言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

足を取られて煙に巻かれて

フィスコットーネ「磁界」感想。


父に憧れ自らも警察官になり、生活安全課を希望し配属された主人公の首藤。市民からの膨大な相談に忙殺される中、妹が家出して金を無心してくる、誰かに脅されているのではないかという姉妹からの相談を受ける。成人の家出に関しては事件性がないと捜査ができず、また警察組織内で評価対象となる検挙率を上げるため事件になる案件だけを扱えという上からの方針もあり、首藤は葛藤もありながら度々相談に来る彼女たちの訴えを黙殺し続けるが、やがて探偵の調査で妹の居場所がわかり、マインドコントロールされて暴行を受けていることが判明する。首藤たちは捜査に乗り出すも間に合わず被害者は殺害される。警察は捜査を行わなかった対応に誤りはないと発表し、自責の念に苛まれた首藤は謝罪に赴くが姉妹には受け入れられず、さらにそのことを警察内で問題視される。厳しい再教育を受け、警察の思想に取り込まれていく首藤。一方の姉妹は人権派弁護士・坊田に警察を訴えたいと相談。実は従兄弟同士である坊田と完全に警察の思想に染まった首藤が対峙し、激論を交わすが平行線を辿る。


あらすじだけでわかるように太宰府主婦暴行死事件を題材にしていて、プロデューサーの綿貫さんがこの事件における警察の対応を追ったドキュメンタリーに怒りを感じ、作演出の中村ノブアキさんにこの題材で依頼したとのこと。ただ、作品を観た自分の感想としては単なる警察批判ではなく、むしろその中にいる人間に対しては同情的な視線も感じられ、もっと大枠の仕組み自体の問題を描きたいという印象を受けた。自分が会社員で組織に所属している人間だからそう思うのかもしれないけど…署長たちが首藤にかける言葉や、それを受けた首藤が取り込まれていく姿にはグロテスクさもあるが、正直この状況だったらそうするしかなくない?という共感の気持ちも大きい。というか、むしろ相談者たちに対して、動いてくれない警察に11回も来るくらいだったら、もっと早い段階でネットで調べて探偵に頼めば…と感覚的に思ってしまった。ただ実際にあった事件を下敷きにしていると知っているので、これはあくまで物語に対する感想だと明記しておきます。またこの発想自体が自己責任論であることも自覚している。でもそう思っちゃうんだよな。


JACROWを過去に2作品ほど観て、今回も踏まえての感想としては、普通に面白いし好きだけど、わりと全部セリフで言うな…という感想。どことなくテレビドラマ的に感じる。もちろんそれを意識的に笑わせるために、それこそ「刑事ドラマあるある」的にやってる部分もあるんだけど(署長がブラインドの隙間から覗きながら喋るシーンなど)、たとえば坊田が言う「警察は磁界だ」のくだりとか、被害者が受けたマインドコントロールと首藤が警察内で受けている“指導教養”が重なるというのは、そこまで明瞭に言葉にしなくても伝わるのでは…と思った、でもそれによってわかりやすいし、その具体性がウケているのかもしれないからなんともいえない。


演者はみんな上手いな〜〜!!!という感想で、特に双子という設定で被害者とその姉の2役やってた異儀田さんが、被害者として出てくるのはごくわずかな時間なんだけど、その中でも彼女がマインドコントロールに支配されるに至ってしまった鬱屈や親族への怒りを感じさせ、姉のときも絶妙な塩梅でよかった。そして西尾友樹さんすごくないですか?わたしは勝手に西尾さんのことを演劇界の宝って呼ぼうかなと思ってしまった。表情の出力バリエーションと強弱のコントロールがはんぱない。被害者が亡くなった後、ずっと表面張力で溢れるギリギリの水面みたいに危うさがあって、でもそこから組織に取り込まれた後は全く表情に動きがない。さらに終盤、生活安全課に赴任してきてすぐの生き生きして理想に燃えた姿を見せられることで、その落差が強烈に刺さる。そして最後喫煙所にやってきて禁煙をやめたと告げ上司達の側であることを暗黙に示す際のにこやかさ、ラストの概念ぽいシーンで上から落ちてくる縄の下、磁場に足を取られよろめきながらも見せる満面の笑みは、完全にそちら側に行ってしまったと感じた。


ただ、すごい最悪な感想だけど、首藤が自殺するんじゃないかと怯えながら見ていたので、彼が組織に取り込まれて生きる選択をしたのは個人的にはまだよかったなと思った。不破みたいにもう無理!って逃げられるのもある意味の強さで、それがない首藤の逃げ場のなさには見ていてつらいものがあったので…彼がなかなか声を荒げないのがつらい。首藤ももちろん不破への態度とか、姉妹に対してナチュラルにタメ語なのとか、権威主義的で有害だな〜と思うところもあるんだけど(そのバランスがうまい)


この作品のような自体を防ぐにはどうしたらよかったのか?警察に誤りはなかった、100人の警察官がいたら100人とも同じ対応をしただろうと言う首藤に対して、坊田はそれなら101人目になれ、目の前で必死に訴えている人がいるのになぜ動かなかったと言うけど、このくだりについては100%首藤に同意で、坊田の言い分では世界はめちゃくちゃになるだろうという印象を受けた。正直自分の意思で家出した成人を過剰に連れ戻そうとするのって場合によっては人権侵害にもなりうると思うので、首藤が動かない理由も(忙しい以外で)わかるんだよな…。あと101人目になれって主張って、警察で父のように出世したいという首藤自身の夢をガン無視してるし、それが無視されていいものとも思わないし…(少なくとも首藤はレギュレーション内で最大限の対応はしたわけだから)

そもそも過剰な忙しさをなくし、相談のひとつひとつに余裕を持って対処できるだけの人員がいればいいけど、そんなに余裕を持った人員配置なんて予算を考えたら難しいし…検挙率で評価するのも、評価において軸をなくすことは無理だし、なくしたら逆にサボりにつながるかもしれない…それだけじゃない別の軸もあったらマシになるかもとは思うが…。なんか全然別業種だけど自分の仕事にも結びつく部分があって色々考えてしまった。

あと、首藤と坊田が従兄弟で、その親世代の兄弟も折り合いが悪いというくだりは取ってつけた感を感じなくもなかった。同級生かと思ってた。でもそれも息子が父親を継ぐという家父長制的イエ制度を批判的に描く一環なのかも。警察は家族だとか、上司をオヤジって呼ぶセリフもあり、そういうホモソーシャルの有害性が示されていると感じた。


これは作品の感想じゃなくて個人的な気づき。わたしは西尾さんが出ているという理由でこの作品を観に行き、演技が好きなのも相まって首藤に感情移入していたが、たとえば自分が逆の立場の役者きっかけでこの作品を観に行ったら首藤を憎むだろうか。それとも結果として抱く感情は変わらないのか?演劇って目の前で見るから、観客の側としても役者と役を切り離しづらいのかもしれない。