言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

台詞にしないことで伝わるメッセージ

serial number「Secret War-ひみつせん-」感想。

「hedge/insider」に原ちゃんが出たことをきっかけに観るようになった劇団。まだ数作品しか観ていないが、安定して面白いし台詞にキレがある、あと歌ったり登場人物がわかりやすく説明したり、丁寧に準備した上で演劇をあまり見ない人でも置いていかれない「エンタメ」な見せ方をやろうとしているという印象があった。でも今回はかなりシンプルに硬派な演出で、それが個人的には好みだった。戦時下の登戸研究所を題材にしていて、劇中キャラクターのプロフィールやエピソードは実在の人物をモデルにしているけど、人間関係については創作だから「登沢研究所」にしているとのこと。


ステージには薄緑っぽいテーブルと椅子(並べてその上を歩く道として使ったりもする)、タイプライターが置かれた小机。登沢の場面では曇ったガラスのはまった窓枠が吊り下げられる。王と遥子の会話は基本的に下手で行われ、琴江と遥子の切り替えはトレンチコートの脱ぎ着で示される。


2001年、化学ジャーナリストの津島遥子は北京で陸軍登沢研究所(実在の登戸研究所)に勤めていた王という男を訪ね、研究所について取材する。戦時下の登沢では諜報に利用する技術や細菌兵器などを研究する「秘密戦」が行われていた。日本では村田琴江というタイピストの女性が保管していたタイプ複写を公開したことがきっかけで、登沢について再度調査する機運が生じていた。遥子と王のやりとりと、回想の中の登沢が交互に描かれる構造。登沢の細菌や毒物を扱う二課では、課長の伴野、No2の山喜、若手の桑沢と市原(ふたりは大学の同窓)らが研究を進めている。科学の兵器利用について否定的な桑沢とそうでない市原は対照的な描かれ方。市原と琴江は映画館で偶然出会ったことがきっかけで会話を交わすようになる。桑沢は731部隊に派遣されて毒物の人体実験を行ったことから良心の呵責で精神を追い詰められ、再度中国に行くよう命令されると自ら首を吊って命を絶ち、代わりに市原の派遣が決まる。日本を去る前の夜、市原は最後に話したいと琴江を呼び出す。自分と桑沢の科学者としての違い(良心の呵責と恐怖を感じていた桑沢と、この境遇でも研究者としての好奇心や興奮を感じている市原)について語り、琴江はどちらもわかるはずだと言う市原を突き放す琴江。市原はそのまま終戦後も日本には帰らなかった。ここで王=市原だということがわかる。そして遥子は琴江の孫だった。原爆を見て、科学の平和利用を信じられなかった、たった一度きりしか許されない実験なら自分がやりたかったという気持ちを抑えられなかったから日本には帰らなかったと琴江に宛てた手紙で独白する市原。そのとき9.11テロが起き、また各国の秘密戦が始まるだろう…というところで幕。


釜山で牛を使い牛疫の感染実験を行った市原と、南京で中国人捕虜を使い毒物の人体実験を行った桑沢が、交互に自分のしたことを語り、最後に「ただ10の死があった」というシーンがものすごくよくて、特に喋りながら声を荒げるでもないのに静かに目に涙をたたえていく宮崎さんにぶち抜かれた、認識したのが去年のザ・ドクターなんだけど、めちゃくちゃいい俳優さんじゃない??マーキュリーファーも難しそうな役なのにすごく良かったし…取れるのかわからんけどアルキメデスの大戦行きたくなった。


三浦透子さんが2役なんだけど、ずっと全然違う人に見える。明るく屈託がなくてはるかに年上の王にもずけずけ切り込んでいく遥子と、内面には熱い向学心と反骨精神を秘めながらも、時代の圧力の中でそれを押し殺し静かに生きる琴江。遥子のときの方が目がきらめいているようにすら見える(うまい俳優さんって意識してるのか無意識なのかわかんないけど、目の開け具合で輝きの見え方をコントロールしてる気がするんだよな)でも遥子が琴江の孫だと分かった後のやりとりで、戦後の琴江は明るく生きていたと遥子が語り、ここで同じ俳優が演じている意味を強く感じた、琴江は抑圧のない世界なら遥子みたいな女性だったんだと思う。


市原はメンタルが強いというか起こっている事象と自分を切り離すのがうまいという印象で、別に悪人ではないし優しいんだけど、かすかにずっと怖かった。市原が桑沢にわざわざ傷を抉るようなことを言ったの、もしかして牛の実験より人体実験の方を自分がやりたかったという嫉妬の気持ちがかすかに存在していたのではと感じて、こわ…と思いつつ、人間性的には市原の方が桑沢より明らかに自分に近いから共感してしまう部分もある。坂本慶介さん「老いと建築」の基督か!「エンジェルス・イン・アメリカ」観たいな。


あと印象的だったのが佐野功さん演じる浦井。出番多くはないけど私は好きな役。陸軍中野学校(諜報任務にあたる軍人を養成していた)卒で、民間からの登用が多い登沢を監督して見張る立場の軍人。いわゆる軍人らしく声を荒げたりはしないしずっと慇懃な喋り方の中に何とも言えない怖さがあって、皆浦井を恐れている。事前に詩森さんが1対8の1の方の役、って言ってた通り、作品の中では異質。人体実験のくだり、前に立つ桑沢が目に涙を浮かべている後ろでうっすら笑って見えたのが恐ろしい。でも取り乱した桑沢に、前線で戦っている兵士たちに捕虜を殺した良心の呵責なんて言えるか、と問うシーンと、桑沢が自殺した後それを隠蔽し、結果責任をとって研究所を離れることになるくだりで、浦井の持っている哲学は現代では決して倫理的に正しいものとは言えないし褒められないが、確かな軸を持って生きている人間だと感じた。戦後の生き方について伴野や山喜らについては語られても浦井のことは語られないので、どうなったんだろう、軍人だし…戦争裁判とか…と思いを馳せてしまった。


もっと強烈に戦争が悪というメッセージを発されるのかなと思ってたんだけど、実際観たらそういう感じじゃなくて、なんなら登沢自体は進歩的な空気すらあるし(これは実際そうだったらしい、インテリの集まりだから)妙に陽気に描かれてて、それが逆に居心地悪くなってくる、誰もどうしようもない悪人としては描かれていない(わたしは浦井ですらもそうだと感じた)ことが、そういう善人寄りの一般人たちの倫理観を破壊していく戦争の恐ろしさを証明する。二課の課長を務める伴野とその右腕として細菌の研究をしている山喜が象徴的だと思う。伴野は優しい上司だし、山喜は気さくな中間管理職。このふたりが特攻隊について話すシーンがあって、山喜は飛行機で空母に突っ込むなんて馬鹿げてる、沈没させるのに何機必要だと思ってるのか、先に飛行機がなくなる、と言うんだけど、そこにその飛行機を操縦している隊員の命が失われることについての言及が一言もないの、怖…と思うし、伴野も同様に何も言わない。伴野は戦後に悩み続けた結果手記を出して亡くなったというくだりで多少内面の揺らぎが見えるが、山喜は最後まで悪びれないし、それは我々が責めるべきことでもないんだよなと思う。


