言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

古い価値観の物語を今どう感じればいいのか

KAAT「夜の女たち」感想。よかったと思うところとそうでもなかったところがあった。ミュージカルだが、当たり前かもだけどいわゆるグランドミュージカルとはまるで違うものだと思う。


何作か長塚圭史さん演出作品を観て面白かったので行った。

戦後間もない大阪が舞台。主人公の房子は戦争で夫を失い、幼い息子を病気で亡くす。たまたま知り合った羽振りの良い怪しげなブローカー社長・栗山の会社で秘書として働き始め男女の関係になるが、栗山は満州から引き上げてきて房子の家に住み始めた妹の夏子とも関係を持ち、それにショックを受けた房子は行方がわからなくなる。やがて夏子は房子が赤線地帯の娼婦になっていると聞き、探しに行く。しかし娼婦と間違われて警察に捕まり留置所で房子と再会する。房子は復讐としてできるだけたくさんの人間に性病をうつしてやろうと娼婦になっていた。並行して房子の義理の妹・久美子が家出し、チンピラの清に騙されて体を売ることになる流れが描かれる。警察病院?での検査で栗山に囲われている夏子の妊娠が発覚するが、栗山は堕ろせと言い、さらにそのタイミングで阿片の密輸が発覚して逮捕される。自暴自棄になる夏子を房子は婦人ホーム(福祉施設?)に連れていくが、栗山にうつされた梅毒の影響で子供は死産。夏子をホームに残し街頭に戻った房子の元に、挨拶なしで客をとっている奴がいると知らせが入る。リンチを受けていたのは清の差し金で娼婦となった久美子だった。久美子を説得し、仲間からの洗礼のリンチに耐え、久美子を連れて家に帰るため去っていく房子。


原作は戦後すぐに撮られた映画らしく、正直ストーリー的には全然いいと思わなかった。こういうことが実際にあったのを我々が忘れてはいけない、という企画意図なのかなと思うんだけど(今年のKAATのテーマも「忘」だし)そもそも戦後すぐの価値観に基づいているし、女同士の争いに終始しているので展開に広がりを感じない。舞台に立って歌う女たちを舞台下から男たちが見ている、というシーンが何回かあった印象のせいもあるかも。栗山に裏切られた房子は栗山を恨みつつ夏子のことも憎いと言うし、久美子をレイプして娼婦にした清は特に裁かれることもない(久美子も清に復讐しようとはしない)。パンパンの女たちを否定する純潔教会の婦人も女で、彼女たちの存在を認め救おうとするこの作品の中でわずかな善のポジションには男がおかれている。パンパンの女たちは時折かすかに共感のようなものを見せ合う瞬間はあるが連帯はさほど感じられず、むしろ荒んだ暴力性を帯びて描かれている。終盤に「仲間がいちばん怖い」というような台詞があるんだけど、その通りずっと社会的には弱い立場である女同士で争っているのがうーん…という感じだった。房子はこの物語の中では比較的しっかりした女だと思うが、それでも性病によって社会に復讐するという自傷的な破滅を選んでしまうのもキツい。構造的に男からの搾取が存在しているのにそこへの反発がまったく起きないから罪がフォーカスされず(原作が作られた時代的に仕方ないんだろうけど)女の敵は女、みたいな印象で終わっていると感じた。房子と夏子や久美子の間には多少の連帯が見えるけど、それも手を取り合って搾取者に立ち向かおうというものではなく、傷ついた動物が身を寄せ合うようなものだ。


ただ演出はおもしろい部分があった。グラミュを見ていて、ミュージカルって感情が高まったときに歌うものなのかと思ってたんだけど、背景説明みたいな会話でもすごく歌う。しかも同じフレーズを何回も繰り返す。演者も別に全員歌に安定感があるわけでもないので、序盤は正直ちょっとだるいな…早く話進まないかな…と思っていた。ところが、一幕最後かな?にそれまでの全部のフレーズが口々に歌われるくだりがあり、それがとてもよかったので演出意図として少し理解できた気がした。まあ別に感情が高まったときしか歌っちゃダメなルールがあるわけでもないしな。関西弁の歌の多さは「てなもんや三文オペラ」に似てるなと思ったけど(あっちの方がコミカルだが)あれはミュージカルじゃなく音楽劇と言っていたので、何がラインなのかはよくわからない。


キャストはとにかく北村岳子さんが圧倒的に素晴らしかった。3役演じているけど(古着屋の老婆、純潔協会の婦人、婦人ホームの長)全て自然かつ違う人間、歌もめちゃうまく台詞からの流れもシームレス。北村有起哉さんは程度の差こそあれ平田と院長の2役がこの作品の中で善の部分を担っているポジションだと感じて、狂言回しっぽい男の役も含め説得力があってすごく良かったな。

房子の折々の選択は感情的には全然共感できないんだけど、江口のりこさんが演じると何となく納得させられるというか、そういうこともあるのかもしれないね…と思わされるのはすごいと思った。

前田敦子さんはあの役自体は衣装も含めよく似合っていると思ったけど、演技がひとりだけやや浮いていると感じた。抑揚が過剰でずっと上ずっている。発声が喉からなのだろうか、ボリューム自体は変わらないと思うのに何か聞き取りづらい。あと本来やりとりしていくうちにボルテージが上がっていくのではと思うような場面でも最初からフルテンションで来る印象があり、観ている側がちょっとついていけなかった。映像では思ったことなかった(普通にうまいと思っていた)んだけど。伊原六花さんは歌がうまい。あと前田旺志郎くんがすっかり大人になっており、中盤の二面性の見せ場はかなり良かった、後半の展開にも絡むのかと思ったらそうではなかったのが若干肩透かしだったが…。

 

八百屋の素舞台で床が発光するセットは好み。クラブにいる夏子の元に平田がやってくるシーン、天井から下がったミラーボールと市松に照らされた床の上で静かにステップを踏む人々だけでクラブだとわからせるのがおもしろかったな。冒頭「米よこせ」などと書かれたプラカードを持った人々が無言で舞台に出てきて始まり、途中で房子がこの群衆に追い詰められるシーンもあるんだけど、プラカードの内容は戦後に皇居前で起きた米よこせデモに沿ったもののようなので、これは房子が追い詰められる時代の象徴なのだろうか。音楽はかなりよくてリプライズが耳に残る。衣装も魅力的で、房子を探しに出た夏子が迷うシーン(夏子だけが真っ赤なコート、ほかのキャストが皆黒っぽい服)など見せ方も鮮やかで記憶に残った。