言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

性善説を描く覚悟

劇団チョコレートケーキ「ブラウン管より愛をこめて -宇宙人と異邦人-」感想。

 

これは懺悔なんですが、先週1回目を観たときにおそらく自分のコンディションがよくなく、「なんかあんまり好きじゃなかったな…」というテンションで感想を書き、しかし西尾さんがアフタートークに出るのでもう一度観に行った結果、自分がかなり話を理解してなかったことに気づくという恐ろしい経験をしました。2回目観ながら「ふつうにおもしろいじゃん…」ってなった。もう自分の感覚が全然信じられないんだが。しかしこれ元々2回観る予定にしてなかったら絶対「好きじゃなかったな…」のままだったので、西尾さんアフト出てくれて本当にありがとうございますの気持ち。

 

なので感想もかなり書き直してます。


子供向け特撮番組「ワンダーマン」を制作するスタジオが舞台。視聴率が振るわない中、経費削減のために怪獣を出さない回を制作しなくてはならず、監督・松村は大学時代の後輩の脚本家・井川を起用する。子供向けの執筆が初めてなのに急ぎで脚本をあげないといけなくなった井川は、特撮監督の古田、助監督の藤原のアドバイスを受け、人気特撮番組「ユーバーマン」の過去エピソードを参考に、人間から差別される宇宙人の話を思いつく。母星を失い地球に流れ着いたカスト星人が、人々から排斥されながらも唯一自分を尊重してくれるパン屋の女店主:サエコと出会う物語「空から来た男」だ。

ラストについて松村からダメ出しを受けつつも、主演俳優の佐藤、ゲストで出演することになった人気女優の森田、そのバーターの若手・下野らと撮影が進むが、撮影も終盤になってテレビ局サイドから差別をテーマにすることへの懸念が生じ、宇宙人を悪者にする形へ脚本の書き換えを求められ…。


劇中で井川が過去に目の当たりにした差別を思い出したり語るシーンがあり、カスト星人は在日外国人、部落出身者、性的マイノリティなど色々なマイノリティを象徴した存在だとわかる。井川は当初、暴徒によってパン屋の女店主が殺害された後、巨大化したカスト星人が街を焼き尽くすのを自業自得と止めないワンダーマンというラストを描くが、松村はそれを否定し、カスト星人が復讐を選ばず街を去るというラストを選んだ。女店主がカスト星人にかける「私はあなたが怖くない」という言葉は、人間が自分と違うものを恐れて排斥する差別の根本的な構造を示していて、「同時に恐怖を手放そう」というのも、暴力の連鎖ではなく相手も人間だと理解することで謂れのない恐怖を乗り越え差別をなくそうということなんだろう。1回目に観たときは、それはまあそうなんだけど今苦しんでる人からしたらややトンポリ的じゃない?差別者は報いを受けるべきでは??という思いがあったが、2回観て理解したのは、そもそもこの話は差別者被差別者の対立、実在する差別問題というよりも、万人の中にある差別心について、皆が自分を省みるべきという視点で描いているということ。台本の読み合わせシーンで顕著だが、「空から来た男」に登場するキャラクターたちはすべてが我々の心の中に存在しうる要素のひとつだ。そして「空から来た男」を変更するか否かの話し合いのシーンで森田が叫ぶ、「物語の中でだけは正しくいられる」という言葉がこの話のキーなのだと思った。誰しもが差別をしてしまう可能性があるし、松村が古田と岸本に毒づくように差別と悪意もセットではない。悪意がない差別だからこそ無くすのが難しい。それでも森田がサエコのようでありたいと語るように、我々は差別を見過ごさず認識し、無くす努力をする必要がある。フィクションはそのための力になれるし、そうあるべきだ。去年戦争六篇を観たときも劇チョコは基本的に人間が好きで性善説だなと感じたんだけど、今回もそうで、でも性善説をやるためのそれ相応の覚悟みたいなものがあるのもわかる。

 

帰ってきたウルトラマン」に「怪獣使いと少年」という話があり、それがこの物語のネタ元になっている。1回目に観たとき、前提として固有名詞を出さずに特撮番組設定でこの話を描くにはやむを得ない展開だろうということは理解しているし、特撮の制作現場知らないから実際にある話なのかもだけど、作中の全員ユーバーマンからのパクりについてどう考えてるんですか?という気持ちがわいていたが、藤原がそれは代弁してくれていた。また、それまで差別を目の当たりにしながら見過ごして生きてきた井川が、なりゆきでこの設定を得たことで過去の経験を思い出して主体的に反差別を示していくという成長物語でもある。井川って別にめちゃくちゃ理想家なわけでもなく、どちらかといえば小心な人間に見えるし、一度松村に「カスト星人と心中するわけにはいきませんもんね」と言うシーンとかすごく中途半端なんだけど、松村が変更に同意しなかったため桐谷から直接脚本を書き換えるよう言われたとき、それにノーを唱え「僕はかけがえのない僕だし、あなたはかけがえのないあなた、互いを尊重する、それが近代社会が目指す平等」という根本的な話を始めるシーンは、劇チョコ(というか古川さん脚本か)のストレートさがめちゃくちゃ出ている印象だった。「社会派の脚本家じゃなきゃ扱ったらダメなのか」「差別はダメ、それを言い続けないと」みたいなくだりも、桐谷を通じて今の社会全体に向けられているような。