現金の持ち合わせがなくて台本を買えなかったのがマジでミスなんですが、ここいいな!と思う台詞がいっぱいあった、琴江と市原がコーヒー飲むシーンの、科学者の顔色はくすみ、戦争の色だけが濃くなっていく…みたいな台詞良かったな。serial number、気が早いけど次の公演も楽しみにしてます。

登場人物を動かすか、登場人物が動くか

劇団印象「ジョージ・オーウェル〜沈黙の声〜」感想。

題材的に興味があったので観に行った。

 

ジョージ・オーウェル(本名エリック)が「動物農場」や「1984」といった名作を描くまでの物語。第二次世界大戦下のイギリス、BBCのインド向け放送の責任者を務めることになったエリックだが、戦況が激化するにつれプロパガンダが強まり、インド独立を志向するインド人スタッフとの対立も深まり、自らの正義感と現実の板挟みになって苦悩する。同時に、オーウェルと同時期に活躍した作家であるマーレイ・コンスタンティンが実はキャサリン・バーデキンという女性だったことから、女性であることを隠して執筆するしかない彼女とエリックを対立させフェミニズム的メッセージも表現する。最終的にエリックはBBCを退職し「動物農場」を執筆。ソ連への風刺を含む本作の出版は各社に難色を示されるも、友人である出版社社長・フレディを説き伏せて刊行し大ヒット。しかしアイリーンが病で急逝。エリックは苦悩するが、アイリーンの幻影と会話して「1984」の執筆を始めるというラスト。


女性陣の演技が好きだった。特にエリックの妻のアイリーンを演じる滝沢花野さん、キャサリン役の佐乃美千子さんがよかった。エリックのサポートに徹するアイリーンと、離婚し2人の子供を育てながら自ら小説を書くキャサリンは、当時の女として対極にある生き方をしているんだけど、アイリーン自身はそれで満足していると語る。ただ、満足していると感じること自体が男女の賃金差や性役割分担が一般的な当時の社会で築かれた価値観に基づいているし、そしてアイリーンは突然病死する。最後まで「自分のやりたいこと」と向き合う機会はなかった彼女が、それでもなおエリックの幻想の中で彼に代表作を執筆するきっかけを与えるのはなんともだなと思う。

一方でエリック(オーウェル)の村岡哲至さんがちょっと合わなかった。静かなシーンはいいんだけど、感情が昂るシーンの抑揚が過剰かつワンパターンに感じる。エリックの上司・ジョナサン役の北川さんはちょっと露悪的にやりすぎではと思う部分もありつつ、植民地支配の正当性を主張するシーンとか嫌な開き直りの貫禄があって好きだった。


ストーリーはわかりやすいし、描きたいメッセージも明確。良いなと思うシーンやセリフもある。夫のタイプを手伝うアイリーンの独白の後、そのまま対比されるキャサリンの独白に移るくだりや、ラジオブースで植民地支配の加害者であることを強く自覚したエリックが、自作「象を撃つ」に登場するビルマ人たちの幻想を見るくだりなどは特に好きだった(ここ、ビルマ人たちが黒幕の下から出てくるときに足の先から出てくるのが良い)

ただわたしはキャラクターが物語のために動かされすぎていて、あまり生きていないと感じた。キャラクターひとりひとりの細かい行動や人格の一貫性に納得感が持てない。例えばキャサリンが2度目にエリックの家を訪ねてくるのって特にエリックへの用事はなかった気がするんだけど、1度目にエリックからアイリーンにタイプを手伝ってもらっていることを聞いて、アイリーンと話すためにやってきたということ?それってありえる?キャサリン自体1度目の登場時は至極落ち着いているのに、2度目はすごくエキセントリック(これはフレッドに自身がマーレイであることを言われたから?)なのも違和感がある。あとキャサリンがアイリーンに無理矢理キスするのって明確な性加害なので、キャサリンの主張はフェミニストとして真っ当な内容であるからこそ、そういう描き方をしてほしくなかったなと思う。あとブーペンも、もちろん植民地支配が悪でインド独立を志向すること自体は当然として、詩の番組が作られるというだけであんなに態度を軟化させるのがよくわからない、その前の番組の企画に対しては批判的だったからなおさら…とはいえ、ブーペンが「他の人があの番組をやっていたらまるで違う内容になっていただろう」って、BBCの中でできる限りの努力を見せたエリックのことを認めるシーンはぐっときた。あとエリックの家を舞台にしたシーンが多くて、人々が玄関ブザーを鳴らしてはやってくるのにもちょっと単調さを感じてしまったかも。完全にワンシチュエーションなら逆に割り切れるけど、ラジオブースへの場転はあるので…。

 

史実を脚色した物語って物語自体に大きな動きがあるわけではないことが多いから、登場人物自体の魅力や感情の動きが感じられないと、淡々としてしまってやや退屈に感じかねないんだなと思った。面白くなかったわけではないんだけど。

ただ植民地支配と帝国主義は悪だが、宗主国の人間はその加害性に無自覚もしくは自覚が不十分な場合があるし、自覚的であっても時代の大きな流れの中ではそれに逆らえない場合もある。エリック自身イギリスに対しては明確に何か行動を起こせたわけではない。これは戦時中の日本にも当てはまることだし、加害者側が加害を自覚したときの苦悩について正当化せずに描かれているのは良いと思った。

演劇の原始的な形

スリーピルバーグス「旅と渓谷」感想。永島敬三さんが好きなのと、事前に上がっていた福原さんと成河さんの対談が面白かったので観に行った。

 

渓谷を上流から下流へ旅する人々の物語。キャスト4人が全部で27役を演じる。各々のメイン役としては下流へ向かう旅人のスラテジ(永島さん)、質屋のハリメ(佐久間さん)、ポーターのノシ(三土さん)、ガイドのタナカ(佐藤さん)。途中まではドタバタで笑いどころも多いが、その中でも「なごり門」という街の跡地に建てられた門は墓の比喩だし、タヌキの兄弟が死んだ父親を探すくだりでは具体的に死者を悼むとはどういうことかについて語られるなど、死や別れの要素が各所に出現する。


渓谷の旅人は10ヶ月の間に旅を終えなくてはいけないというルールがあり、途中の「5ヶ月の街」で、スラテジは渓谷より外に出ることができる特別な「緑の切符」を持っていることがわかる。そして旅の終着点が「10ヶ月の港」なことで、わたしはようやく渓谷の旅が、人がこの世に生まれるまでの旅だということがわかった。質屋のハリメはかつて緑の切符を持っていたけれど、外に出る航海の途中で海が荒れて切符を失い、二度と外には出られなくなってしまった。つまり生まれることができなかった子供であるハリメの、もう会えない親に向けた独白で終幕。


