言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

失敗を忘れずに語り継ぐ

アルキメデスの大戦」脚本演出が劇チョコタッグで、岡本さんが出演して、照明が松本大介さんは見るしかない!と思って行った。おけぴで譲ってもらったのがまさかの2列目で、こんな距離で鈴木拡樹さんを見ることは今後一生ないのでは…と思ったり。元々はマンガで、菅田将暉主演で映画化もされてるけど全く未見。


あらすじ。太平洋戦争前夜、海軍では空母を新たに建艦し航空戦に力を入れるべきと考える山本五十六らと、旧来通りの考えで超大型戦艦を建艦するべきという勢力が対立していた。超大型戦艦の建造費見積に偽装があると見た山本はそれを暴いて空母案を通そうと考える。主人公の櫂は天才的な数学センスを持つが、書生として身を置いていた大手造船会社と軍部の癒着を批判し職を追われ、帝大数学科も退学となったばかり。山本と出会った櫂は、今超大型戦艦を建造したらアメリカと戦争になる、それを止めるためだと口説かれ、建造費見積の偽装を暴く計画に取り組むことになる。部下としてつけられた田中少尉と共に紆余曲折ありながら決戦会議に挑み、一度は大型戦艦案を退けるが、実は戦艦案の裏にはある狙いがあった。また、山本も決して反戦派というわけではなく、日本は戦争へと進んでいき…。


とてもよかった。というかこの原作を舞台化しよう!クリエでやろう!古川さん脚本日澤さん演出でいこう!と決めたプロデューサーがすごい。これは勝ち確じゃん。絶対面白いじゃん。戦争ものって、ドラマチックにしようと思えばいくらでもできるけど、きちんと作らないととても薄っぺらく見えるリスクがあると思っていて、その点しっかりした台詞と抑制された演出で安心して見れた。なおかつ、劇団公演よりはエンタメに振っているというか、かわいいシーンやラブストーリー要素もあり、あと舞台装置をいろいろ使うのでその印象の違いもあっておもしろい。例えば山本と櫂が初めて会う宴席のシーン、これ劇チョコだったらお膳だけ出して表現するやつ(戦争六篇で見た)で壁と座敷が出てきてる!と思って楽しかった。別にセットに関しては充実してる方がいいというわけでもないと思うけど、多分いろんな人が観に来る作品なので丁寧な見せ方になっているんだと思う。


作品のテーマとしてはラストでも語られる通り「太平洋戦争という失敗の歴史を忘れずに語り継ぐ」という趣旨が明確に示されている。ラストの田中の「末端だろうと止められなかった」「わたしたちの、わたしの責任です」という言葉が胸に残る。生きて次の世界を作る櫂と田中が自分自身の責任を語ることで、その延長線上にいるわたしたち観客も自らを省みることになる。あと夏に劇チョコの戦争六篇を観たので、櫂の「沖縄は地獄だろうな」という台詞でちょうどこのころ「ガマ」の人々が体験していたであろうことを思い出したりして、そう考えると櫂や田中は上層部でこそなくとも、十分に責任があるよな…という見方にもなる。

これは原作のおもしろさでもあるんだろうけど、手に汗握るストーリー展開によって観客を作品に没入させながらも、田中のセリフに「始めてしまった戦争をコントロールすることは誰にもできない、だから戦争を始めてはいけない」とある通り明確に反戦のメッセージを発している。その伝え方がうまいと思う。あと海軍上層部が意図的にめちゃくちゃ幼稚な人間として描かれていて、大角と嶋田が大和の模型ではしゃぐシーンとか笑っちゃいそうになったが(笑い事ではない)だからこそ決戦会議の後に山本が空母の模型で遊んでるシーン、お前もか…という気持ちでずーんとなった。

もうひとつ、国民の血税を軍備に使うことを批判するくだりで、軍は税金を懐に入れたら自分の金だと思ってる、というような台詞があったが、これは軍を政府に変えたらまるっきり今の日本と同じなので、痛烈だなと思った。


俳優で知ってたのは岡本さん除くと鈴木さん宮崎さん小須田さんで、他の人は舞台では初見。平山役の岡田浩暉さんがめちゃくちゃよかった。平山は前半櫂たちと対立するが、一方で財閥と癒着し堕落した大角や嶋田とは一線を画している。決戦会議で櫂から設計案の不備を指摘された平山はそれを認めて自案を撤回、櫂と平山の間には技術者として通じ合うものが生まれる。そして平山は櫂に大和の模型を見せ本当の計画を伝える。平山は対米戦は絶対に負けるが、もう避けられないと考えているからこそ、戦艦大和というシンボルを作りそれを戦争の中で沈めることによって、日本がうまく負けられる形を作ろうとしていた。大日本帝国依代としての大和。このくだりは完全に想像を超えていて圧倒されると共に、沈めるための船、生贄を生み出そうとする平山に胸を打たれて泣いてしまった。しかし、最後まで観劇し終わった今改めて考えると、あの平山の言葉ってどこまでが言葉通りの真実なんだろう…とも思う。もちろん嘘ではないだろうが、それと同じくらい平山は単に大和を完成させたい、この美しい戦艦をこの世に生み出したいというシンプルな欲求に言外で突き動かされていたのではないかという気もしてくるんだよな。