 

史実ものでない劇チョコを観るのが初めてだったんだけど、最初に観たときは下野が差別に対して極端に無知な発言をして、それを森田や井川が正すシーンに、ちょっとストーリー上言わされてる感というか、啓蒙ビデオっぽさを感じていた。実在する差別の問題自体をストレートに描くのではなく、差別をテーマにした作品を作ろうとするクリエイターの話として描いているので、作劇上の都合として下野みたいなキャラを登場させないと、前提となっている差別について具体的に掘り下げて話すことが難しいんだろうなとは思うんだけど…あと下野自身は愛すべきキャラなんだけど…(浅井さんのアフターアクトで最後登場するシーンよかったな)

でも舞台っていろんな人が観る可能性があるわけで、まったく前提知識がない人(本当に下野みたいな人)にとっては説明がなかったらさっぱりになるわけだから、差別というテーマを描く上ではこのくらい丁寧にやるのが真摯なのかもしれない。他の作品で性的マイノリティを描いたものを見たとき(serial numberの「すこたん!」)も、そこまで全部言う?と思ったことがあったのを思い出した。センシティブな問題についてフィクションが誤解を生じさせることを避ける責任感なのかも。そして、終盤ストーリーを変えるかどうか?で膠着状態になったとき、下野は「差別がダメって言うのは悪いことじゃないですよね?」という根本に立ち返った発言で皆が意思を取り戻すきっかけになる。


松村というキャラクターについては2回観てもなお縦社会パワハラみを感じるので好きではないんですが、あれこそが彼の生存戦略なのかもなとも思う。あと、井川の記憶の中の声と、松村が結婚の話をしたがらない時点で多分ゲイなんだろうなと思ってたんだけど、最後のくだりで知ったという人も多くて、これはいつ認識したかによって作品の印象が変わりそうと思った。

キャラで好きだったのは古田。彼は局NGが出たときすぐさまそれに従う姿勢を見せるけど、それは特撮が大好きで、これからも特撮の仕事をしていくことを最重要視しているからなので、筋が通っていると思う。あと藤原とのやりとりがかわいい。ユーバーマンクイズのくだりニコニコしてしまう。浅井さんの佐藤も自分が今まで浅井さんに持ってたイメージと全然違ってびっくりしたな。悪い人じゃないんだけどほんとに何にも考えてない感じですごい。筋トレしました?元からあんな感じだったっけ?下野が自主稽古のシーンで喋り方とか似てきてミニ佐藤みたいになってるのがほほえましい。

 

特撮ヒーロー劇中劇に仮託して、差別の問題とそれへの人々の向き合い方を示すのはどんな人でも見やすいし、「帰還不能点」でも感じたようにシームレスに本編と劇中劇を行き来しながら描く手法は見事だなと思った。井川がカスト星人と対話しながらストーリーを考えていくくだりは好きだったし(ここで女店主への感情を性愛ではないと定義するのがよかった)、迫害されるカスト星人のシーンでの皆の切り替え(特に清水緑さん)にはゾッとした。ここ、照明でセピア色っぽくしていて、モチーフになった関東大震災時の虐殺も彷彿とさせるし、悪夢の中みたいでもあるんだけど、群衆がいなくなると倒れた店主とそれを抱えるカスト星人、その後ろに立つワンダーマンのところにじわーっとサスが当たって色が戻ってくるのがいい。


舞台の真ん中に特撮のミニチュアセットがあり、そこに当てる光で日が沈み夜になるのを示したり、古田や藤原が舞台上の照明を操作してシーンを作ったり、色々おもしろい見せ方があった。井川が放送された回を観ているシーンでテレビの光が顔に当たってちらちらしてるのもいい(手前の転がしを点滅させてた)

物語の最後は、カスト星人がひとりで街を離れ放浪し、死の間際に女店主の幻影を見るというシーンで終わる。これは井川が提案して松村に却下されたラストなので実在はしないのだが、ここで座るふたりの背後にある街のジオラマにたくさんの豆電球が灯り星空を演出するのが美しかったな。