言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

描かれたもの、描かれなかったもの

劇団ヒトハダ「僕は歌う、青空とコーラと君のために」以前観た「泣くロミオと怒るジュリエット」がすばらしかったので、鄭さんの作品をまた観たいと思って行った。本当に全然褒めてないし、観てつらかった話をしています。


戦後すぐ、米軍御用達のキャバレーが舞台。元特攻隊員のロッキー、ゲイで女言葉を使うファッティ(トランスなのかと思ったが身体は男性である旨のセリフがあるのでゲイと記載)、日系米兵のハッピー3人は「スリーハーツ」として日々ステージで歌っている。ある日ママであるジーナの甥っ子が朝鮮半島から亡命してきて、色々あってゴールドという芸名でメンバーに加わり、スリーハーツはフォーハーツになる。しかし朝鮮戦争が続く中、ハッピーは戦地へ赴くことを命じられる。ゴールド、ジーナ、ロッキーの3人は朝鮮人なので、特にゴールドは強く反発するが、ハッピーはアメリカ国民としての責任を果たすと出征していく。

その後ロッキーの元に来ていた他クラブからの引き抜きの話が表面化する。戦時中ロッキーと、ジーナの息子は特攻隊にいて、しかしロッキーは生き残り息子は死んだ。そのことに責任を感じていたロッキーだが、ジーナに励まされ、ゴールドらに問われて自分がなぜ生き残ったのかを語り、過去に整理をつけて引き抜きを受ける。

しばらく時が経って朝鮮戦争が終わる。ロッキーは引き抜き先で、ファッティとゴールドはふたりだけでフォーハーツとして活動を続けている。キャバレーを閉めることにしたジーナのところに除隊したハッピーがやってきて、偶然皆が再会するが、彼は爆撃で左腕を失っていた。また朝鮮戦争中に米軍による虐殺を目にし、信じてきたものを失ったハッピーは、もう歌えないからハワイに帰ると言うが、ハッピーが戻るのを待ってフォーハーツとしての活動を続けてきたゴールドは納得できず、どうしても皆で歌いたいと譲らない。最終的にジーナが最後のお願いとして一度だけ4人で歌ってくれと頼み、歌うフォーハーツ。ハワイに帰っても希望が持てない今、生きていけるか怖いと吐露するハッピーに、離れていてもつながっていると励ますゴールド。ロッキー、ファッティ、ゴールドは旅回りに出て行き、ジーナはハッピーにお土産として桜の枝を渡し、ハワイで咲いたら皆で見に行くと言う。最後袖から「満開ですよ!」とハッピーがジーナに呼びかけて幕。


何というか、マジで合わなかったとしか言いようがない。別に脚本が極端にめちゃくちゃなわけでもないし(先は読めるけど)演者も叫びすぎるしやや過剰な感はありつつも普通に上手い人が多いけど、本当に合わなかった。開幕で3人が女装して出てきて、ファッティのブスいじりみたいになったところで結構もう無理かもしれんと思っていた。

今書きながら思ったが、ファッティの描かれ方が明確に無理だったのかもしれない。ファッティは人に優しく共感しやすいが、下品だしデリカシーに欠ける部分がある。こういう「オネエ」(あえてこう表現する)の描かれ方、百万回見た。そしてかなり太っていて、周りの仲間たちはそのことをデブやトドとからかう。それはこの劇中では軽口として扱われるし、ファッティ自身も何よ!と言い返すから、全然深刻な問題じゃないのかもしれない。本題じゃないところに引っかかっていると言われるのかもしれない。そもそもこれは1950年代が舞台だから今の感覚でとらえるなと言われるのかもしれない。でもファッティがファッティじゃなくてスプリングと名乗りたがっているのに、皆がファッティと呼び続けるのがわたしは見ていてつらかった。クリスマスの衣装を着る場面で顕著だったけど、変な衣装を着て、メインボーカルをやると思いきや他のみんなにおいしいところを奪われて右往左往する、それで客が笑う、セクシャルマイノリティを使ったそういう笑いのセンス自体がしんどくなってしまって、帰ろうかなと思った(結局最後まで見たけど)その扱いはファッティがセクシャルマイノリティだからではなく、ファッティがファッティという個性の人間だからだ、と言われるのかもしれないけど、そこは切り離せる描き方ではないと思う。なんかナチュラルに下に見ている感じがするんだよな。

あと、ファッティ以外のキャラについてはこのキャバレーに来る以前の過去背景と抱える傷が詳細に描かれている。ハッピーはハワイ生まれで、日系であることで敵性外国人のレッテルを貼られるのを逃れるために米軍に入った。ゴールドはひとりで朝鮮戦争から逃れてきて、家族は北に残っていて生死もわからない。ロッキーは朝鮮人だが特攻隊員になったことで戦時中は神と祭り上げられ、しかし飛行機のトラブルで玉砕せず帰還したことから隔離、戦後は朝鮮人からも日本人からも糾弾された。また自分のせいでジーナの息子が死んだという責任を感じている。ジーナは息子を亡くし、しかもその志願理由は日本軍が家族の面倒をみてくれると聞いたためだった。ファッティだけこういう過去が何ひとつ劇中で語られない。男を頻繁に変えるということと、劇中後半では既婚者の軍人に憧れているということくらいしかわからない。「朝鮮人が3人もいる」という台詞からするとファッティはおそらく日本人だと思うのだけど、なぜこのキャバレーに流れ着いたのかの裏にはセクシャリティが関係しているのではと思うのだが、その辺りが何も掘り下げられずに終わったのも、ファッティの描き方が無理という気持ちを強めた理由かもしれない。この物語の主題が戦争で、そこに直接は関係しないであろうマイノリティの要素を描かなかったのかもしれないけど、「オネエ」を便利な舞台装置にしないでほしいと感じてしまった。


あとストーリー的にはゴールドが(役が役者の実年齢より若い年齢設定なのもあるだろうけど)とにかく我が強いのが結構きつくて、ハッピーが出征するくだりとか(これはまあ最終的に「誰も殺してほしくない、死なないでほしい」が本心だったとわかるから、まだいいんだけど)ハッピーがもう歌えないと言った後にそれでも歌おうと言い続けるくだりとか、よくそこまで人の気持ちを考えずに強く物を言えるな…サイコパスなのか…という感想になった。そもそもハッピーは戦争に行く時点で別にフォーハーツを守ってほしいとは言ってないし…物語の中のハッピーは最後歌ったことでかすかに救われるようだけど、本当にそう?という気持ちがすごい。ご都合的に感じてしまう。わたしが傷に対して強引に第三者が干渉してポジティブに進む描写が苦手(現実に反射させたとき有害と感じるため)なのもあると思うけど。


なんかめちゃくちゃつらかったところだけ書いてしまったが、よかったところでいうと梅沢昌代さんのジーナは比較的台詞に共感できたし、強くて凛としていて、コメディシーンの間の取り方とかもうまいな〜という感じだった。あとピアニストのシュガーこと佐藤さんが味があったのと、ゴールドが歌ってみてって言われて買い物ブギを歌うシーンは歌が上手くないと成立しないが、そこまで押し黙っていたところから120%振り切ったパフォーマンスする尾上さんが爽快感あってよかった。あとロッキーが過去をぶちまけるシーンの、「俺たちは神様じゃなかったのかよ!使い捨ての肉弾か?」みたいなセリフははっとした。泣いてる人もいっぱいいたので、好みによるんだろうなと思います。