途中にも一時的にシリアスな場面はあるけど、ハリメがスラテジに外の世界への出方を教えてスラテジが去り、ハリメが独白して終わるくだりで急速にそこまでの色々が観客の中でつながると思うので、そこで人によって印象が大きく変わりそう。特に女性は過去の経験によっては結構食らってしまう人もいるのではないかと感じる。それが良いとも悪いとも思わないが…。

ここからは想像なんだけど、この舞台の世界は魂の世界みたいなもので、そこから一部の魂が人の世界に身体を持って生まれてくるのだろうか。タナカは古い名前といわれていたから外の世界は現代よりずっと遠い未来なのか。あとタナカが下流の街には多い名前って言われてたのと、ガイドとして自在に上流と下流を行き来していたことを鑑みると、下流まで来たけど切符がないか無くしたかで生まれそこない、目的地を失った人々が下流の街を作ったのか。わりと不条理だからあらゆることに説明がつけられるわけではないのかもしれないが。

 

個人的には歌ったり踊ったり変な動きをしたり、柿喰う客とはまた違いそうな感じでドタバタする永島さんが見れてシンプルに楽しかった。キャラクターがかなり独特な口調だったりするけど、それが寒々しくないのは演者の力なんだと思う。KAATの「冒険者たち」もそうだったんだけど、この作品も何をどんな方法で表現してもいいという演劇の無限の可能性を感じた。会場も永福町駅の上の屋外スペースだし、音楽は首から下げたラジカセ。照明もキャストが操作する。崖から落ちるシーンと列車のシーンで突然小さくなる(写真で作った人形を動かして表現)のは爆笑しちゃった。ネオン管で作ったカラフルな十字架を光らせて抱えて、踊りながら歌うシーンがよかったな。星がいなくなった人たちの光と言われてたのが心に残った。

忘れるという希望

露と枕「帰忘」あんよはじょうず。で見た奥泉さんが気になり、劇団公演を観に行った。ネタバレしています。


白っぽいくすんだ色味のナチュラル風なセット。中央に丸いベンチと、その上に金木犀の花をイメージしたオブジェが吊るされている。上手にテーブルとベンチ。下手に茂み。場面が分かれる際には下手が事故現場、上手がその近所の梔が営む喫茶店になる。客入れから金木犀という歌詞の入った曲を集めたプレイリストがかかっていた。


山道での自動車事故で乗り合わせた女性5人が死亡、1人が意識不明の重体に。その1年後、事故現場に亡くなった女性たちそれぞれの婚約者である男5人、意識が回復した運転手の女とその婚約者が偶然一堂に会する。婚約者の1人・桂は、特に共通点もなかった女性たちがなぜ同じタイミングで結婚し同じ車で亡くなったのかを知りたがるが、運転手の女・燈山は事故のショックでここ4、5年の記憶を失っていた。そこからいろいろあって、女性たちは10年前に集団自殺を目的としたネット掲示板で知り合ったということがわかる。家庭に問題を抱えていた彼女たちは、結婚して「普通の」家庭を築くことへの憧れを持ちつつも同時に不可能だと感じていた。恋人のことを知ろうとしなかったのか、あれは自殺だった、お前たちが傷つけたんだと男たちに怒る燈山と、彼女たちが死を選ぶような心当たりがないと戸惑う男たち。最終的に元々は自殺するために知り合ったメンバーだけれど、10年の間に気持ちが変わってその目的を忘れ、今回は本当に事故なのではないか?という可能性も見えてきて、ただ事故か自殺かは明確にはわからないという終わり方。

燈山が彼女たちとインターネットで知り合ったと言うくだりと、その後の金森との何かを隠しているやりとりの時点で、自殺志願者か性暴力サバイバーの集まりなのかなとはぼんやり思ったんだけど、一旦結婚詐欺の方向に行きかけたのはそっち?!となって、結構先を読めずに見た。


特に前半が良く、婚約者5人の人となりを自然な会話の中で描き出していくのがうまい。重めの題材ではあるけど、会話の端々にクスッと笑ってしまうようなところもあり、なおかつその笑いが物語から浮いていない(観客が違和感を感じない)ので、自然に5人それぞれへの好感を持っていけると思った。丹羽が梔に執着するくだりだけは少し浮いている気がして、あの設定必要だったか?と思って考えていたんだけど、最後梔はチヅル(丹羽の亡くなった妻)に似ているかと聞かれた燈山が答えを濁すのって、実際似ていなくて、それだと丹羽がチヅルさんは接触のたびにお金を払うやりとりを楽しんでた、って言う話にも信憑性がなくなってくるということ?そう考えると怖いな。

あと他の皆が喪服やジャケットな中で金森だけ平服なんだけど、それは彼が月命日には必ず事故現場に足を運んでいるからお参りが日常になっているということが、後半の梔との会話や最後の「また来月」からわかる。最初の桂との本を投げてる云々のやりとりも、お供え物としてだということがわかる(ちなみに台本を買うと巻末に金森と梔の夫の小説がついててとても良い)


自分がぴんとこなかった点は燈山の演技。まず彼女は事故で直近4,5年の記憶を失っているので、自分が運転手だったことも覚えておらず、あっけらかんと登場する。そして初めは婚約者たちから友人たちの話を聞きたがるが、結婚詐欺の濡れ衣を着せられたくだりから婚約者たちが友人の過去を知らないことに激怒する。

まず最初に明るく登場したのがよくわからなくて、その後にあそこまで強く怒るくらい大切な友人なら、もう少し沈んだ態度というか、喪に服すポーズくらいは見せるべきではと思ったんだけど、この燈山はまだ死にたい燈山で、友人たちもその念願に成功したのだと内心で思っているから悼むという視点がないってことなのか?そうだとしたらここまではわかるのかもしれない。ただ、このラストを素直に見ると彼女たちは自殺サークルで知り合ったけれど、事故のタイミングではそれぞれ自殺願望を捨て、前向きに歩き出そうとしていたタイミングなのでは(つまり純粋に事故、そして運転手は燈山。もちろん自殺の可能性もありどちらとも言えないが)と思われる。わたしの性格が悪いのかもしれないが、このことを燈山に直接指摘して責任を感じさせようとする人間がいないことがいまいちぴんとこなかった。燈山が中盤から終盤までかなりエキセントリックにキレ続けているのに対し、婚約者たちがかなり紳士的なので(丹羽は最初怒るが、皆に止められる)かなり燈山へのヘイトをためてしまったのかもしれない。燈山の演技をあそこまで刺々しくせず(沈沢に対して態度が悪いのは全然わかるんだけど)もう少し抑えながら怒りが伝わる形にした方が観客も入り込みやすいし、終わり方が自然なのではと思う。攻撃的な感情の表出って、そこに共感できないと見ている側としては正直ひたすら苦痛なので…。

あと多分燈山というキャラクターの人格自体が好きじゃないんだと思う。燈山は終盤で桂に対して「私たち」という言い方をするけど、亡くなってしまった後も前も彼女たちは(死にたいという共通の願望を抱えていたとしても)全員違う人間で、婚約者との関係も含め一緒くたに語れることなどは存在しないので、自分と他者の境目がわかっていないような語り口がシンプルに気持ち悪く感じてしまった。


