言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

「即興」の意味

エン*ゲキ#06「砂の城」アンサンブルダンサーに見たい方がいたので観に行った。あんまり褒めてません。


ストーリーはかなりシンプル。両親を亡くした地主の息子・テオは地元領主の娘・エウリデュケと結婚する。同時期に国王が崩御、王子ゲルギオスが王位を継ごうとするが、遺言で継承権は庶子レオニダスに渡される。平民の生まれながら王族入りを目指す野心家の宰相・バルツァはゲルギオスから王位と引き換えに後見の地位を約束され、レオニダスを探し出し殺そうとする。エウリデュケの家の奴隷として暮らしていたレオニダスは、王位継承者として王宮へ連れて行かれるが、ゲルギオスの差し金で謀反の疑いをかけられ放逐、テオと偶然再会する。レオニダスとテオは希死念慮という同じ闇を抱えており、初めて互いを理解し合う。同性愛者のレオニダスはテオを愛するようになり、ふたりは身体を交わすが、テオの行動を怪しんでいたエウリデュケと、エウリデュケを密かに愛している幼馴染のアデルがそれを目撃する。エウリデュケとアデルは関係を持ち、それをテオが知り、夫婦関係は崩壊。一方レオニダスはバルツァが放った追手に再度囚われる。テオは止めようとするが、レオニダスはテオのことを知らないとかばい、王宮へ連れ去られる。裁判が行われ、死刑を宣告されたレオニダスは落ち着きはらった様子で、ゲルギオスに人を愛することの覚悟を説く。アデルは街を去り、エウリデュケと再会したテオは復縁を求めて拒絶され、首を吊って死ぬ直前に王になったレオニダスの幻影を見る。「君に殺されたい」というレオニダスの首を絞め、最後木にぶら下がったテオの死体が揺れる前で他キャストが歌い踊って幕。


「即興音楽舞踊劇」という作品で、ところどころ歌と踊りが入る。ただ正直大半の演者の歌唱が微妙だなと感じていて、終演後に歌のメロやダンスの動きが即興である旨を知り、なるほどと思った。皆どこか探り探りというか、歌に抜けがなくて声量が乏しかったり、音程が危うかったりというのは、その場でメロを考えているからなんだと思う。そう考えると即興にしては相当成り立っていたと思うけど、そもそもそれって意味あるのだろうか。ダンスがインプロなのはその場に閃く感情の表出としてまだ理解できるが、歌はセリフも兼ねていて感情だけじゃなく情報も伝えないといけないことを鑑みると、即興であることによるネガが大きいと感じた。あとミュージカルにおける楽曲のメロの重要性を無視しすぎでは…とも思う。メロ自体に強度がないと全く記憶に残らない。


この作品については観ながらいくつか危うさを感じる点があった。まず台本読んだらセリフは全部書かれている。ただそのとおりでなかった部分も多いのと、口論するシーンで急にセリフの言い方が口語的になった印象があるので、演出で縛らないという意味の即興でもあるのかもしれないと感じ、後半に加害的なシーンや性行為シーンがあるため、そういったシーンも即興要素を含んで作っているとしたら危険なのではないかという不安をやや覚えた。特にメインキャストに女性がひとりしかいないので。


また架空の国の世界観(古代ギリシャみたいな感じ?)なので線引きが難しいが、劇中で迫害されるセクシャルマイノリティという存在を描く上での作り手の覚悟や知識がどこまであるのかは正直気になった。便利な舞台装置にしていないか?レオニダスはセリフにもある通りおそらく男性しか愛せないのだろうが、テオの描き方はそうではないと思う。テオがレオニダスと出会ったことで己のセクシュアリティを自覚、もしくは過去から密かにそう自覚していたのであればエウリデュケと再会した際の復縁を求める台詞は出ないだろうから。というかテオは他者を愛するという感覚がないのではないか。エウリデュケにせよレオニダスにせよ、自分に対して感情を向けた・求めたからそれに返報しようとしているにすぎない様子に見える。


総合して、即興によるメリットをわたし個人としてはあまり感じられなかったんだけど、じゃあ即興にしないで作り込むとして、この脚本がそれに耐えうるのか?と言われると、それもよくわからないので(即興表現のボリュームが多いことを前提としたシンプルなストーリーという気もするため)なんともいえない。


好きだった点は絵作り。アイボリーと白で統一された衣装と、舞台上に敷かれた砂。踊りながら砂を撒くのは美しかったし、首を吊ったテオの死体をアンサンブルが揺らす下で、他キャストたちが手を叩いては首を絞め合う振付で歌い踊るラストは悪趣味すぎて逆に突き抜けていた。あとこれをどこまで演技として消費していいのかわからないが、エウリデュケとアデルに裏切られて以降のテオの強烈な危うさは良くも悪くも記憶に残る。中山優馬さんの目が車のヘッドライトみたいにギラギラしていた。池田さんのゲルギオスも本当に他人を虫けら程度にしか思ってない王子という感じだったし、だからこそバルツァとの一筋縄ではいかない関係性が光っていた。バルツァもよかったな…最後の「地獄でお会いしましょうぞ」で持って行かれた。アデルも声量含めて歌がいちばん安定していたのと、役柄もあるだろうが全員が停滞してて正直眠気を感じていた中盤で、パーンと抜けのある強い感情表出を見せてくれたのがよかったな。あとアンサンブルをはじめとしたダンスが皆美しかった。