言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

「まなざす」と「まなざされる」の反転

ムケイチョウコク「反転するエンドロール」感想。千秋楽終わったのでめちゃくちゃネタバレしていますが、再演あるかもなので気になる方はご注意ください。本当におもしろかったんだけど、行く前にインターネットにどういう公演なのかの過去情報があまりなくてやや不安だったので、次回公演時の参考になればと思って詳しめに書きます。


serial numberの公演で3回ほど観て、演技も顔もド好き…と思っていた佐野功さんが出るのと、DAZZLEに狂って以来イマーシブシアター全般に興味があるので観に行った。

 

この作品には役が与えられる登場人物チケット(キャストと会話する)と、無言で見守る傍観者チケットの2種類が用意されている。舞台はとあるミニシアター映画の完成披露パーティー。8人のキャストが演じるのは、監督、プロデューサーである妻、助監督、映画美術家、元俳優の芸能プロダクション社長、主演俳優、助演女優、会場であるカフェの店員。ちなみに会場のポレポレ坐は実際に地下がミニシアターなので、会場選びから没入に配慮されていることがわかる。

ただ、これは全て表の世界における配役で、会場が2つに仕切られており、向こう側に裏の世界がある。そこは表の世界から見ると監督と俳優たちが映画上映前座のパフォーマンスを準備している部屋なんだけど、同時に監督が撮った映画「砂と影」の中の世界でもある。砂嵐が吹き荒れる砂漠の街の酒場。裏の世界において監督は監督のままだけど、主演俳優は博打打ち、助演女優は占い師という劇中で与えられた役になっている。また他の登場人物も裏の世界にやってくる瞬間があり、そのときは助監督は町長の娘、美術家は似顔絵描き、プロダクション社長は元マフィアという役を与えられ、違和感なくそれに馴染んでいる。ずっと変わらないのは監督の妻のみ。


登場人物チケットは13名で、1〜9は表、10以降は裏の世界の役を与えられる。1は助監督の姉妹、2は助監督の婚約者、3と4は芸能プロダクションの俳優(4は監督妻の姉妹でもある)、5は監督の主治医である精神科医、6は映画インフルエンサーで社長の友人、7は美術家のアシスタント、8は美術家の子供、9はカフェ店員の友人、10は自分の名前を探す記憶喪失者、11と12は安住の地を求める隣国からの亡命者カップル、13は息子を探す親。「砂の影」は皆が何かを探し求めてそれが見つからない、という物語なので、裏のキャラクターはほぼ全員何かを探している。わたしは登場人物で2回入って、七瀬朝日と亡命者のリンになりました。


この設定でわかるように、登場人物チケットのキャラクター(特に表)は全員それぞれストーリー中で深く関わるキャラクターがいる。最初に与えられた設定の紙を読んだ時点ではまだ自分がうまく動けるかかなり不安だったが、冒頭でそのキャラクターから話しかけられ会話を交わすと、自然と自分がとるべき振る舞いや受け答えがわかる、というか導かれる。わたしは登場人物の初回が美術家・八戸剛の弟子である七瀬朝日だったんだけど、八戸に「お疲れ」と話しかけられて「お疲れ様です」から会話を交わしていく中で、自然とこの人の弟子であり尊敬している、というロールプレイに入っていけた。


登場人物チケットのキャラクターにはそれぞれ設定やアイテム、一部には秘密が与えられていて、これはマーダーミステリーに近いのかもしれない(自分はあんまりやったことないけど)。七瀬の場合、実は八戸は右腕が動かず、今回の美術はほぼ七瀬が作ったという秘密がある。これは絶対に誰にも言ってはいけないと記載されていて、八戸は会話の中でそのことを申し訳なく思っている素振りを見せるし、中盤で監督の妻・杏奈にそのことを問い詰められる場面があり、このとき何と返事をするべきなのか、本当に動揺した。結局わたしは事実を隠し通し、後で杏奈役の大塚さんに聞いたら、どちらの選択をする客もいる(なので両方のパターンの受け答えが用意されている)とのことだったんだけど、その瞬間のヤバい、バレた?!という感情は、私自身のものでもあるけど七瀬朝日としてのものでもあって、完全に役に入り込んでいた。