ただ全体としては比較的おもしろかったし、客演陣が皆良い。桂役の川上献心さん、ずっと穏やかすぎるくらい穏やかで優しいからこそ、終盤で少し大きな声を出すシーンのメリハリが際立つ。あと柊役の越前屋由隆さん、初見だったけど低音の声と立ち振る舞いに引き込まれる魅力がある。七里役の福井しゅんやさんは、自営業で金持ちで押しが強く結構嫌な感じのキャラクターにもなりそうなところを、軽妙な関西弁で憎めないキュートなキャラにしていたし、梔役の久保瑠衣香さんの、本題の外にいるからこその軽やかな印象もよかった(「ご注文は承りたいので!」好き)

世界から出るのが寂しくなる舞台

「グリーン・マーダー・ケース」「ビショップ・マーダー・ケース」感想。ホチキスの齋藤さんと小玉さん、ヒプステで好きになった加藤さんが出るというので観に行った。現時点で今年観たストプレではいちばん好きだ。

 

「グリーン・マーダー・ケース」

セットは舞台左右に目隠しの壁、あと舞台奥にスライドする扉と、その奥に窓(その先にも人が入れて、回想とかの表現で使う)あちこちに赤い血溜まりらしきペイントが最初からあって、出血して死ぬときキャストがその場所で死ぬようになっている。これ頭いいな〜と思った。人が死にまくる舞台で血糊とか使ったら始末大変だもんな。ちなみにビショップもセットは共通。

まずBGMの音量が上がって暗転し、冒頭の導入から音楽に合わせてのキャスパレでテンション上がる。オタクって全員キャスパレ好きなんじゃないかな(主語がでかい)原作がヴァン・ダインなので当然全員欧米人のキャラなんだけど、世界観にぐっと引き込まれる。

 

あらすじ(ネタバレしています)

名家グリーン家で起きた連続殺人事件の捜査中に撃たれて記憶を失った刑事サイモンは、地方検事マーカムと探偵ヴァンスから事件解決のために記憶を取り戻すように言われ、心理療法士エマの診察を受ける。サイモンの記憶である過去と、現在も続く捜査が入り乱れる形で進み、徐々にサイモンが記憶を失った経緯や事件の真相が明らかになる。

ざっくりまとめると、サイモンは幼い頃に父親が失踪して母親が精神に変調をきたし悪徳孤児院に引き取られ、男の子は犯罪をやらされ女の子は売春させられるというひどい環境下で育った過去があり、失踪した父親を探すために刑事になった。そして建築家だった父親が失踪する前に最後に手掛けたのがグリーン家の修繕だったことから、手がかりを求めてこの事件の捜査に参加したという事情がわかってくる。グリーン家の面々は最高権力者である車椅子の老未亡人・ローズ、小心な長男のチェスター、長女のジュリア(物語の最初に死ぬので出てこない)、奔放で身勝手な次女のシベラ、変わり者で思い込みが激しい次男のレックス(アダのことが好き)、家族から冷たく当たられている養女のアダ。アダは実は料理係のドイツ女・ゲルトルーデと、亡くなったローズの夫・トバイアスの間にできた子。そして心理療法士のエマは、本名エミリー・グリーンで、トバイアスの浮気への復讐としてアダの夫と浮気したローズの娘(生まれてすぐサイモンと同じ孤児院に引き取られた)。エミリーとアダは自分たちの不幸な人生への復讐として、グリーン家の人間たちを共謀して皆殺しにしトバイアスの莫大な遺産を得ようとしていたが、実はエミリーはアダのことも実行犯として利用していた。またサイモンの父親は仕事中シベラに迫られ、振り払おうとして階段を落ちて死亡、それをグリーン家の面々が隠蔽した過去がわかり、サイモンは父の遺体を探し出すために屋敷を壊したいと考え、アダとエミリーの計画に協力するが自身の正義感との狭間で苦しむ。

アダは最後にシベラを殺そうとしたところを警察に発見され、ヴァンスとサイモンを撃って服毒自殺。そして現在の時間軸ではエミリーがシベラを毒殺し、相続した遺産を児童保護団体に寄付して姿を消す。全てを思い出したサイモンは犯罪に手を貸した己を許せず警察を去ろうとするが、ヴァンスとマーカムは引き止める。ここで、僕はあなたのことも殺そうとしたんですよって言われたヴァンスが、賢者は自分を脅かす者を最も愛するのだ、って言うセリフがめちゃくちゃかっこよくて痺れた。

 

わたしはホチキスで何回か見る中で齋藤陽介さんがたぶん好きだな〜とうっすら思っているのですが、ヴァンスはめちゃくちゃハマり役だと思った!劇中で「全知全能」って評されてて、それがしっくりくる明晰な頭脳と立ち回り、優雅で他人の気持ちを歯牙にも掛けない振る舞い。マジでヴァンス様。好きだ!!

あと小玉さんもホチキスで毎回本当に面白い(過去数回ホチキスの本公演を観て、100%小玉さんに爆笑する瞬間があった)んだけど、今回は笑いはほぼなし。ローズについて小玉さん自身が書いていた「自由が利かない、出力も弱い、でも誰よりも高みに居る事を信じて疑わない。そんな愚かで気高い存在」という表現がしっくりくる抑制のお芝居。声のボリューム大きくないのに圧があるのがすごい。ザンさん演じるゲルトルーデがローズの車椅子を押すシーン、照明も抑えめでライトで道が照らされてる静かなシーンだけど、ふたりの感情の鍔迫り合いがひしひしと感じられて圧倒された。でもパンフで小玉さんが書いてた通り、ローズはめちゃくちゃトバイアスを愛してるんだよな。わたしはローズのことも結構好きなのです。

ザンさんもまず最初のアダを守護天使と呼ぶくだりの一人演技で引き込まれた。ちなみに見ていて唯一気になった点として、ゲルトルーデの回想の中で昔の彼女(アダ役の小口さんが演じる)と今の彼女を並べてマーカムが似てる?!ってツッコんだり、月日って残酷…と言うくだりがあるんだけど、別に見ていてここで似てないことにはひっかからないので流れが止まる気がしたのと、ザンさんがフォローでコンプラ!ってセリフ(台本にはなかった)入れてはいたものの、そういう笑いはなくてもいいんじゃないかな…とは思った。

サイモンの鍛治本さんは、劇中かなりの割合で観客と同じように翻弄されているので、リアルタイムで観ているときは正直そこまで強い印象がないんだけど、観終わってから振り返ってみると彼がいかに過酷な人生の中で正しく生きてきたか(エミリーの「あなたはそうでなきゃ」というセリフでもわかる)ということが感じられ、愛すべき主人公だ…という気持ちになって、また会いたくなる。今回一度しか見れなかったけど、過去を振り返る構造の話だから、結末を知った上でもう一度観たら絶対感じ方が違うと思うんだよな。

