言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

戯曲を生かすのも殺すのも演出

青年座「燐光のイルカたち」青年座は基本的に観に行くことにしているのと、横堀悦夫さんが観たくて行った。


北と南が壁で分断された国で、北が南を半ば支配している。南の壁の近くで主人公の真守が営む商店に、ある雨の日、北の青年・凛が迷い込む。真守、凛、真守の妻である一恵、一恵の妹のふみが登場する現在と、真守、弟のひかる、兄弟の両親、父の友人である丈二が登場する過去(真守の回想や幻想)が入り混じりながら話が進む。過去に登場する人々は真守以外は故人であることがだんだんわかる。真守はやや精神が混乱していて、幻想の中で死者と対話したりもする。


最初は壁から東西ドイツがモチーフかと思ったが、モデルはパレスチナ自治区であることがだんだんわかる。北は大国の力を背景に南を実質支配下においていて、「青パス」を持っている北の一部の人間は南に自由に出入りできるが、南から北には行けない。北の支配は抑圧的で、北の人間が入植してきて南の土地が奪われているし、ひかるたちの祖父母は(おそらく)北に殺された過去がある。ちなみに南の人間は関西弁を喋るしお好み焼きを食べるし登場人物は全員日本ぽい名前だが、冒頭で凛の名前について「変わった名前」というくだりがあるので、日本ではないという布石なのかもしれない。家族の温かな会話の中で、少しずつ過去に何があったのか、生き残った真守が抱える痛みが明らかになっていく。


先に書いておくと、ひかるは脚本家を目指していて、ドキュメンタリー監督である丈二の手引きでシナリオコンペに応募し、入選して海外留学するが、留学先で丈二から母が北軍に殺された知らせを受け、テロ組織に洗脳され、ハイジャックテロ(9.11をモチーフとしている)実行犯となる。事件後に真守と父は収容所に送られ拷問を受け、おそらく父は獄死、真守だけが店に戻る。テロ組織は摘発され丈二も軍に殺害される。というのが過去にあったこと。


何だろう…面白かったし思うことは色々あったんだけど、完璧にピンときたというわけでもなく、感想の言語化が難しい。理由のひとつは後半かなり急展開するからだと思うが、その展開自体は思い返せばある程度いろいろなところで準備されている。丈二は知り合いが吉見(テロ組織のリーダー)と会ったことがあるというくらいには反体制側の人間だし、ひかるは祖父母が殺されたことや抑圧される生活に強い怒りを感じていて、世界を変えたいと思っていることはセリフにもある。ただ、終盤過去にあったことが明らかになっていくシーンで力技な気がしてしまったのは、正直演出が陳腐だと感じたからだと思う。もったいなかった。真守と父が夜の店で喋るシーンから、収容所での拷問の回想になり(ここまではいいと思う)そのあと母が銃殺される。舞台後方におかれていた壁のセットが移動され、開かれた空間にひかるがひとりで登場し、音声と会話する形で自分にあったことを語る。まず音声と会話する形って音声が一定である以上想像以上の形にならなくないですか?わたしはそれなら完全に一人芝居にしてしまったほうがいいと思う派。舞台奥の壁前に死者たち(父母と丈二)も現れてセリフを言うくだりもあるんだけど、流れ的に観客はこのときまだ丈二の死を見ていないので(この後死ぬが)違和感があったのと、テロが始まってから舞台奥の壁に単語がたくさん投影されるんだけど、それがどうしてもチープでは?(最後「さようなら」が残るのも含めて)という印象だった。あとここで舞台の後ろ側を開けるが、ラスト舞台後ろの壁に再度イルカの影を投影するくだりがあり、そこまでのシーンが開いたまま行われていて、それもうーん…という感じがあった。

戯曲を読んだらこの部分は一切ト書きがなくて、セリフ(?)が詩のようにたくさん書かれているだけだった。つまりここは演出が自由にできる部分だと思うが、果たして今回の演出が本当に正解なのか?という疑問が大きい。考え抜いた結果これなのか?あと壁は店の出口の外(舞台の奥側)にあるので劇中客席からは明確に視認できないんだけど、このテーマでその美術が良いのかもちょっとわからないんだよな。ただ、ひかるが独白するシーンのセリフのキレはすごいと思う。だからこそこの言葉を120%観客に突き刺す演出がもっとあるのではないか?という気がしてしまう。


ストーリーについて。生前のひかると真守はひかるが書いていたシナリオの結末で議論になり、ひかるは南の人間が北の人間を殺す結末、真守は殺さない結末を望んでいた。だから過去で丈二から銃を託された真守は兵士の頭を狙うが発砲はしない。ラスト、凛から南と北それぞれで暮らす者の視点を合わせて脚本を書こうと言われた真守は、「シナリオに書いたことは本当になるんだ」と言い、真守の語りに乗る形で北と南の少年が出会う劇中劇が始まり幕。非常にシビアな話ではあるが、終わり方には人類愛と希望が残るともいえる。ただ、タイトルの「燐光のイルカたち」について、これは劇中でアーティストの男が壁に描いて射殺されたグラフィティのイルカでもあり、ラストシーンの劇中劇で壁を越えていく2人の少年の姿でもあると思うが、同時にひかるのマインドコントロールに一役買ったビデオにもイルカが登場している。戯曲冒頭にも、「魂を冥界に運ぶ死者」「救済と復活の象徴」という相反する2行がある。また燐光の意味もグラフィティの蛍光塗料でもあり、同時に腐敗した生物が発する青白い死の光でもある。明確にこれ!というのはなくてイメージの多重写しみたいな感じなのかもしれないが、自分は最後の劇中劇のシーンが現実の生では決して生じ得ないという印象をうけた。主観です。

あと現代において一恵とふみを置いた作劇意図がいまいちわかりきらない部分があり、また真守と住む世界が違ったであろう一恵がどのように知り合ったのかも語られないため若干腑に落ちず、真守は孤独である方が物語がクリアになるのではないかという気もした(これは個人の好みを多分に含むと思うが)。北から駆け落ちで来た一恵の身の上を語る中で北と南の差について説明しやすいというところもあるのかもしれないが。


演者について。横堀さん、野々村さん、松川さん3人のシーンで、本当に演技がうまい…と思わされた。特に野々村のんさんの母が元気でキュートでめちゃくちゃ良い。横堀さんの丈二も好きな役だったな〜。なんであんなに何気なく喋っているようで聞き取りやすくて込めた感情も伝わってくるんだろうか。松田周さんは冒頭とかこの関西弁合ってるのか?と思う瞬間がややあったけど、他の関西弁の人物と会話していると自然に聞こえるな。10年の年月を感じさせるくたびれ感は好き。凛を演じる古谷陸さんの邪気のない、良い意味でも悪い意味でも育ちの良い若者感もヒヤヒヤする部分含めてよかった。