1月14日(土)~24日(火)に 東京・日本青年館ホールにて上演された。原作は「別冊少年マガジン」で2009年から2021年まで連載されていた諌山創による同名漫画で、人間を喰い殺す凶暴な異形の巨人に支配された世界を舞台に、巨人との戦いに挑む人々を描くダークファンタジーである。主人公のエレン・イェーガーを演じたのは岡宮来夢。「ミュージカル『刀剣乱舞』」、「『BANANA FISH』The stage」、「『ブルーピリオド』The Stage」などに出演歴があり、今年3月には東宝の「ミュージカル『SPY×FAMILY』」にも出演が決まっている期待の24歳だ。演出は植木豪、脚本は畑雅文。制作は数多くの2.5次元作品を手がけるネルケプランニング

 

本作では、原作漫画の1巻から4巻途中までを描く。簡単にまとめると、少年時代のエレンが暮らす壁で囲まれた街に超大型巨人が襲来し、壁は壊され街に侵入した巨人に母親が喰い殺される。逃げ延びたエレンは「全ての巨人を駆逐する」と誓い、幼馴染みの少女ミカサ・アッカーマン、頭脳派の友人アルミン・アルベルトと共に軍の訓練兵となる。訓練を修了したタイミングで再度超大型巨人が襲来し、エレンは一度巨人に喰われるも、それにより謎の能力が覚醒。無意識で自ら巨人に変身して他の巨人を倒す。人間に戻るところを他の兵に見られ巨人として粛清されそうになるが、「巨人に変身できるエレンが大岩を運んで壊された壁の穴をふさぐ」というアイデアをアルミンが提案し、何とかその場を逃れる。本作はこの「これから大岩を運ぶ」というシーンで幕となっている。

原作からの改変としては、漫画だと訓練兵時代は回想として描かれているため、アニメ化の際に時系列が整理されており、そちらに準拠した流れになっているようだ。またエレンが訓練兵時代に出会う同級生キャラクターについては、一部は台詞で名前だけは出るものの、舞台上に立つ人数としては大幅にカットされている。カットされたキャラクターにもファンがいることを鑑みると挑戦的に感じるが、この脚本の工夫によって舞台の上がごちゃつかず見やすくなったのは確かだろう。

 

本作で期待されていた要素のひとつである、数メートルの体躯を持ち、人間を手掴みで喰い殺す巨人の表現には、複数の方法がとられた。まずオープニングでは高い身体能力を持つアンサンブルダンサーたちが全身タイツの衣装を着て巨人の特徴的な動きを再現。作中では後方紗幕へのプロジェクションマッピングと、黒子が操る大きな人形を使い分けた。このバリエーションは効果的だったといえよう。プロジェクションマッピングの進化に伴い、最近の2.5次元作品ではセットを極力シンプルにし、映像投影で全てを済ませようとする傾向が見られる。もちろん映像の活用は2.5次元において欠かせないとはいえ、全てが映像ではやはりキャストが対峙した際の緊迫感に欠ける。本作では超大型巨人(2回登場)、エレンが変身する巨人、鎧の巨人、エレンが変身した巨人の骨格と、計4種類の巨人を大道具で準備しており、その分美術コストも発生しているだろうことを鑑みると、見せ方へのこだわりが感じられた。またこれは本作の時点では明かされていない情報だが、実は巨人には人間が自分の意志で変身する知性巨人と、本能で人間を襲うだけの無知性巨人がいるということがおいおい判明する。本作においては前者が人形、後者が映像で表現されており、その存在感を切り分ける工夫も原作既読勢からは高く評価されていた。

 

本作のもうひとつの特徴は、「BLADE ATTACKERS」(以下BA)と呼ばれるアンサンブルキャストだった。総勢20名にわたるBAは、植木も所属するダンスチーム・CONDENSEメンバーをはじめとしたヒップホップダンサー勢が9名、スーツアクターやスタントで活動する身体の利く男性キャストが4名、歌唱力の高い女性キャストが2名、バレエ歴の長いダンサーが3名、アクロバットに秀でた俳優が2名という構成だ。グランドミュージカルでは歌と踊りの両方を高レベルでこなせるアンサンブルキャストが多いのだろうが、本作では一芸に秀でたキャストが分業して互いに補い合うことで、個性的かつ高レベルのパフォーマンスを見せている点に面白さを感じた。例えばM5『焦燥レクイエム』※2 は数名の女性アンサンブル演じる市民が絶望を歌い踊りながら巨人に食い殺されていく楽曲で、舞台上で踊るキャストと歌うキャストが明確に分かれている。

そもそも本作は、2.5次元作品としては驚くほどアンサンブルがメインの楽曲やシーンが多いが、これは挑戦的である。というのは、2.5次元作品を観に来る観客の大半は、原作ファン(その多くは特定のキャラクターに愛着を持っている)、もしくは出演している俳優のファンだからだ。いわば2.5次元とは、キャラクターと俳優という二重のスターシステムによって成立しているといえる。繰り返しになるが、もちろんそれ自体は何ら下に見られるようなことではなく、ひとつのエンタメの在り方であるし、またこの二重のスターシステム2.5次元の商業的成功を強固なものにしているのは明らかだ。ただ、推しキャラもしくは推し俳優を見たいと思っている観客が多い中で、アンサンブルのシーンを長く取るというのは、言葉を選ばずに言うならリスクの高い演出である。それでも植木は、原作では小さな1コマで表現されるような部分にアンサンブルだけのシーンを設け、巨人に喰い殺される名もなき民衆の絶望や、領土を失い苦しい生活を強いられる生き残りたちの諦念を描いた。わたしはそこに、原作への最大限のリスペクトを持ちながらも、本作を原作から切り離し単体のミュージカル作品として成立させようとする強い意志を見た。そして反響を見る限り、その試みは成功したといえよう。