結果大和が沈んでも日本は戦争をやめず、国家に絶望した平山は、多くの人の命を奪った責任を取る、疲れたと言って拳銃自殺する。ここの憔悴した姿から最後の力を振り絞り絶望の叫びをあげる演技がとてもよかった。あと、死ぬシーンをもっと劇的に演出することもできると思うんだけど、「死ぬなよ」と言い残して袖にはけ銃声、という淡々とした見せ方もよかった。


宮崎秋人さん演じる田中少尉も素晴らしかった。初めて知ったのが確かザ・ドクターで、そのあとマーキュリーファーとひみつせんでも観たけど、いつもめちゃくちゃ演技が良い。単体で見てもその場全体として見てもしっくりくるし、感情の上下がビリビリ伝わってくる。田中が空母での奇襲作戦を目論む山本に詰め寄り「見損ないました」と言うシーン、田中が本当に泣くのを必死でこらえるようなつらそうな顔をしていて、内臓を絞られる気持ちになった。この物語って櫂が主人公ではあるけど、田中視点で見ると山本に心酔し自分の頭で物事を考えていなかった田中が櫂と出会い、自ら動く中で山本と決別し、自分なりの考えを持って生きられるようになる、そして最後にはかつて自分に喝を入れた櫂に道を示す、という成長物語でもあるんだよな。ラスト、田中から手を差し出して櫂がそれを握る(たぶん…)のが、田中が櫂の部下につけられた日とちょうど逆になっているのも成長を感じさせた。しかも今回はちょっとかわいい笑いのシーンで場を和らげる瞬間もある。すごく計算しているのか天然でできているのかわからないけど、自分が客席からどう見えるかをとてもよくわかっている俳優という印象。次に出るのマヌエラ?ノーマークだったけど行こうかな…あと何らかの舞台で主演してほしいし、劇チョコに客演してほしい!!!

言い方が難しいが、田中ってパッと見で演じるのにとっつきにくいタイプの役ではない気がするんだけど(若者だし部下だし、基本的に自分の感情に素直)だからこそどれだけその奥に深みを出せるかで観客の受ける印象も違うだろうなと思って、田中からテンプレ的な印象をまったく受けなかったのは宮崎さんの作り込みのすごさだと思う。


鈴木拡樹さんは三日月宗近でしか見たことがない。今回よくないわけではなかったけど、めちゃくちゃよかった!という感想でもなくて、何でだろうと考えたら理由が大きく分けて2つあると思う。

ひとつは櫂の設定上年齢との差。櫂って帝大を中退したという設定からするとおそらく20代前半と思われ、それを前提とした生意気で歯に衣を着せない若者のキャラ造形だろうが、鈴木さん自身が37歳の落ち着きで、なおかつさほど若い役作りというわけでもなかったので、そこにどうしてもズレが生まれてくる。ただこれはご本人がどうこうというよりも、この作品にこの役であえて鈴木さんをキャスティングする興行側の意図がわたし個人にハマらなかった、ということだと思う。

もうひとつはたぶん演技の方法論なのではと思う。見ていて、鈴木さんはかなり演技や表情の作り方が大きく、それが他の人と少し違う印象だった。たとえば眉の上げ下げとか図面を引くシーンの動作とか、単に身振り手振りが大きいということだけではなくて、表現したい感情を動作や表情に変換するときの変換器のパワーが大きい、と言えばいいのだろうか。演技って多かれ少なかれフィクションだけど、そこのフィクション性が強いと感じた。刀ステでは思ったことなくて、これは多分周りもそうだからだと思う。2.5次元との違いなのかもしれない(わたしは2.5次元も見るしどちらが上という考えはないが、アウトプットの形に当然違いはあると思う)でも良いと感じたシーンもたくさんあった。特に冒頭大和が沈んだ知らせを受けるシーンで左頬がピクピクしていて、堪え難い感情を抑え込んでいるのが伝わってきたし、黒板で鉄の重量から船の建造費を計算するシーンは本当に天才数学者に見える(緊迫したシーンなのに、計算しているのが楽しそうにすら見えるのが良い)

 

松本大介さんのライトはそのとき観客が見るべきものを照らすことで、物語の推進力のひとつになっていると感じた、見せるものと見せないものが取捨選択されているんだなあと思う(たとえば序盤で櫂と山本が幻想で会話するシーン、山本の顔は見えるが、付き従う部下は姿ははっきり見えるけど各々の顔は見えないようになっているのとか)

あと鏡子さんの服が全部かわいい!と思っていたら、湊横濱〜と同じ衣装さんだった。あれもかわいかったもんな、特にヒトガタちゃんが…レトロな感じが得意なのかな。