言語化修行中

観た舞台の感想を書きます。ストプレとダンスが好き。

目を開かれたロンギヌスの未来

エリア51「かつてのJ」の長い感想。好き勝手書いています。


20分の短編作品。アイドル事務所で下積みを重ねたがデビューできなかった主人公が劇団主宰に転身するも、劇団運営にも金銭的問題や劇団員との不和などが生じ、たったひとりで解散公演を行い、最後にはロンギヌスの槍に貫かれる。

前提として書いておくと作中で実名は何ひとつ出ていないので、以下の固有名詞はすべて観客の妄想です。


脚本・演出・主演である神保さんは元々長年ジャニーズJr.だった方なので、このストーリーは本人の経歴と重なる。公開稽古を見学してプロトタイプの台本を読んだとき、すごい作品だと思った。これは絶対他の人間には書けないから。ストーリー自体は書けなくはないけど、薄っぺらくなってしまうだろう。演劇畑では特異と言えるキャリアをフルに活かしていて(劇中歌の作曲と振付を自身でやっているのもそう)これまで好むと好まざるとに関わらず自信の中に蓄積されてきたものを総動員していると感じた。

前提として、わたしは昔一度A.B.C-Zのバックで神保さん(当時は渡辺さんという名前だった)を見たことがあって認識はしていたけど(ダンスが目を惹くなと思っていた)熱心に追っていたわけではないのでアイドル時代の彼について詳しいことは知らない。あとそもそもそこまで熱心なジャニーズのファンではないし、事務所には支持できない点も多いと感じている(思春期の少年をたくさん預かり、ある種特殊な環境に置いているにもかかわらず、特にジェンダーにまつわるコンプライアンス教育を行っていないように見受けられる点など)とはいえこの作品で語られている文脈はある程度わかる。この作品は観客がジャニーズの特異性をどのくらい知っているか、有り体に言えばジャニオタか否かでまったく捉え方が変わると思う。まずジャニオタじゃない人は台詞でシンメって言われてもわかんないだろうし。実際感想を検索してみると、さっぱりわからないという声も見かけた。ただジャニオタの母数は非常に多いので、これを理解できる人間の数もそこそこ多い。そういう点で、閉じた作品ではあるけどその囲いの対象が少なくはないのが面白いなと思っている。


ジャニーズ事務所には明確にヒエラルキーがある。二場でトイレにいる少年時代のJ(当時はWという名)が言う「個室1個分のステージ」はJr.マンション(コンサートでバックに細かく仕切られた背の高いブースがあり、Jr.はその中で踊る。Jr担のファンはどこに自分の推しを双眼鏡で探す)のことを指している。バックにつくJr.の中にもマンションの一部屋しかもらえない子と、前列で踊れる子がいるし、もちろんJr.とデビュー組のヒエラルキーもある。

ジャニーズにヒエラルキーがあることは皆暗黙のうちに知っているが、演者側がそれを言葉にすることは少なかったと思う。滝沢社長になってからはYouTubeなどで露出が増えたこともあるのか、デビューしたいという意志をJr.が明確に示す場面はやや増えたように思うけど、そもそも神保さんがJr.だった時代の大部分はJr.に安定した露出の場はなく(少年倶楽部くらい?それも人気のある子しか出れない)ファンからしたら次の現場が誰のバックなのかもわからず、ヒエラルキーの上に上がりたくてもそれを表明する手段もない状態だったろう。しかもJr.内でグループが明確に固められている今と違って、以前はデビューの組み合わせすらもジャニー喜多川氏のインスピレーションによる部分が大きかった印象なので、本当に先がどうなるかわからない感じだったのではと思う。


この作品の偉大なるJは当然ジャニー喜多川で、彼の「スピリット」が今なおジャニーズ事務所に受け継がれているのは、本人が亡くなった今なお「ジャニーズ伝説」というその歴史を描く舞台をやっていることからも明らかだ。偉大なるJは「音楽とステージで世界を平和に」という理念を持っていたが、実際ジャニーズ内には蹴落とし合う競争主義と有害な男性らしさがはびこっていた。Jは事務所を離れ「J業を離れ自営業となり」自ら劇団を立ち上げるが、客入りは芳しくなく財政難に陥る。そのとき偉大なるJから得た「はやり」と「むりやり」の教えを思い出し、人気劇団となっていく。しかし劇団員への振る舞いからメンバーが脱退、少年時代の自分と対話し、誰かを加害する前にとたったひとりで解散公演を行う。このとき後ろにのぼりを立てマイクで演説する姿は政治運動そのものなんだけど、これは「かながわ短編演劇アワード」で審査員から作品について「社会的なことは社会運動でやれば?」とコメントされたことを受けてのカウンターである(この件については審査員のコメントが明らかに適切でなかったと思うが、そもそも個人的には観客の主観に基づく部分が大きい演劇というものを、少数の審査員による審査で順位付けするコンテスト形式自体にかなり疑問がある、スキル面ならまだわかるが)


