言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

どこにも行けないぬかるみ

GORCH BROTHERS2.1 「MUDLARKS」先日衝撃を受けた「空鉄砲」のキャストということで観に行った。めちゃくちゃ良かったから売り切れてないのが解せない!大きい声を出すやりとりさえ大丈夫なら万人に観てほしい、つらいが…。以下ネタバレしています。


YouTubeで稽古場の様子とかキャストインタビューとか色々あげてくれていて、すごくいい取り組みだなと思うんだけど、先入観を持ちたくなかったのであえて見ておらず(2回見るので次までには見ようと思う)なのでこれは前提知識などを特にインプットしていない感想です。脚本家との対談だけは読んだ。


舞台はロンドン近く、工業地帯が広がる豊かとはいえない街・エセックステムズ川の川べりに駆けてきた2人の少年、チャーリーとウェイン。彼らは興奮した様子で、俺たちはすごいことをやった!と言い合っている。しかしチャーリーは繰り返し鳴り続ける電話に苛立ち、遅れてやってきた仲間のジェイクはなんだか様子がおかしい。会話の中で、彼らがやったことは何なのか、3人の関係と背景が徐々に明らかになっていく。

チャーリーは粗暴で素行もよくないが、両親との関係は悪くない様子。ウェインは3人の中だとバランサーで、父子家庭で貧困に苦しんでいる。ジェイクは比較的裕福な家庭に育ち、教育熱心な母の元で進学を志す。彼らは家が近所で共に育ったが、17歳になった今では境遇に違いが生じている。この街を出て何者かになりたいというジェイクに対し、チャーリーとウェインは反発し足をひっぱろうとする。これすごく身につまされる話で、イギリスが舞台ではあるけど日本でも感覚として同じようなことはあると思う。チャーリーもウェインも地元への愛着こそあれど決して状況に完璧に満足しているわけではなく、でもそこから出ようと志すきっかけや夢を抱くこと自体が、ある程度の知識を得ないと難しいという…後半でウェインとジェイクが夢について語るシーンもスーパーしんどい。ウェインは自分の身の回りに見えるものしか知らないから、夢を持つこともできないんだよな…あとウェインは序盤からずっと「家には帰らない」と言い父親の話題を避けるんだけど、それがネグレクト状態だった父親が失踪して6歳の弟と2人で残されている状況(そして弟をひとり残して家を出てきている)からだと途中でわかる。

チャーリーとウェインは橋の上から道路にコンクリートの塊を落とし(この様子は冒頭で描かれている)それが当たったトラックが事故を起こして運転手が死んだ。ジェイクは一部始終を見ていた結果、橋の下から姿を目撃されている。同時にチャーリーはこの日、好きだったクレアという女の子に迫ってビンタされたことに腹を立て、彼女を突き飛ばして殺したか怪我を負わせており、クレアの兄とその仲間がチャーリーを探していて、見つかったら酷い目に遭わされる、とドラッグでラリりながら告白する。ラリったチャーリーがナイフを出してジェイクとウェインを脅し、揉めた末にウェインの首を絞めるチャーリーをジェイクが刺すところで暗転。時計を見ていないのでわからないがここまでで1時間くらいかなと思うんだけど、体感マジで一瞬だった。


ふざけ合う3人の回想(夢?)を挟み、そのあとは倒れたチャーリーの傍らでウェインとジェイクのやりとりになる。チャーリーを置いていこうというジェイクと、助けようというウェイン。架空の船で旅に出るごっこ遊びのくだりを挟み、船からウェインを落としたジェイクは、チャーリーを刺した罪をウェインに着せると言う。潮が満ちてきて、チャーリーは海へ流されていく。なんとか堤防の上に上がったふたりの耳にパトカーのサイレンが届く。事件の日、ジェイクの元にはカレッジの合格通知が届いていて、家族でパーティーをするはずだった。一緒に行こう、と言い合うウェインとジェイク。川に身を投げるジェイクで幕。最後、ジェイクが足場から飛び水音がした瞬間に思わず天を仰いでしまった。違う「行こう」だったんだな…。


見せ方がおもしろいなと思ったポイントのひとつ、中盤の暗転までの間は舞台上に黒布が敷いてあり、キャストがそれに足をとられるのが引き潮のぬかるみを演出している。暗転時にふざけ合いの中で黒布が片付けられ、その下にあった縄が舞台上に投げ出されテグスで引っ張り上げられて、満潮に転じ寄せてくる水際の表現になる。まるでチャーリーを刺したシーンで干満が切り替わると同時に運命が決まったかのようで、後の彼らはただ迫ってくる澱んだ水から逃げることしかできない。


キャストが3人とも自分が抱いていたこれまでのイメージと違う役をやっていて、でもそれがすごくしっくりきていた。穂先さん、今まで見たことのある役は少年性の強いものが多かったけど、背が高く手足が長く恵まれた身体をしていることもあって、チャーリーの自分が王様だと思っているような傲慢さとマッチョイズム、その裏にある危うさがよく似合う。玉置さんのジェイクは初めは弱々しく見えるがやがてその奥の切実な意志の炎が見えてきて、同時にシビアな賢しさも感じさせる。「今日はパーティーのはずだった」みたいな台詞でジェイクの後悔と絶望がひたひたに感じられてアアーってなった。永島さんのウェインは言葉を選ばずに言うと愚かだが、その愚かさはやむを得ない部分が大きいし、ウェインの「寝ているときコンテナを運ぶ音がすると誰かが働いてるんだと思う」みたいな台詞に彼の善良性を感じてつらい。あまり自我の強いタイプではないように見えるので、彼の人生は置かれた環境によって大きく左右されると思われる。ウェインがチャーリーと一緒にコンクリを投げたのって、彼に何らかの助け(食べ物とか金とか)をもたらしてくれたのがチャーリーしかいなかったから、嫌な部分があったとしてもチャーリーをすごく大事に思っていて、同時にコンクリを投げることで生じるその先への想像力が欠落しているからなんだよなと思うと、本来なら責められるべきとも思いつつ、永島さんの演技もあってかわいそうに思えてしまう。


あと、3人でいるときとチャーリーが不在のときではジェイクとウェインの関係性にかなり違いがあるのも面白い。ウェインはチャーリーがいると彼の機嫌をとろうとして共にジェイクをバカにしたりするけど、2人のときは対等に話しているし、ジェイクもウェインに対しては物怖じせず話す。人間関係ってこういう微妙なパワーバランスあるよな、特に10代の頃は…と思った。


この作品をなぜ面白いと感じたのか考えてみる。ストーリー的にはどうしようもない閉塞感、やり場のない怒り、救われない絶望に満ちているし、少年たちは客観的に見たら擁護できない犯罪者だ。それでも各キャラクターの内面を過不足なく伝える台詞回しと演者の繊細な演技によって、3人が物語の中で生きて立ち上がっているから、観ていて引き込まれるし各々の人生に思いを馳せることができるんだと思う。

彼らは結局どこにも行けないけれど、入れ替わり立ち替わりどこかに行きたがる。細かく覚えられていないが、前半では電車でサウスエンドに行こうというウェインにジェイクがどこにも行けないと返すのに対し、後半では逆転したやりとりがあるのが印象的だった。もう一度観るのでもっと細部まで感じたい。