言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

光と影が焼き付いた

ムシラセ「瞬きと閃光」感想。去年山崎丸光さんが出ていたので観に行った本公演がめちゃくちゃおもしろくて、今年もすごく楽しみにしていた。そしてその期待をさらにぶち超えて良かった、ということをずっと書いています。台本を買ったけどまだ読めていないので、記憶違いがあるかもしれないのと、一部の役名表記がわからないんですが、とにかく今の感情で書いておきたいので一旦書いて後で直します。ネタバレがすごいです。


名門女子校(たぶん雙葉がモデル?)の写真部が舞台。頑固な才女で放送部掛け持ちの彩加、演劇部掛け持ちで恋に恋する亜蓮、神社の娘で大人びたかの子、老舗和菓子屋のお嬢様でふわふわした仁胡、写真家になりたい元気な未莉。たぶん未莉と仁胡、彩加と亜蓮が特に親しい。あとやる気のない男性教師の槙本、槙本に恋する真那、ロボっぽい綾目、長年学校に勤める教務主任の八雲という教師陣、役者をやってるバイト用務員の疾風、写真部の部室に現れるおばけがメイン登場人物。真那、綾目、八雲は皆卒業生。中盤仁胡の姉が出てきて、ここはWキャストらしい。わたしが観た日はギャルの長女・麻胡だった。

ある日、未莉は部室でもじゃもじゃ頭のおばけ(通称もじゃ)と出会う。もじゃは生前写真家で、写真家になりたくてコンテスト入賞を目指す未莉は彼女と交流し写真について教えてもらう。もじゃは未莉にしか見えないので、そこですったもんだありつつも、学生最後の写真コンテストと文化祭に向けて日々が進んでいくが、仁胡の撮った未莉の写真がコンテストの一次を通過し、未莉は落選したことから衝突が起きる。同時にもじゃが何者かも明かされていく。もじゃは真那の同級生・光で、光と真那はちょうど未莉と仁胡のような事情の仲違いによって交友がなくなったまま、光は事故で亡くなった。

 

群像劇だけど、途中までは他の登場人物についても描きつつ、わりと未莉が主人公っぽい印象だったが、後半事態が動いてからは大きく3つの物語になると感じた。①未莉と仁胡、②光と真那、そして③彩加と亜蓮とかの子。①と②はとても似た関係で、だからこそ未莉と仁胡は光と真那にあったことを聞き自分たちの関係を修復することができるし、同時にある意味では時を超えた自分たちである光と真那を、写真を撮ることによって救うことができる。未莉が「おばあちゃんになっても友達でいたい」と言うシーンが本当に尊かった。未莉役の輝蕗さん、初めて見たんだけど、元気でちょっと子供っぽい高校生をやりすぎないギリギリのラインで成立させていてすごい。めっちゃかわいい。というか高校生たちが全員本当にかわいくて、健やかに生きてくれ…という気持ちに満ち満ちるし、それを見守る先生たちも素敵。特に八雲先生の佇まいが素晴らしい。こんな先生に出会いたかったよなと思わされる。

光と真那、未莉と仁胡の間に生じたすれ違いは十代の頃を思い返すと本当に身に覚えのあるものだ。歳を重ねると(自分は)良くも悪くも他者と自分を比べて何かを感じるということがあまりなくなり、それは全てに鈍感になってきたとも、裏を返せば自己が確立されてきたとも言える気がするが、大学生くらいまでは本当にこういうことで悩んでいた気がする。


彩加と亜蓮とかの子のパートは彩加の言葉によって真那が自分の過去を思い出すきっかけとして作用しつつ、単体でも非常に強いインパクトがある。事前にルッキズムの話であるとTwitterで見ていて、その部分を大きく担っている。彩加は報道アナウンサーになりたいが、女性のアナウンサーに求められる美しい容姿が自分にはないと感じている。そのため在学中に部活で目覚ましい入賞をして親を説得しようと考え、戦略的に動くも、自身のヌードをコンテストに出したことが問題視される。彩加というキャラってこの物語の中で女性が直面している社会的な状況をかなり背負っていて、彼女の発するセリフのひとつひとつが切実さをもって突き刺さってきた。このパート、真那と彩加、仁胡と未莉の衝突が並行して描かれるので、仁胡未莉パートの間も舞台上にいるんだけど、スポットが当たっていないときも彩加役の中野さんが唇を噛み締めて怒りと泣く直前の顔をずっとしていて、感情をまったく切らしていなくてすごいな〜と思った。でもかの子のアドバイスを受けた亜蓮が彩加の道を開く。亜蓮は中盤自分には夢がないと言うけど、だからこそ彩加に「(海外に)あたしが一緒に行ってあげる」と軽く言えるわけだし、またかの子は実家の神社を継ぐことを決めているけど、それは自分の意思で望んでいることなので、そんな彼女が家を継がなくたっていい、と彩加に言うのはとても救いだ。通り一遍の感想になってしまうけど、彩加に友達がいてよかった…と思う。