あと個人的に好きだったのがスプルートの野口さん。 いかにも慇懃な執事と見えて、薄皮一枚むくと生身の人間って感じがおもしろかった。他の作品でも観てみたい。あと細部だけど父の日記について説明するくだりでエアクオートしてたのがそれっぽい〜と思った。

 

人が死にまくるし、どう捉えるかで印象が変わる話だと思う。わたしはエミリー(=ビショップではエレノア)にかなり好感を抱いたから後味は爽やかだった。エミリーはとにかく強い女で、可能な限り全てを自分の力で選び取っている。孤児院の院長にレイプされる前にサイモンに抱かれることを選ぶのもそう。もちろん不幸な生い立ちで選べる選択肢はひどく限られているし、選んだ選択肢もそうしなければ生き抜けなかったというのはあるんだろうから、美化することではまったくないが、その強靭さは好きだ。作中のキーアイテムとして女性解放運動の象徴となったミモザが出てくるのも(カクテルとしてだけど)メッセージ性あるのかなと思ったりした。逆にアダはエミリーに利用されて最後には死を選んで哀れではあるんだけど、それは人の言いなりになるばかりで自分で考えることができなかった彼女の弱さでもあると思う。当パンで「呪いと祝福」の話と書かれていて、でもエミリーは人生にこれらを見出そうとはせず、セリフにもある通りただ生きて死ぬだけと考えているんだと思う。

 

「ビショップ・マーダー・ケース」

あらすじ(ネタバレしています)

グリーン家の事件で警察を辞め探偵となり、一度ニューヨークを離れたサイモンだったが、1年振りに戻ってくるなり謎の依頼人によって、ディラード教授と姪のベル、養子のシガードが暮らす家に連れて行かれ、そこで起きた殺人事件を捜査中のマーカムとヴァンスに再会する。 殺されたのはベルに求婚予定だったロビンという男で、マザーグースの「誰が殺したコックロビン」になぞらえて胸に矢を刺されていた。その後もディラード家の周りでは「ビショップ」を名乗る犯人による、マザーグースになぞらえた見立て殺人が次々と起きる。ロビンの恋敵レイモンド、レイモンドの親友でチェスプレイヤーのジョン、隣人でディラードやシガードと共同研究をしている物理学者のアドルフ、その母親で精神を病んだ老女のメイ、といった面々が容疑者に浮上するが、第3の事件でアドルフ、第4の事件でそれまでの容疑者だったジョンが死亡。一方サイモンの謎の依頼人の正体はベルで、近所で頻発している子供たちの行方不明事件を追ってほしいという内容だった(実はこれはエレノアの差し金による依頼で、電話でアドバイスもくれる。サイモンを監視している様子)。最終的に、ロビンを殺したのはジョンで、その死体に細工したり2件目以降の殺人を犯したのはディラード教授(連続殺人犯に見せかけて、自分の殺したい人間 =アドルフを殺し、シガードに罪を着せ排除してベルを自分に依存させるため)という真相が暴かれる。またディラードは子供の行方不明事件にも関与していた。ラスト、シガードと結婚したベルの元を訪れ、ディラードの疑惑に気づいていたのではないかと尋ねるサイモン。愛していたから言えなかったというベル。もっと話すべきだったというサイモン。

 

グリーンとは共通する登場人物(出演があるキャラだとサイモン、ヴァンス、マーカム)もいるけど役者は全員違う。でもすごいのがそこにあまり違和感を感じないこと。イメージとしては共通した上位存在のヴァンスがいて、どっちのキャストさんもそれを自分というフィルターを通してヴァンスにしてるというか、だからフィルターの先にあるものは同一って感じ。グリーンからビショップで時間が経過しているので、特にサイモンとかはもちろん変化している部分はあるんだけど、地続きの存在に感じる。 魂が一緒というか。

 

グリーン〜の役者も全員うまいなと思っていたけど、キャラクターの描かれ方的にあんまり親しみを感じるタイプではなかった(スプルートくらい)のに対して、ビショップ〜の方がわりと皆に親しみがわいた。これってサイモン自身の変化も関係あったりする?わかんないけど。

まず個人的にいちばん好きだったのがシガード。大学の数学講師でいかにも理系!って感じのキャラだが、話が進むと実は人間味があるのが見えてくる。特にアドルフが亡くなった後、花を手に彼について話すシーン。ひねくれた人間なのであんまり舞台で役者が悲しんでるときに自分も完全に共鳴することって少ないんだけど、僕は彼が好きだったんだ、のとこ胸に迫りすぎて泣いてしまった。照井さん初めて拝見したんだけどすごくいい役者さんだ…と思ってたら夏に劇チョコの帰還不能点に出ることがわかってめちゃくちゃ楽しみ!作品自体がおもしろいことはもうわかってるから…誰の役だろ。あと一緒に育ったベルと互いに想いあっていることがわかるラブシーンもすごくいい。テンパってノルウェーサーモンが好きで…とか言ってるのすごいかわいい。別に普段からラブシーン好きな人では全然ないんだけど、あそこはかわいさにニヤニヤしちゃった。そこに乱入してくるサイモンもいい。

林田さんのサイモンは高身長のシュッとしたイケメンなのに笑いのシーンは絶妙にとぼけてて、でもシリアスはシリアスで深みがあって、バランスとるのうまいな〜と思った。グリーンでは迷い続けていたけどビショップでは過去を取り戻して、でもナチュラルに「僕はどうなってもいい」と言うような危うさを抱えているのが放っておけない感というか、幸せになってくれ!!本当に続編見たい…サイモンとアルのバディストーリーもっと見たいし、そこに絡むヴァンスとマーカムも見たいよ〜!!

マーカムの加藤さんは唯一しっかり認識してたキャストだけど、見たことあるのがヒプステの鬼灯甚八だから全然違って、ヴァンスに振り回されて困ってる姿がかわいかった。大塚さんのヴァンスは齋藤さんとかなり近くて、お互いの稽古見てないらしいのに同じところにたどりつくのって演出の一貫性なのかな。でも個人的にはグリーンの全知全能ぶりより少し人間に近づいた気がして、それはグリーンでは当事者であるサイモンの目線で見ていたから見抜かれることへの恐れもあってより全知全能感が強まっていたけど、ビショップではサイモンもヴァンスも当事者じゃないから多少立場が近づいていたりする?ラスト、ディラードを有罪にできないと判断し、シガードとグラスを入れ替えて毒殺するヴァンスと、それに怒るサイモン、それぞれの思う道の衝突がしんどかったけど良かった。

アル役の中野さん、去年ムシラセの「ファンファンファンファーレ」であさみん演じてて、きぬちゃんとの漫才シーンで爆泣きした過去があり、あの人!って気づいてから楽しみにしてた。小林少年みたいなサイドキックで(少年の格好をしている牛乳配達の少女)これが全くわざとらしくなくナチュラルに生意気でかわいい。グリーン家の事件から1年を経たサイモンの内面はアルとのやりとりで見える部分が大きいんだけど、そこもすごく自然。示唆的なことを言うキャラなのにその狙いが透けすぎていないというか…すごい若いことを初めて知ったんだけど上手いな〜と思ってたら、中野さんも劇チョコ出るじゃん。劇チョコの夏のやつ最高な役者しか出ないのか?

