言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

クリームパンは差し出されるものなのか

ほろびて「あでな//いある」Twitterで評判が良かったので観た。好き勝手書いてるし、あんまり褒めていないところの方が多いです。なんかしっくりこなくて、観劇後に会った友達(当然見てない)にゼロから聞いてもらって整理したんだけど、説明めっちゃ難しかったな。


舞台はどこかの国。軍があり、その国の生まれの人間と移民が混在して暮らしている。電力不足で定期的に計画停電がある。引きこもり生活を経て、軍に入隊するため髪を切ろうと美容室にやってきたいべ。しかしおしゃべりな美容師は一向に髪を切ってくれず、さらにその場にいるというアシスタントのリンの姿がいべには見えない。

一方、移民らしい花束、雨音、油田の3人が暮らすタワマン地下の倉庫部屋。油田の誕生日を2人がサプライズで祝ったことから回想で彼の過去が語られる。


3年前。表向きはホームレスや外国人などを支援するという組織に就職した油田といべだが、職場で弱者への暴力を強制され、追い詰められたいべを油田が逃がす。そのまま働き続けた油田は精神を病み暴力的になり、恋人のリンを殴っておそらく流産させてしまう。いべはそのまま3年間引きこもっていた。


雨音は実業家の男にプロポーズされたと一度は家を出て、偶然いべと同じ美容室を訪れる。いべは雨音とリンを見えない、存在しないと言い(この国の人間でない人が見えない)強い口調で自分が軍に入る理由を述べ髪を切るように求めるが、それを止める美容師。


花束は職場で暴力的ないじめを受けており、家に帰ってきた雨音にそれを打ち明け、仕事を辞めこの家を引き払おうかと思っていると話す。一方雨音は妊娠を告げたところ婚約者に逃げられ、行き場を失って帰ってきたところだった。いべは結局美容師からクリームパンを受け取りテーブルにつく。クリームパンを食べたいべは雨音とリンが見えるようになる。


最後、美容室に油田がやってきてリンと再開するが、リンは油田が見えないという。見えないままリンの特技であるマッサージを受け、それまでどうしても発せずにいた「ありがとう」という言葉を発して帰っていく油田。

 

 

美容師役の伊東さんがとてもよかった。そこまでの美容師って空気を読まずによく喋る人だなという印象なんだけど(それもうまい)、9.11について語るシーンの迫力が凄かった。あそこで美容師は人が墜落死する音を聞いてその幻聴が聞こえ続けるPTSDになり、それをごまかすために口数が多い(序盤、いべがバンクシーと言ったとき、妙に驚くリアクションも幻聴によるもの)ということがわかって震えた。美容師の友達の推しのくだりだけまったくよくわからなかったんですけど、あれは何か元ネタがあるんでしょうか。


物語としては色々と気になる点があった。リンと雨音の存在を否定し髪を切って軍隊に入ろうとするいべを美容師が止め、そして皆でケアのモチーフであるクリームパンを食べると、それまでいべが見えなかった存在である雨音やリンに気づく、というのはわかるんだけど、自然に互いをケアし合う女性陣に対し、失礼で暴力的な態度をとるいべがいて、美容師が彼にクリームパンを渡してテーブルにつかせる構図には、どうしても女性にケアの役割を持たせているという印象がぬぐえず、正直美容師って男性が演じた方がよかったのでは…と思った。あと上から命令されたとはいえ弱者に暴力を振るい、リンを流産させた油田が(自分を責めているらしき描写はあるけれど)最終的に雨音とその子と花束との擬似家族(娘、孫という表現があったのでこう呼ぶ)に帰属して幸せを得ているっぽいのにもグロテスクさを感じる。この3人の、弱い立場にある者同士が寄り集まってケアし合うあり方自体はいいなと思うんだけど、新たな対等な関係ではなく結局家族という枠組みを当てはめている点に前時代的価値観の残存を感じるというか…あと、彼らが今も一緒に暮らしていて雨音が子供も産んだとしたら、花束は家計を支えるために仕事を辞められていないのでは?と心配になる。

雨音の描き方にも気になる点があって、もちろんバイトを突然クビになるのは彼女が「見えない」存在とされているからで構造的な問題が前提としてあるが、明らかに豊かではない彼らの生活の中で、日々の糧を失っても花束と油田に頼る姿勢を見せるメンタリティがよくわからず、その後の実業家との結婚もそうなんだけど、若い女性である彼女を誰かに頼って生きようとしている人間として描くのがちょっと受け付けなかったかもしれない。同時に雨音って油田に対してはわりと気を使うけど花束に対する扱いがかなり雑で、様子がおかしくても心配するような言葉もかけないし、だからよりそれが際立って感じられたのかも。

美容師は別に際立って女性として描かれてるわけではないから、どれかひとつだけなら気にならなかったかもしれないが、複合して自分はうっすら性役割規範の空気を感じてしまった。


冒頭の美容室のシーンにはリンは実際いなくて途中から出てくるので、観客はいべの方が正しいことを言っているという共感から入るため、いべがそこまで悪人に見えない。いべと油田はどちらも加害者なんだけど構造の中で強制されたという意味では被害者でもあり、加害者になってしまった理由が丁寧に描かれるので、そっちの掘り下げをメインにしたい作品なのかな。いべが軍に入る理由を語り出すと喋り方がどんどん芝居がかっていく姿が、自己陶酔のループに入っている感があり興味深かった。おそらく3年前のいべなら雨音やリンのことは見えたと思うんですよね。彼は自分が受けた傷を癒そうと引きこもっている間に、自分が傷つけた人たちを取るに足らない存在とみなすことで自己正当化するという誤った方向に行ってしまった。最後にリンが油田を見えないと言うのは、本当に見えていないのではなくそのくらい拒絶したいという意志の現れととった。


調べたら脚本演出の細川さんは44歳らしいんだけど、もちろんすべてを年齢だけで判断するわけではないが、テーマのわりにどうしても前時代的な価値観が根底に残存しているのではないかという印象を受けてしまったので、今の10代〜20代くらいの人たちがこれを観てどう思うのかは気になる。


あと、パイプ椅子休憩なしで130分は内容以前に集中力を維持できないことがわかった。腰痛いな…とかが絶対入ってくる。本作もかなり展開がゆるやかな部分が多く、これもう少し巻けるのでは…という気持ちが凄かった。ちゃんとした椅子がある劇場なら2時間以上あってもなんとかなるけど、アゴラなら正直90分くらいにまとめてほしい。