言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

極彩色のどろどろな闇

あんよはじょうず。「地獄変をみせてやる-人生失笑(疾走)篇-」

西川康太郎さんが出るのと、宣伝クリエイティブが素敵だったので観に行った。


親に捨てられた美しい少年たちを監禁し、女性ホルモンを投与して成長を止め「神様」として崇めるカルトの村で暮らすケンイチ、キヨフミ、コータロー。ユキノという少年が外からやってきたこと、コータローの背が伸びすぎて神様でなくなってしまったことから、彼らは自分達を搾取する大人たちを殺し、外の世界へ逃げようとする…という過去のストーリーと、大人になったケンイチ、キヨフミ、コータローの現在が交差しながら描かれる。ただ夢と現が交差する描かれ方のため、何が真実で何が登場人物の幻想なのかはっきりわからない。いわゆる「信頼できない語り手」である。少年たちを女性キャスト、大人になった彼らを男性キャストが演じる。少年たちは皆ショートヘアで、揃いの半ズボンにサスペンダーとガーターの衣装を着ていて大変可愛い。

 

台詞がとにかく多く早口で捲し立てるので、1回の鑑賞で聞き取って覚えるのはかなり厳しい。スケジュール合わなくて1回にしたけど、2回観ても良かったな…ゆえにストーリーも多分全部は理解できていないが、とりあえず自分なりの整理を書く。劇中で最初に出てきたときのケンイチは部下のテツロウに編集長と呼ばれているが、キヨフミに再会し本を見せられ、その作者がケンイチであると言われて次の場面では作家になっている。途中までケンイチがユキノを殺したと言われているのだけど、最後今のケンイチがユキノを庇い、本当に死んだのはキヨフミだったということがニュース音声でわかる。その前にキヨフミがきみ(おそらくコータロー)にもう一度会う結末のためにはどうすればいいのか!とメタ的に叫ぶくだりがあり、これはキヨフミの選択によって過去が変わったということなのだろうか。ケンイチとコータローは生き残って、ケンイチは作家になり村を題材にした物語を描き続け、コータローは(おそらく同性愛者であり)性サービス業に従事し、不安定な精神状態から自殺未遂をする、ということはわかるんだけど、ユキノはどうなったのか?でも序盤にテツロウの台詞で伏線回収なんてダサい、瞬間のきらめきが全てというようなくだりがあり、そういう思想の元に成り立っている舞台だとすると考えすぎるべきではないのかもしれない、体験としての要素が強いというか…視覚的な刺激による瞬間的な快楽がとにかく強い。監獄で壁越しにコータローと再会したキヨフミが自分達をジョバンニとカムパネルラにたとえるくだりがあり、このふたりに明確な絆が存在することは感じるし、最後今のコータローが少年時代のキヨフミに再会し頬を舐め、火傷の跡を気持ち悪い、と言われた瞬間のなんとも言えない表情がすごく良い。


後半自殺未遂に至る流れを下卑た単語を含む長台詞で説明しながら舞台上を狂ったように暴れ回る西川さんが超良くて、めちゃくちゃ楽しかった。これは持論なのですが、俳優のオタクは多かれ少なかれ全員好きな俳優に狂った役をやってほしいと思っているのではないか?悪趣味と言われようとも…。というか出演者が全員美しいし各々の存在感が突き抜けている。テツロウ役の奥泉さん、前半特にふざけたエキセントリックな振る舞いが際立っていて(ケンイチの脳内だから?)良かった、かなり若そうだけど他の役やってるところも観てみたい。女性陣が全員CGみたいな美しさだったのですが特に亀田さんが好みだった。どの角度から見ても綺麗だ。


記憶に残った台詞は、テツロウがケンイチについて電話の相手に聞かれファンだと言った後「ファンっていいね、すぐに離れられそう」と言うくだりや、ホストの仕事について訊かれて「(客は)崇拝しながら見下したいんだ」というくだり、甘いものを今でも食べない理由を「太ると需要がなくなるから」と言うコータロー(これはキャラクターとして身体を売っているからというのもあるのだろうけど)、似たような物語を描き続ける理由を問われて「飽きられたいんだ」と言うケンイチ…邪推と言われようとも作り手や表現者の中身を垣間見るようで胃がヒュッとする。あとめちゃくちゃ年末にやるの凄いなと思っていたが、少年たちが除夜の鐘が鳴るのを合図にして村を逃げ出すというくだりがあり納得した。何にせよ赤ピンヒールの西川さんを見れて新年早々めちゃくちゃアガりました。これは消費ですか?今年もよろしくお願いします。