デイジーの永田さんもムシラセで見たことあった。最初ちまっとしたドジっ子メイドで、はわわ〜!(高音)って感じのキャラだから、かわいい…って見てたら、途中から実はエレノワの密偵ということがわかってかっこよくなる二面性で、好き…と思った。最後ベルとシガードの元にいる理由を尋ねられて、「私が彼らを好きだからです」ってセリフがすごく好きだったな。

アドルフは老いた母親と二人暮らし、 脊柱側弯症を患っている偏屈な学者なんだけど、ベルとはちゃんとやり取りしていたり、母親がベルと自分をくっつけようとするのに対して「べルはシガードが好きなんだよ」と現実的な返しをしたり、研究の話がヴァンスに通じて喜んだりと、万人に開いているわけではないけど完全に閉じた人間でもないことが感じられて、だからシガードがアドルフを悼むシーンにも説得力が出るし、このふたりについてはなんだかんだ言いながら打算とかのない良い友人だったんだろうなと思わせる。

レイモンドは出番こそ多くはないんだけど、ちょっとバカだがまっすぐな男というのが伝わってくる(あとめちゃくちゃ面白い)そしてジョンがレイモンドに書いた手紙のシーンが…ジョンはチェスプレイヤーなんだけど理性で感情を抑えられずに直情的な悪手を打って負けることが多く、その前提があるから、実は同性愛者でレイモンドを愛していた(でも自分の思いはかなわないと思い、せめてレイモンドを恋するベルとくっつけて見守ろうとしていた、これがとてもつらい)ジョンが、レイモンドとの関係を揶揄するロビンの言葉に激昂して殺してしまったというのも合点がいく。事件が解決した後にジョンの遺言であるレイモンドへの手紙が読まれるシーン、「いつまでも君の親友、ジョンより」でまず泣いて、同性愛が忌避されていた1920年代が舞台なので、マーカムが100年後なら彼のような生き方も受け入れられたかも、と言うのに対して、レイモンドが泣きながら「話してくれさえすれば違う未来があった」って言うシーンでさらに泣いてしまうと同時に、100年経った今でも完全に受け入れられてはいないことへの申し訳なさを覚える。これ原作にはない要素かな…ここに100年後なら…ってってセリフが入っていることに意味を感じた。

ベルは多分本当に悪意なく優しすぎる人で、だからこそ彼女が教授に頭を撫でられた後、ひとりになって沈んだ表情で頭に触れるときの、心がざわっとする感じが際立った。あそこで教授に何かある、ということがよくわかる気がした。教授に関しては動機はヴァンスの推理でわかるんだけど、よく推理ドラマで見るような本人が心情含めて吐露するシーンがあるわけではないので、内面が最後までわからないまま死んでいき、それが逆にリアルというか死の暴力性を感じさせる。あとメイは客観的に評するなら狂っているということになるんだと思う。でもサイモンとアルのやりとりに「頭のおかしい人というのはいない」とある通り、彼女は彼女なりの息子と自分を中心にした小さな世界の倫理で生きているんだよな。延々と書いてきて思ったけど、限られた時間の中で説明的にもなりすぎず、キャラの個性を出して描くのがすごくうまい!

 

 

グリーン・ビショップ共通のよさとして、シーンの見せ方がすごくかっこいい。グリーンだとサイモンの回想と現在の入り混じりとか、電話のベルを使ったシーンの切り替わり、舞台奥の窓向こうの空間の使い方(ビショップでサイモンがドラッカー家に入っていき、その後窓の向こうから出てくることで視点が180度回転したことがわかる)とか…舞台はスペースや使えるものに制限こそあれ、シンプルであればあるほど工夫によってその制限を活かして舞台ならではのイケてる見せ方が絶対できるから最高…という気持ちになって興奮した。

衣装も、グリーンは緑、ビショップは赤が全員入ってて統一感があり、なおかつキャラの個性に合っていておしゃれ。「どういうキャラか」をパッと伝える上で、それらしいビジュアルってすごく大事だと思う。たとえばグリーンでシベラと後に結婚するフォン・ブラウン医師が黄緑の縁のメガネかけてるのとか、医者なのに絶妙なうさんくささと軽さを感じさせる。宣伝ビジュアルとかも緑と赤で統一されてる。

この作品観てて、フィクション性において映画とアニメの間みたいな印象を受けた。生身の人間が演じてるんだけど、キャラクターとしてはリアルというよりデフォルメされてる感じ。それが舞台でやる良さかもと思ったり。

あとグリーンが135分、ビショップが145分(!)あるのに、全然長く感じない。まず1幕は体感5分で、客電ついたときにもう休憩?!ってなるし、長い舞台だとわたしは集中力があまりないので、よそごと考えちゃうときも多いんだけど、そういう中だるみもなく、次どうなるんだ!ってわくわく没入してたら終わった。

 

あとこれは作品自体とは関係ないんですけど書いておくと、制作がちゃんとしてるなと思ったんですよね。ひとつはチケット発売時に席選択できるはずがシステムトラブルでできなかったんだけど、丁寧にお詫びを出した上で、指定できなかった時間帯に購入した人は希望の席と可能な範囲で交換できるという対応を個別にしてくれたこと。もちろんトラブルは無い方がいいけど、人間がやることだからゼロにはできないので、そこからどういう対応をするかってすごく大事だと思う。わたしは片方だけすごい端だったからセンブロに変えてもらって、今日すごく見やすくて助かった。でも制作からしたら多分その分の前方席ブロックして個別にメールして交換先提示して…って相当めんどくさそうだから、ちゃんとしてるなと思った。

もうひとつが、公演期間夜にスペースでやってたアフタートーク。全然毎回聞けたわけではないけど、一丸となって宣伝しようとしてるのがいい座組だなあと思った。予定が許せばネタバレ解禁のファイナルやってほしいな~!

総合して、全員が板の上で生きててめちゃくちゃ良かった。終演の瞬間に世界から出るのが寂しくなる舞台が好きだ。Mo'xtra、次回公演も絶対観に行きます。

原作知識ゼロで観たまほステがすごくよかった話

舞台「魔法使いの約束」第1〜3章をぶっ続けで観たんですが、めちゃくちゃおもしろかったので、何がよかったのかの感想。ネタバレしています。

 

1、2章はBlu-ray、3章は今公演中なので配信視聴。興味を持ったきっかけは3章にVoTで知った岩崎大輔さんがアンサンブルで出てるから。ただ3章は全景で見てしまったので岩崎さんを特定しきれず、改めて円盤で見返す必要性を感じている。

前提として原作ゲームのまほやくは完全未プレイ、視聴前に友達からゲームの立ち絵と舞台のキャラビジュを並べて簡単な説明を受けてスタート。初見の印象は「人多いな??」「この人数は絶対覚えられない」「王子と騎士と隣の国の王子がいるの?わからん」

