言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

善悪で割り切れない世界が愛しい

劇団壱劇屋東京支部「PICKAROON!」擬似家族ものが好きなので観たいのに全然予定が組めず、でもどうしても観ないと後悔する気がしてAチームをねじ込んだ。行けてよかった。結局週末にBも観る。ネタバレしています。


冒頭、記憶を失った少女が浜辺に佇む。偶然出会った女性が彼女を気にかけ、周りに落ちていた日記を読んでみるように勧める。少女は日記を読み始め、彼女の生い立ちが語られる。

七人の盗賊が、盗みに入った王宮で偶然赤ん坊を拾い、御姫と名付けて育て始める。御姫はすくすく育つが、やがてこの国の執政官として天子を補佐する佐久間が七賊を捕えようと動き出す。実は佐久間は国の安定を保つため、何者でもない赤ん坊を攫ってきては育て天子としていて、御姫も本来その赤ん坊だった。族が侵入した際に天子が殺されてしまったので、七賊の1人・百式変容の伊武(自在に外見を変えられる)の技を参考に、犯罪者の顔を天子のものに整形し、香で記憶をなくさせて傀儡にしていたが、御姫を新たな天子に据えようと考えたのだった。そして、七賊の1人である不動の男虎(何も喋らない居合の達人)は、母を人質に取られ佐久間の配下となっていた。

佐久間の策によって七賊は一度バラバラになり、御姫も佐久間の手に落ちるが、伊武が能力で男虎の母がもう死んでいることを暴き伝え男虎を戻らせ、そして各々の力を活かし一度は御姫を救い出す。しかし追っ手が迫り、賊たちは自らを犠牲にして御姫を逃し、記憶をなくす香と共に船に乗せて海の向こうへ送り出す。そして冒頭のシーンにつながる。

絶望する御姫を浜で出会った女性が励まし、御姫は生死不明な賊たちを探すために歩き出す。その後ろでそっと消える女性と、高台から彼女にエールを送る賊たち。伊武は描いたものを一度だけ具現化できる筆というのを持ってるんだけど、女性がそれで作られた存在だったことがここでわかる。明確に語られてるわけじゃないけど七賊は全員死んでいて、雲の上から見守っている的な表現だと解釈した。


(これ今書きながら思ったのでブログに書くことでもないし今更なんだけど、気になるので…前の天子ってなんで殺されたの?紙研さんが男虎に「御簾の中から出てきたのはなぜだ」って聞いてるから、この時点でもう佐久間配下なんだと思うので、男虎が殺したわけじゃないよね?天子と思わずに賊の誰かが殺したのかな)


今回特に凄いと思ったのが紙研と陸上兄妹。紙研はポルフィリン症みたいな体質で太陽を浴びると焼けてしまうから、常に番傘をさしているクールな盗賊。Aチームでは西分さんが演じている。大量の紙を操って戦う。ただ紙は無限なわけではなく、多分傘に仕込んであって使いすぎると弾切れになる。御姫に尋ねられ体質について語るシーンで紙研は、いつか太陽をぶち壊すのが夢、そこまで飛ぶために技を磨かないとと話す。ラストバトル中、高台で敵兵に追い詰められる御姫を見た彼女は、紙を全てそちらに向け、御姫の翼にして逃がす。そして全ての紙を使い切り、ボロボロになった傘では日光を防げず焼け死ぬ。このシーンの「飛べ!」と叫ぶ紙研、そして紙が集まって白い翼を形作る光景があまりにも綺麗で悲しく、ぼろっぼろに泣いてしまった。紙研は最後に天使を見たのかもしれない。なんの映像も装置も使わないで、こんな美しいシーンが作れる竹村さんって、やっぱり天才だと思う。