彩加の「わたしは賭けに負けたんです」あたりからもう泣いていたが、ラストシーンで出てきた光がタイマーセットされたカメラのファインダーを覗いてシャッターが切られた瞬間、光が写真を撮れたことに大号泣した。そのままカーテンコールになり、最前列だったのでとても恥ずかしかった。わたし想像力に乏しい人間なので普段そんなに舞台観て泣くほうじゃないんですけど、去年も「ファンファンファンファーレ!」のきぬちゃんとあさみんの漫才で引くほど泣いたんだよな。保坂さんの書く人間と人間のぶつかり合いには人の感情を揺らす力がある。

 

前回公演でも思ったが、今回で言うと女子高校生の解像度がすごく高い。わたしは共学出身なので厳密にはわからないけど、周りに女子校の友達はいたし、文化祭とか遊びに行くと女性だけであることによる息のしやすさはあるんだろうなと感じていて、それが舞台上に表現されていた。演劇部のこと、劇部って言うよね…とか、細かな台詞回しにもリアリティを感じる。この間の妖精大図鑑でも思ったのが、細かく作り込んだものを、いかにも作り込みましたって顔せずにスッと出す演劇が好きなんだと思う。


セットが大天才。天井から吊られた枠で窓を表現するような抽象的な美術。ざっくり4つ空間があり、上手(屋上)中央(写真部部室)下手(校内のどこか)前方(玄関)という感じだけど、その限りではない。終盤、真那と光の写真を撮ろう、というところでずっとあった机と箱を片付けると、なんとそこが白ホリのスタジオになっている。よく見たら最初からそうなるようにデザインされてるんだけど、この瞬間まで全然気づかなくてはっとした。あと生徒は制服だから同じだが、教師陣は日が変わると衣装をちゃんと着替えているのがすごい。


部室で未莉と仁胡がぶつかるシーンを上手の棚の上から見ている光と、玄関で彩加に怒りをぶつけられる真那が対角線上でそこにピンスポが残り、ふたりの過去が明らかになるのが見せ方美し…って思った。冒頭、完全暗転から一瞬のフラッシュで光の姿が垣間見えるオープニング、仁胡が眠っている未莉の写真を撮る夕暮れの部室のオレンジの夕焼けなど、照明も印象的。オープニングのひとりぼっちで座っている光と、ラストの集合写真のファインダーを覗き込む光、このふたつの絵が目に焼き付いた。光役の工藤さやさんたぶん初めて観たんですが、ずっと自然体で決められたセリフじゃないみたいに見えるし、感情表現もすごく大きいわけではないのにとても心に残る。素敵だ。というか繰り返しになるけど演者が本当に全員いい!きっと演者同士の相乗効果的なものもあるんだろうと感じた。


セリフがすごくよくて、早く台本を読み返してひとつひとつ噛みしめたい。いいセリフがたくさんある舞台を観てるときって、嬉しさと焦りが同時にくるというか、どんどん流れていくきらきらしたものを全身で浴びているみたいだなと思う。物語は進んでいくからひとつひとつの言葉を手に取ってまじまじ見て脳に刻む余裕がない!でも今すごく素敵なことを言ってる!という気持ちになる。「神様も亡くなった人も同じで、そこにいると思えばいるし、いないと思えばいない」というのが特に心に残った。今回、出演予定だった松尾太稀さんが亡くなってしまい、でも松尾さんは劇中に確かに存在している。わたしは彼を舞台で見たことはないんですが、この物語に出演していたらどんなふうだったんだろう、観てみたかったな。光が女性写真家として生きることについて語る言葉や、疾風と亜蓮や槙島の会話にある演劇についての言葉は、切れば血の出る手触りがあって、これは写真家であり演劇をやっている保坂さんだからこそ書けるものなのではないかと思った。あと後半の展開に関する情報が随所に散りばめられているので(写真部で最後に賞をとったのは10年くらい前とか、槙本が早く帰りたがる理由とか)観ていて物語から突き放される瞬間がない。


劇中にもあるんだけど、写真は光なので(フィルムを感光させることで像を焼き付ける)同時に影もないと成立しない。未莉が仁胡、光が真那に対して抱く羨望は明るい感情ではないけど、そういう影を微かにはらみながらも、彼女たちの間には確かに友情という光がきらめいているし、そのコントラストこそが学生時代にしかない鮮やかな残像を生むと感じた。総合して本当に感情を揺さぶられた。絶対観てほしい。