これはTwitterでも書いたが、わたしは注意力散漫なのか感受性が弱いのか、劇場で客席に座って舞台を観ていると、あまり物語の中には入り込めていないことが多い。もちろん舞台自体は楽しんでるんだけど、このシーンの照明は…この演出の意図は…セリフの抑揚が…とかメタなことをすぐ考えてしまう。わたしは演劇を見るとき、楽しさの6割くらいを構造や見せ方から制作者の意図を読み取ることに置いているんだと思う。だけど、この登場人物チケットはそんな俯瞰の視点ではいられない。一対一でセリフが飛んできて、作品を成り立たせるためにはそれにとにかく返事をしなくてはならない。なぜなら場には傍観者チケットの純粋な観客がいて、自分自身も舞台に上げられているから。そしてそれを続けていると否応なしに自分が作品世界に入り込んで感情を動かされて、目の前で起きることに自然と驚いたり悲しんだり辛くなったりできて、時には涙まで出て、それがめちゃくちゃおもしろかった。想像力のブースト?バフ?をかけられた気分だった。わたしのように物語に入り込むのが不得手な人にこそ体験して欲しいイマーシブだ。


物語の内容について。軸となるストーリーはきちんとあるが、割と群像劇に近い。登場人物チケットの場合、会場内で自由に動くことはできず、キャラクターの促しに従って行動していくことになるので、普通は自分が深く関わるキャラクターの物語にフォーカスすることになると思う。そして最後、特に表の登場人物はそれぞれ自分が深く関わったキャラクターから問いかけを受け、ここで何と返事をするかによって各キャラクターが迎える結末が変化するようになっている(らしい、わたしも全パターン見たわけではないが確かに展開の違う回があった。絶対選ばれないだろうパターンもあるが)。これもとても良い。イマーシブシアターのすべてがそうなわけではないのかもしれないが、イマーシブを謳うなら本来マルチエンディングであるべきだと思っているので。あと、基本的には会話で進みつつ、オープニングや劇中で登場人物がダンスのようなムーブメントをするくだりがあり、それによって現実と切断されて物語世界へ誘引される感覚があった。


一方、傍観者チケットだとキャストおよび登場人物チケットからは見えない存在、場の空気や影として空間に存在することになる。なので自由に移動でき、好きなキャストをひたすら追ったり、気になる会話を聞いて回ったりできる。ただ占い師のキャラクターにだけは存在を感知されていて話しかけられる場面があったり、終盤の監督の独白で傍観者の存在が舞台装置になる瞬間があったりと、完全な透明ではない。そしていちばん最後のエンディングでは、キャストが傍観者の手をとって踊り、それを着席した登場人物が観る。この演出がとてもおもしろくて、「まなざす」と「まなざされる」の鮮やかな入れ替わりが、まさに「反転するエンドロール」そのものだと感じた。物語自体も、監督が妻に頼んで脚本の結末を書き換えるという終わりを迎えるので、ストーリー的にもタイトルが回収されている。また、ダンスなんてしたことないけど目を見られながら手をとって誘われると自然とそれらしく動いてターンなんかもできたりして、これも劇中で演者に自然と誘われて自分の内部から言葉が湧き出てくる感覚と重なって面白かった。

 

喋れるイマーシブを初めて体験して、改めてイマーシブシアターが観客に委ねる要素の大きさを実感した。あの場にいる誰かひとりでもレギュレーションから逸脱した言動をとった瞬間に物語が成立しなくなる。DAZZLEの百物語でもそうだったけど、観客を信頼して任せる部分がめちゃくちゃ大きくて、そういう信頼に触れると嬉しいし、特別な体験をしたという気持ちが強まる。


演者もみんな素敵。裏の世界だと映画監督・KEIの善良さやピュアさに心を打たれて、特にリンは不安な立場なのですごく安心させてもらった。市川さん劇中の音楽も手掛けてるらしくて多才すぎんか(サブスクで聴けます)。逆に表は杏奈の戸惑いや苦悩がわかるからこそ最後のシーンが刺さるし、マイクが姉や仲間の後押しを受け、かつて自分が演じた人気キャラ・ヤクザヒーローの一節を演じるくだりも本当に良いし…ひとりひとりの人格に魅力があり、Wキャストの役もあるのでキャストごとの違いも垣間見えてとても面白い。Venus of Tokyoでも思ったけど、複数キャストが同じ役を演じるのって、解釈の違いと共通点からその役の芯みたいなものが見える気がして好きなんだよな。

あと最後にオタクの叫びを書きますが、佐野さん演じる博打打ちエイトが好きすぎました。名うてのギャンブラーで修羅場も潜ってきたであろう男なのに恋愛偏差値がゼロで、「本当の恋」を探している。同郷の幼馴染であるアリサへの恋心を認識するシーン、あまりにもかわいすぎてにやにやしちゃった…でもギャンブルで登場人物たちを助けてくれたり、マイクとのやりとりでちょっとピリッとする瞬間はこの上なくクール。「ちょっと勝ちすぎちゃって笑」ってくだり好きだったな。これはわたしの主観だけど、佐野さんってどんな役をやっていても良い意味でちょっと二次元みたいな人だなあと思う。すてきです。もっといろんな役が見たい。