進撃の巨人」は一世を風靡し知名度は高いとはいえ、原作の連載は既に終了しており、今現在大きく盛り上がっているタイトルではない。そのため、開幕時点ではチケットは完売していなかった。しかし開幕後にSNSなどの口コミで好評が回った結果、公演期間終盤では当日引換券が完売し満席となった。おそらくこの作品は、原作を知らずに見ても置いてきぼりにならずに楽しむことができたのではないだろうかと推測する。本作では多くの2.5次元作品がファンのニーズを満たすために選びがちな、原作の展開を一字一句違えず再現しようとしたり、近視眼的に舞台上でメインキャラクターだけを動かしたりといった作劇が見られなかった。舞台として最適な形にするため適度に手を加える勇気を持ち、同時に高スキルのアンサンブルを効果的に使うことで、キャラクターたちが生きる世界そのものを描き出したことが、本作の成功の理由だと感じる。

 

おそらく、すべての2.5次元作品において同じようなアプローチが可能なわけではないと考える。本作の場合、まず原作に非常に力のあるストーリーが存在し、それが比較的シンプルな構造であることが強みだろう。また劇中でエレンがミカサに対して発する「戦え、戦わなければ勝てない」というセリフが物語のメインメッセージとなっている。強大な敵に対して恐れず立ち向かう姿を描くという作品の強固な軸があるからこそ、そこをきちんと尊重すれば、今回のように多少の改変があっても原作ファンの多くを納得させることができた。たとえば強い物語がなく、ファンがキャラクター同士の関係性に主な価値を見出しているような原作であれば、キャラクターを削る改変は問題視される。実際本作でも一部にその声は見られたが、舞台としての見やすさと天秤にかけて許容した観客が多かったと思われる。また本作の苛烈な世界観と、大音量の音楽に激しいダンスやアクロバットを交える植木の演出が上手くマッチしたという点もあり、そこはプロデューサーの手腕によるものなのだろう。

 

「『進撃の巨人』-the Musical-」を通じて私は、原作ファンや俳優ファンも満足させながら、同時に原作を知らない観客も同レベルに楽しませることができる、ミュージカル作品としての強さを持った2.5次元ミュージカルが存在し得るという可能性を感じた。願わくばこれからもそういった作品が作られ続け、「2.5次元」が孤立したジャンルではなく、非2.5次元作品と同様の土俵で評価されるようになっていく未来を願ってやまない。

 

※1 ミュージカル「刀剣乱舞三日月宗近役などで知られる黒羽麻璃央は、インタビューで以下のように発言している。

2.5次元舞台で活躍する今の若い人たちは歌もダンスも表現もレベルが高い。どうしてこの人たちが正当に評価されないのだろうか?と不思議です。いつか『刀剣乱舞』のような舞台が著名な演劇賞を受賞できるよう、周囲の目も変わればいいと思います。」

https://news.dwango.jp/moviestage/84180-2302?page=3

また公的なソースではないが、舞台「刀剣乱舞」山姥切国広役などで知られる荒牧慶彦も、自身の俳優デビュー10周年記念公演において「2.5次元が業界で下に見られているのは知っている」という趣旨の発言をしている。

 

※2 「『進撃の巨人』-the Musical-」公式サイトの楽曲リストより

https://www.shingeki-musical.com/

 

以下頂いた講評の自己解釈。

2.5次元に限らず演劇ジャンルはそもそもムラ化している。また単なる『原作もの』ではなく2.5次元というラベルをつけて売り出したことがひとつのジャンルを築き商業的成功に繋がった部分もあるので、論壇で黙殺されているというネガティブ面だけでなく功罪の両方があるという指摘には同意。またスターシステムについては、キャラクターの側のスターシステムを突き詰めていくことは演者が変わっても作品を再演できるのでロングランにつながる(テニミュとか?)という話があり、古典歌舞伎などもある意味それを実現している部分もあるのでは(もちろん役者側のシステムの要素もあるけど)と感じた。2.5次元が論にのぼるようになるためには、単体での作品性を高めるか、独自ジャンルとしての存在感をさらに高めて無視できなくするかだと思うけど、後者の典型的な形であろう宝塚と違い、2.5次元にジャンルとして定型があるわけではなくてぼんやりした枠があるだけなので難しいなと思う。脚本や演出もまちまちだし…。

また講師の方にそもそも2.5を観るか聞いたら、昔観たことはあるけど最近は観ていない、とのことで、他作品と同じ土俵で論じられにくい理由のひとつとして、ファン以外の中でのイメージが黎明期の印象のまま止まっているのかもしれないなという印象も受けた。