壇上に上がり、せーので争いをやめよう、と語るJは、自らの男性である身体が潜在的に持つ加害性にも言及する。ここの演説はあまり芝居がかっていないというか、素の言葉に聞こえる部分もあったりした。偉大なるJの理想の元に築かれたジャニーズ事務所での苛烈なヒエラルキーも、劇団を始めた後のJが直面する自らがハラスメントを犯しかねない現状(演劇を続けていくことの過酷さがここに収斂する)も、前時代的な有害な男性らしさに立脚する社会の影響を受けていて、そして最後にJを貫くロンギヌスの槍は、そういったアップデートの動きに対するバックラッシュを象徴していると解釈した。ロンギヌスは盲目だったが、キリストを槍で刺し血を浴びたことでその目を開かれる。第3稿の時点ではロンギヌスは誰だかわからなかったんだけど、本番ではパワハラで炎上した劇団ロンギヌスの主宰・クロス(=ジャニーズ事務所時代いじめられていたJr.仲間のX、Jはそれを庇ったことで干された)だと示されている。つまりクロスはデビューしたけれどうまくいかず劇団を始め、でも内面をアップデートできておらずパワハラを行い、最終的にアップデートに反発してJを刺すことになる。安倍元首相の銃撃があったからこの終わり方変えるのかなとSNSを見て思っていたが、結果変わらなくてよかった。最後にクロスはその目を開かれ、アップデートが果たされたともとれるが、そこに映るのはJの肉体で、稽古場で聞いたとき神保さんがこれがまた新たな男性性の強化につながってしまうという捉え方にもなりうるというようなことを言ってた気がする(解釈違ったらすみません)

ミスって現金しか使えないと思わなくて台本が買えなかったので(データで売ってくれないかな…)細かい展開や台詞は違うかもしれません。


劇場で観た素直な感想としては、この内容を20分では厳しかったなと思った。よくないというわけではないんだけど、最初から最後までつめつめで走り切ったという感じで、内容が他にない作品だからこそ、ややもったいなさがあった。多分初見の人に内容が全部伝わりきってない気がする。あと見せ方でいうと、ひとり芝居なので舞台上でめちゃくちゃ着替えるんだけど、最初の曲中以外ではそれがややノイズと感じてしまったのと(曲中は早着替えもJr.のシビアな環境を示していると感じた、ここもJr.がどういうものかを知っているかで印象違いそうだが)これは小さなことではあるけどビールケースに板を置いた台の安定が危うくて見てる側がソワソワしたのと、映像がどうしてもチープだ。

もちろん時間やコストや会場的制約があってのことだと思うので仕方ないと思うし、内容の詰め具合に関しては確か劇場チケットは配信がセットのはずなので繰り返し視聴することは可能だが…上演時間を伸ばし、ちゃんとした照明のある劇場で映像や衣装も作り込んだらとてもよいものになりそうな気がする、と無責任な観客として書いておきます。

 

エリア51を数本観て、神保さんの脚本は台詞の言葉遊びや韻の踏み方で想像を広げる特徴が面白いと思っているんだけど、今回はあとダンス部分がとても良いと思った。ダンサーとしての技能および身体的な恵まれ方(背が高く手足が長い)と、アイドルとして目を惹くために積み重ねたノウハウと、演劇をやっているからこその戯画的な身体表現が合わさっている。もっと踊りの仕事も見てみたい。


4団体×20分というイベントのトップバッターだったんだけど、この作品終わりで帰る人がかなりいた。もちろん時間の使い方は自由なので個人的な感想だし批判でもないですが、マインドが閉じていて興味深い。このイベントに対しては会場の演劇に適してなさがすごいとか、些少な制作費で20分の短編となると結局本公演への集客目的と割り切って既存の短編やるのがいちばん賢くない?とか、そもそもチケット発売時間にちゃんと発売されなかったりとか、色々と言いたいことはあるけど、それはそれとして、もしかしたらこの後にやる団体がめちゃくちゃ面白いかもしれないじゃん。