なので最初は何曲かパフォーマンスだけピックアップして見ようか、という話だったんですが、1章を観たら面白くて結局ほぼ完徹して2、3章全部観てしまった。最近観た2.5ではいちばんよかった。


よかった点はいくつかあって、ひとつは進みがゆっくりなこと。1章は賢者が異世界に召喚されてその世界を理解し、魔法使いたちと絆を深め召喚の儀式を成功させるまでですが、劇中では数日の話だと思う。2、3章は賢者の魔法使いたちが一同に会し、お披露目パレードから叙任式までの間に起きる戦いの話だけど、これもまとめて数日間だし、大きくはひとつの事件しか起こらない。そのかわりにキャラの心情とか、キャラ同士の過去の因縁や関係性をめちゃくちゃ丁寧にさらっていくので、初見でもこのキャラはこういう性格で、あのキャラにこういう感情を抱いているんだな、というのがスッと把握できるし、思い入れができて覚えやすい。今となってはアーサーとカインとヒースクリフを間違えることは絶対ない。

わたしはソシャゲ原作の舞台を刀ステしか観たことがないので比較対象がほぼないんですけど、他の人気な作品もけっこうこういう作り方が多いのだろうか。漫画やアニメ原作の場合、舞台化時に原作のストーリーをつめこみすぎて、話はわかるけどそれだけで特に何も思わなかったな…みたいになるパターンをよく見てきたので、この分量のエピソードを3章立てで作ると最初に決断したのがすごいなと思った。おそらく企画の時点で3章までやる前提の脚本とキャスティングをしていると思うので…1発目当たったら続編企画しよう、ではできない作り方だと思うんですよね。ネルケなのか、アプリ側のcolyの気合いなのかわかりませんが…。


もうひとつよかったのが演出で、2章からは賢者の魔法使い20人+賢者+その他のキャストでとにかく人が多い。ただ、それをあえて舞台上にたくさん出してわちゃわちゃさせるシーンと、2〜4人ずつ出して掘り下げたり戦わせるシーンのメリハリがうまいと思う。他の2.5で、12人くらいのメインキャストをとにかくずっと舞台上に出しとくせいで、何を見せたいのか全然わかんなくなってる作品も見たことがあるので…確かにオタクからしたら推しの役者やキャラの出番は多い方がいいけど、掘り下げられもせず何となく置かれてるだけなら短時間でもちゃんと見せ場がある方がいいとわたしは思う。あと極端に扱いの悪いキャラはいなかった印象。

 

セットは可動式のわりとプレーンな足場と階段に、背景は投影で場転。セット転換時は紗幕じゃないけどなんて言うんだ、ストリングカーテン?をおろして投影したりもする。最近銀河で見る舞台、わりと背景が投影メインのことが多い気がする。


役者は8割くらい初見の人だったけど、みんなかなり良い。歌に関しては円盤補正だいぶ入ってるなとは思ったが、配信でもズコーってなるレベルの人はいないと思う。ヴィンセントの今さん(元劇団四季の圧倒的歌唱力)によって、幕間前後の大勢で歌う曲がめちゃくちゃ締まる印象。あとファウストの矢田さんがうまいな!調べたら最近はミュージカルいっぱい出てる方なんですね。ちなみにまほステを見る前にテニミュの2013ドリライを観ていたので隔世の感があった。


他にもドラモンドの平川さんがすごく人間味あってかわいいし、クックロビンの星乃さん(ヒプステで観たことあった)もかわいい。ぶっ続けで観たのもあるとは思うんだけど、この人間たちが1章では魔法使いを恐れて差別的言動をしているのに、彼らと触れ合ったり助けられることで自然に変化し、3章ではヴィンセントに意見したり、魔法使いたちの活躍を自主的に書き残そうとするのが響いた。結構重い話なんですよね…魔法使いたちは圧倒的な力を持っているけれどマイノリティで、それゆえに人間たちは魔法使いを恐れて差別する。でも魔法使いは生まれつきのものだから、望んでそうなっているわけでもない。そこで人間である賢者が橋渡しをする。賢者はとにかく3章通じてずっと「話し合いましょう」「まずは話を聞こう」ということを言い続けていて、その一貫性が美しい。対話による相互理解の可能性を信じている。一歩間違ったら綺麗事と感じられそうなところで、賢者役の新さんのピュアだけど芯が強い佇まいとまっすぐな演技によって説得力が増していると感じた。キャス変さみしい!!!(一晩見ただけでこの感情が生まれたことに驚いてる)


あと特筆すべきは歌の使い方で、1章から3章で同じ曲を使ったり、1章の中でもある曲のメロディを他のところでも使ったりするのがうまいと思う(リプライズっていうんですね)アーサーとオズの曲、1章でアーサー、2章でオズだけが歌って、3章で初めてふたりで歌うのとか…わたし普段基本ストプレを観ていてミュージカルは全然詳しくないオタクなので難しいことは書けないんですけど、グラミュのオタクに分析してほしい。曲の配置構造がとてもよくできている気がする。2章で、砕け散ったムルの魂のかけらと、まとまらない魔法使いたちをパーツとして重ねるくだりとか、歌詞もよかった。その次の曲の終わり、「狂い始めたのは〜全部」で赤照明逆光で暗転するの不穏すぎてすごかったな。


最後にキャラの話をすると、魔法使いたちはそれぞれの魅力がある上に関係性のバフもかかってくるので、誰が好きってパッと言うのがめっちゃ難しいんですけど…単体で言うとカインかもしれない…友達にはめちゃくちゃ意外がられたし陽キャ人たらしは本来守備範囲外なんですけど…カインって魔法使いなのを隠して騎士として生きてきたのに部下を助けるために能力を使ってその騎士の役職を追放されたわけでしょ?それであの光の感じなのヤバいしもっと掘り下げてくれ!あと岩城さん微妙に八重歯じゃないですか?かわいいね。オズも好きです。あそびばとかで丘山さんとしての人格を先に知っていたのでこの人本当にすごいなと思った。ブラッドリーも好き。目つきと柄の悪い男が好きなのでこれはわりと通常運転。あと食い意地が張ってるところと意外と会話はできるところも好きだ。


総合してめちゃくちゃおもしろかったので、千秋楽のスイッチング配信かライビュを買おうと思う(昨日は全景だった)あと次回は現地に観に行きたい〜チケットとれなそうだが。

予算とか原作の制約とか色々な都合でできない場合ももちろんあるだろうけど、舞台(特にミュージカル)ってたくさんの出来事をどんどん消化するのには向いてないフォーマットだと思うので、ゆっくり心情を描いてくれたほうが良いです…ということをさまざまな2.5の制作に伝えたい気持ちになった。

描かれたもの、描かれなかったもの

劇団ヒトハダ「僕は歌う、青空とコーラと君のために」以前観た「泣くロミオと怒るジュリエット」がすばらしかったので、鄭さんの作品をまた観たいと思って行った。本当に全然褒めてないし、観てつらかった話をしています。