陸上兄妹は、途中で血の繋がった兄妹ではないということが匂わされるんだけど、実は兄の角が愛する妹を殺すことによって絶頂を感じる特殊性癖で、そのために血の繋がらない飛を妹役にしているということがわかる。角はそこまでわりとコミカルなキャラなので、この不穏な設定とのギャップが際立つ。そして飛は自分の妹を角に殺されていて、仇を打つために角の妹になった。「本性を見せたときに殺すつもりだった」みたいなセリフがあるから、多分正面から戦っても勝てないから隙をつくためだったのかな。このふたりの存在が、この物語を単なるいい話で終わらせない深みを生んでいると思う。角はラストバトルで飛と御姫を庇い、敵に「お前らなんかに殺させるわけねえだろ」と言う。愛してて自分の手で殺したいから、他の敵からは守る。それは側から見たら狂気だけど、角の中では筋が通っていて、そしてそのエゴを最後まで貫き通して死んでいく姿は、最悪なんだけど同時にカッコいい。この役を成立させている小林さんがすごい。そして最後まで御姫を守り、船に乗せて送り出す飛もめちゃめちゃカッコいい。追っ手が迫る中で船を見送り踊るシーンで爆泣きした。三田麻央さんすごいです。


佐久間は天子を人心の象徴だというけど、それって裏を返せば賊たちにとっての御姫にも当てはまる。いがみあっている賊たちはなぜか無条件に御姫を愛して守り、彼女がいるから七人はまとまったままで暮らしている。人は誰しも心のよりどころが必要で、それは賊といえど例外ではない。その人間のどうしようもない愛らしさ、善と悪が同居する矛盾みたいなものが詰まった作品だと感じた。

善悪で言うと、義賊の力石の最期がかなりキツい。力石は「やらない善よりやる偽善」をモットーに盗みで得た金を貧しい民に配り支持されている。街に逃げ込んだ彼は一度は庇われるが、佐久間が「力石が天子を殺害した」と告げると皆手のひらを返す。竹村さんの作品って「権力者の煽動によって唆され、暴力や破壊に走る民衆」のモチーフが頻出だと思うのだが(「パラデュール」の青の国もそうだし)今回もそれで、誰も力石のことを信じてくれない。ラストバトル、民に手を出すかギリギリまで逡巡した力石が、陸上兄妹と御姫を逃すために民に刃を向けるシーンのつらさがすごい。力石は「助けた人のために」いつも笑顔でいるようにしていて、このときも笑顔になって群衆に飲まれていく。力石を演じる淡海さんの笑顔がまた良すぎるんだよな…。


当パンで竹村さんが、一瞬のためにすごい時間をかけて作ってる的なことを書いてたんだけど、絶対そうだなと思った。舞台って本来カメラは動かないのに(場転があっても1カメ2カメが切り替わるだけのはず)壱劇屋って装置を移動させることでぐいぐい動くんだよな。よくあの大量の足場移動覚えられるな…と毎回感嘆する。あと七賊が崩れた後、紙研さんが街で追われて逃げるとき、途中壁にピンスポ当たって一瞬立ち止まるシーンとか、なくても別に話はわかるけど入るとカッコいいシーンみたいのをめちゃくちゃ入れている印象がある。こだわりがすごい。


前回のパラデュールで初めてセリフありの壱劇屋を観て、面白かったんだけど、めちゃくちゃ正直に言うとセリフ部分の経験値のばらつきがどうしても気になってしまっていたが、今回はほぼ気にならなかった。ひとつには序盤は御姫が日記を読むのに合わせて物語が進むので、マイムやアクションでノンバーバルに表現されるシーンが結構多いためだと思う。あとそんなことをぶち超えて物語とキャラと演者と殺陣と演出にぶん殴られたのかも。


去年の「五彩の神楽」で壱劇屋に出会ったが、今回その動員目標の約2倍?を達成したらしく、確かに今回も気づいたらチケットがなくなっている日が多かった。現在進行形で劇団が売れていってるんだろうなと思う。今回すみだパークシアター倉だったんだけど、もっと広い舞台でも観てみたい!(演者は大変になるだろうが…)あと全員殺陣がうまいのだが、特に角を演じる小林さんがいつ見てもアクションおばけ。パラデュールは殺陣ややひかえめだったので(弱いキャラだったから)今回はバチバチに身体能力を浴びられてとても良かった。「戰御史」で本格的に壱劇屋を好きになったので…終盤のバトルかな?下手で足場の上から飛びかかる石川さんをほんとにギリに見える感じでかわした瞬間があって震えた。良すぎる。

Bはこれから観るんだけど、役の性別が変わっているところもあるのでどうなるのか楽しみ。観たら追記するかもしれない。