戦後すぐ、米軍御用達のキャバレーが舞台。元特攻隊員のロッキー、ゲイで女言葉を使うファッティ(トランスなのかと思ったが身体は男性である旨のセリフがあるのでゲイと記載)、日系米兵のハッピー3人は「スリーハーツ」として日々ステージで歌っている。ある日ママであるジーナの甥っ子が朝鮮半島から亡命してきて、色々あってゴールドという芸名でメンバーに加わり、スリーハーツはフォーハーツになる。しかし朝鮮戦争が続く中、ハッピーは戦地へ赴くことを命じられる。ゴールド、ジーナ、ロッキーの3人は朝鮮人なので、特にゴールドは強く反発するが、ハッピーはアメリカ国民としての責任を果たすと出征していく。

その後ロッキーの元に来ていた他クラブからの引き抜きの話が表面化する。戦時中ロッキーと、ジーナの息子は特攻隊にいて、しかしロッキーは生き残り息子は死んだ。そのことに責任を感じていたロッキーだが、ジーナに励まされ、ゴールドらに問われて自分がなぜ生き残ったのかを語り、過去に整理をつけて引き抜きを受ける。

しばらく時が経って朝鮮戦争が終わる。ロッキーは引き抜き先で、ファッティとゴールドはふたりだけでフォーハーツとして活動を続けている。キャバレーを閉めることにしたジーナのところに除隊したハッピーがやってきて、偶然皆が再会するが、彼は爆撃で左腕を失っていた。また朝鮮戦争中に米軍による虐殺を目にし、信じてきたものを失ったハッピーは、もう歌えないからハワイに帰ると言うが、ハッピーが戻るのを待ってフォーハーツとしての活動を続けてきたゴールドは納得できず、どうしても皆で歌いたいと譲らない。最終的にジーナが最後のお願いとして一度だけ4人で歌ってくれと頼み、歌うフォーハーツ。ハワイに帰っても希望が持てない今、生きていけるか怖いと吐露するハッピーに、離れていてもつながっていると励ますゴールド。ロッキー、ファッティ、ゴールドは旅回りに出て行き、ジーナはハッピーにお土産として桜の枝を渡し、ハワイで咲いたら皆で見に行くと言う。最後袖から「満開ですよ!」とハッピーがジーナに呼びかけて幕。


何というか、マジで合わなかったとしか言いようがない。別に脚本が極端にめちゃくちゃなわけでもないし(先は読めるけど)演者も叫びすぎるしやや過剰な感はありつつも普通に上手い人が多いけど、本当に合わなかった。開幕で3人が女装して出てきて、ファッティのブスいじりみたいになったところで結構もう無理かもしれんと思っていた。

今書きながら思ったが、ファッティの描かれ方が明確に無理だったのかもしれない。ファッティは人に優しく共感しやすいが、下品だしデリカシーに欠ける部分がある。こういう「オネエ」(あえてこう表現する)の描かれ方、百万回見た。そしてかなり太っていて、周りの仲間たちはそのことをデブやトドとからかう。それはこの劇中では軽口として扱われるし、ファッティ自身も何よ!と言い返すから、全然深刻な問題じゃないのかもしれない。本題じゃないところに引っかかっていると言われるのかもしれない。そもそもこれは1950年代が舞台だから今の感覚でとらえるなと言われるのかもしれない。でもファッティがファッティじゃなくてスプリングと名乗りたがっているのに、皆がファッティと呼び続けるのがわたしは見ていてつらかった。クリスマスの衣装を着る場面で顕著だったけど、変な衣装を着て、メインボーカルをやると思いきや他のみんなにおいしいところを奪われて右往左往する、それで客が笑う、セクシャルマイノリティを使ったそういう笑いのセンス自体がしんどくなってしまって、帰ろうかなと思った(結局最後まで見たけど)その扱いはファッティがセクシャルマイノリティだからではなく、ファッティがファッティという個性の人間だからだ、と言われるのかもしれないけど、そこは切り離せる描き方ではないと思う。なんかナチュラルに下に見ている感じがするんだよな。

あと、ファッティ以外のキャラについてはこのキャバレーに来る以前の過去背景と抱える傷が詳細に描かれている。ハッピーはハワイ生まれで、日系であることで敵性外国人のレッテルを貼られるのを逃れるために米軍に入った。ゴールドはひとりで朝鮮戦争から逃れてきて、家族は北に残っていて生死もわからない。ロッキーは朝鮮人だが特攻隊員になったことで戦時中は神と祭り上げられ、しかし飛行機のトラブルで玉砕せず帰還したことから隔離、戦後は朝鮮人からも日本人からも糾弾された。また自分のせいでジーナの息子が死んだという責任を感じている。ジーナは息子を亡くし、しかもその志願理由は日本軍が家族の面倒をみてくれると聞いたためだった。ファッティだけこういう過去が何ひとつ劇中で語られない。男を頻繁に変えるということと、劇中後半では既婚者の軍人に憧れているということくらいしかわからない。「朝鮮人が3人もいる」という台詞からするとファッティはおそらく日本人だと思うのだけど、なぜこのキャバレーに流れ着いたのかの裏にはセクシャリティが関係しているのではと思うのだが、その辺りが何も掘り下げられずに終わったのも、ファッティの描き方が無理という気持ちを強めた理由かもしれない。この物語の主題が戦争で、そこに直接は関係しないであろうマイノリティの要素を描かなかったのかもしれないけど、「オネエ」を便利な舞台装置にしないでほしいと感じてしまった。


あとストーリー的にはゴールドが(役が役者の実年齢より若い年齢設定なのもあるだろうけど)とにかく我が強いのが結構きつくて、ハッピーが出征するくだりとか(これはまあ最終的に「誰も殺してほしくない、死なないでほしい」が本心だったとわかるから、まだいいんだけど)ハッピーがもう歌えないと言った後にそれでも歌おうと言い続けるくだりとか、よくそこまで人の気持ちを考えずに強く物を言えるな…サイコパスなのか…という感想になった。そもそもハッピーは戦争に行く時点で別にフォーハーツを守ってほしいとは言ってないし…物語の中のハッピーは最後歌ったことでかすかに救われるようだけど、本当にそう?という気持ちがすごい。ご都合的に感じてしまう。わたしが傷に対して強引に第三者が干渉してポジティブに進む描写が苦手(現実に反射させたとき有害と感じるため)なのもあると思うけど。


なんかめちゃくちゃつらかったところだけ書いてしまったが、よかったところでいうと梅沢昌代さんのジーナは比較的台詞に共感できたし、強くて凛としていて、コメディシーンの間の取り方とかもうまいな〜という感じだった。あとピアニストのシュガーこと佐藤さんが味があったのと、ゴールドが歌ってみてって言われて買い物ブギを歌うシーンは歌が上手くないと成立しないが、そこまで押し黙っていたところから120%振り切ったパフォーマンスする尾上さんが爽快感あってよかった。あとロッキーが過去をぶちまけるシーンの、「俺たちは神様じゃなかったのかよ!使い捨ての肉弾か?」みたいなセリフははっとした。泣いてる人もいっぱいいたので、好みによるんだろうなと思います。